みんなの掲示板はキリスト教についての証し、福音を分かち合いたいこと、宗教話題についての掲示板です。
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[137] 修復されて  投稿者:カレン・L・バニング 投稿日:2008/01/30(Wed) 23:07  

修復を必要としている人のために

主の法律完全で、魂を生き返らせる。詩篇19:8

夫は自分の作業場にこもって、古い家具を新品同様に修復することが大好きです。私は、その作業を見るのが好きで、夫と一緒にに過ごす一時を楽しんでいます。最近、私にとってはごみにして捨てるしかないような古い木片で、夫が作業をしていました。ところが、作業が進むうちに、そこに隠されていた美しさがよみがえってきたのです、古びて傷だらけの木は修復されました。木片はまるで新品同様でした。

使い古され磨り減った物にも、隠れている美はあります。愛情を注ぐことで、修復され、新しいものになります。私たちの心と思いから古い罪の姿を取り除いて下さるよう願い求める時、私たちは修復され、神の栄光を表すことが出来るのです。

今日の黙想
神はどのように私の人生を修復し、私を新しくしてくださったでしょうか

祈祷:愛に満ちた神様、あなたは、あなたの創造の美を私たちの内に見てくださいます。恵みによって私たちを赦し、清め、回復させて下さい。イエスが教えて下さったように祈ります。イエスの御名によって祈ります。アーメン。

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[136] 孤独感 投稿者:平安を得るためのヒント 投稿日:2008/01/29(Tue) 20:41  

わたしは、モーセとともにいたように、あなたとともにいよ。わたくしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない。(ヨシュア記1:5)

ひとりぼっち。このことばを口出して言ってみてください。なんと、きのあることばでしょうか。孤独感を簡単には、それも完全に克服することはできません。しかし、それに立ち向かったいくことはできます。孤独感からうまれるみじめな気持ちにとらわれる必要はありません。神様がいつも私たちと一緒にいてくださるのですから、そして、困難な時にも見捨てるようなことはしない、と約束してくださっているのです。じっくり座ってこの約束に思いを巡らしてみましょう。いつしか、平安を思いが戻ってくるはずですから。

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[135] 祝福がなくても喜ぶ  投稿者:ジェ−ムズ・I・ウォ−ド 投稿日:2008/01/27(Sun) 17:43  

不毛な時期を過ごしている人のために。

17 いちじくの木が花をつけず,ぶどうの木に実がならなくても,オリーブの木が不作に終わり,段丘が全く食物を産み出さなくても,羊の群れが全くおりから絶え,囲いの中に牛の群れがいなくなっても,
18 それでもわたしは,ただエホバにあって歓喜し,わたしの救いの神にあって喜びにあふれます。
ハバクク書3:17〜18
少年の頃、私はうちにあった実のなる木が大好きでした。私の寝室の窓のすぐ近くにはいちじくの木があって、長年、たくさんの実をつけていました。私は熟した無花果を採って、半分に切り、牛乳をボウルに注いでミリアルと一緒にその甘い実を楽しんでいました。神は家族でも食べきれないほど多くの新鮮な無花果を与え、一家を祝福して下さいました。ある年、季節外れの厳しい寒さが来て、無花果の木はまったく実をつけませんでした。無花果を摘んで食べるという楽しみがなくなり、私は子供心に神が祝福を取上げられたと感じました。実をつけていない無花果の木を見ると、それ以外のことでも神に感謝するのが難しくなるのでした。
ハバククは、実のならない無花果などより、もっと困難な状況を記しています。それでいてそのメッセージは、私たちが救い主である神によって、常に喜びを得ることができるを示しています。今でも果樹を見ると、その木が実をつけていなくても、主にあって喜べることを思い起します。私の喜びは人生の祝福には関係なく、神の変わらなく愛によるものだからです。

今日の黙想
人生に収穫がないように見える時でも、神は喜びを与えて下さいます。

祈祷:主なる神様、どんな状況にあっても、あなたが私たちの救いであることを覚えて喜べますように、イエスの御名によって祈ります。アーメン。

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[134] 与えられるものを与えないでいるには… 投稿者:ジェームス・スミス ― 投稿日:2008/01/25(Fri) 23:41  

親切な一言を必要としている人に、その言葉を惜しむには、痛み苦しむ人の呻きを聞こえないふりをするには、助けを求める人を見てみぬふりをするには、いのちのみことばを聞く機会を先延ばしにするには、知り合いが苦しむとき、彼のために祈らないでいるには、送りたかった励ましの手紙を書かないまま過ごしてしまうには、人生はあまりにも短いものです。

命の危ない病気にかかった子供にぬいぐるを送ってあげないでいるには、疲れ果てた夫婦の子供の面倒を見てあげないでいるには、同僚に花束を渡さないでいるには、人生はあまりにも短いものです。

隣家の前に積もる雪の雪掻きをしてあげないでいるには、午後に老人ホームを訪問しないでいるには、愛する人に手紙を書く朝の一時を惜しむには、誰かに「ありがとう、本当にそこまでやってくれなくてもよかったのに…」という一言を聞かずに一週間を過ごしてしまうには、人生はあまりにも短いものです。

私たちの親切な行動は小さく見えるかみしれませんが、お互いのための行いに秘められた重要性は無限なのです。ヘルマン・メルウィルもこう指摘しています。「我々はお互い数千の繊維組織で繋がっています。こんな組織網の中で、特に思いやりという繊維によって我々が親切にした行動はまた我々自身に戻ってきます。」

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[133] 私たちの仕事の価値 投稿者:マシュー・ロス 投稿日:2008/01/24(Thu) 20:20  

自分を取るに足りない者と思っている人のために

23: 何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から働きなさい。
24: あなたがたが知っているとおり、あなたがたは御国をつぐことを、報いとして主から受けるであろう。あなたがたは、主キリストに仕えているのである。 コロサイ人への手紙4:23〜24

イスカリオテのユダの代わりに使徒に加わったマティアの名前は、聖書に一度しか登場しません。今日のクリスチャンがマティアを知っているのは、12使徒の欠員を埋めるのに、誰か神に選ばれるかをしろとして、使徒たちがくじを引いたことが、短く5節の中に記されているからです。ペトロやパウロのような大物と違い、マティアについては、使徒となってからの業績なども、何一つ書かれていません。その後、聖書の中には全く名前が登場しないので、マティアは何も重要な働きをしなかったのでは、と考える人もいるでしょう。
誰でも、キリストのために働くことに価値があるのかどうか疑問を持つ時があります。宣教師やクリスチャンが病人の世話をしているのを見て、私たちは神を讃えます。しかし私は、自分の奉仕がそのような働きに匹敵するほどのものかどうかと疑問に思うのです。神はマティアの心をご存知であり、この人を使徒とされました。賞賛されるような偉業を成し遂げたわけではありませんでしたが、マティアは神に選ばれ、大切な役割を果たしたのです。
クリスチャンである私たち一人一人に、神は役割を与えて下さっていると、私たちは確信しています。多くの人から讃えられる働きであろうと、それがわずかな人々にしかしられなかったものであろうと、働きの本当の価値は、私たちの誠実さのうちにあるのです。

今日の黙想
キリストのために行うすべてのことに価値があります。

祈祷:神様、あなたから与えられた奉仕に気づき、また日々あなたに仕える無数のクリスチャンを覚えることが出来るようお助け下さい。イエスの御名によって祈ります。アーメン。

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[132] 挫折 投稿者:平安を得るためのヒント 投稿日:2008/01/22(Tue) 22:02  

「イスラエルよ、聞け。あなたたちは、今日、敵との戦いに臨む。心ひるむな。恐れるな。慌てるな。彼らの前にうろたえるな。あなたたちの神、主が共に進み、敵と戦って勝利を賜るからである。」申命記20:3〜4

もう、何もかも捨ててどこかに行ってしまいたいと思ったことがないでしょうか。しばしば挫折は、とても耐え難しくなることがあります。イスラエルの民を例にとってみましょう。この節からわかりますように、彼らは、もうこれで限界というところまできていました。恐れ、うろたえ、足元がふらついて、身体的な耐久力を使い果たしていたのでしょう。しかし、いつものタイミングのよさで、神様は「あきらめないで」という奮起させるメッセージを送りになったのでした。まさに私たちの主らしいと思います。私たちにとってこれ以上の最悪な状態はないと思われるときに、私たちの心を奮い立たせることを神様はしてくださいます。

しかし、さたんはそのままでは引きさがらないでしょう。あなたをできるだけ打ち砕こうとします。でも。あきらめないでください。神様に従い、その力を叫び求めてください。そして、神様に戦いの勝利を勝ち取っていただきましょう。「神様はあなたが持っている挫折感をとても素晴らしいものに変えてくださいます。」

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[131] 笑顔 投稿者:加藤 英子 投稿日:2008/01/20(Sun) 13:31  

仕事に押しつぶされそうな人のために

そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かし、そして、人々があなたがたのよいおこないを見て、天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい。 マタイの福音書5:16

何年も前のことですが、私の職場によく外国人の方が来店していました。その人のことで最も印象的だったのは笑顔でした。「こんにちは」と日本語で挨拶するその方の、柔和で輝く笑顔のお陰で、仕事の忙しさに追われていた私の心が明るくなりました。同時、私はクリスチャンではありませんでしたが、その人がそこにいるだけで雰囲気が明るくなることを感じていました。後に、この方はアメリカから来た宣教師であることが分かりました。それまで私は、こんなに輝いている人に会ったことがありませんでした。しばらくして私は職場が変わり、その方とお会いすることはありませんでした。

その後、私は様々な試練をとおり、イエス・キリストを救い主と信じ、神の恵みの福音に与えました。なぜ、あの宣教師が柔和で輝く笑顔だったか、今はわかります。イエス・キリストの内に生きておられたのです。

今は私も信仰をもって、日々神と交わりの時を持っています。気持ちが沈む時もありますが、あの方に笑顔を思い出しながら、日常の出会いの中で、キリストを知る喜びを人に伝えられる者に変えてくださいと神に祈っています。

今日の黙想
あなたの内にあるキリストの光が人々に見えるような生き方をしましょう。

祈祷:
全世界の神様、あなたの命の光照らし出す灯として、私たちを遣わして下さい。イエスの御名によって祈ります。アーメン。

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[130] 黄金の日々 投稿者:キャロル・J・コンセンティーノ 投稿日:2008/01/19(Sat) 09:58  

その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。詩篇1:3

9月の朝、ドアを開けて外に出ると、ひんやりとして空気が快く触れるのを感じます。それは季節の変わり目を告げ、私の好きな季節の一つが始まろとしていることを知ります。美しい季節、木々の葉は暖かい黄金の日よけた変わり、そのあとひっそりと地面に落ちて行く季節、ひんやりした夜とすがすがしい朝を迎える季節、暖炉のぱちぱちはじける薪のにおいが夜の空気の中に流れ始める季節です。一年のこの時期は恐らく、最も神の創造の美を反映する季節なのでしょう、そして更に、その季節は自分自身の霊的生活について考えさせられます。古いものが去り、新しいものを迎えるというについて思い巡らすのです。

秋は私たちに、すべて命あるものはいろいろな形をとり、変化を経ていくものであることを思い出させます。全く変わらずにそのまま生き続けられるものなどないのです。

季節によって到来する冷たさを快く迎えるように、私たちの成長に必要な変化を喜んで受け入れることを学ぶとき、私たちは本当に生きた活気のあるものになります。これまでと違うことを恐れたり、変化が私たちを苦しめると思わず、私たちの内なる神の御霊の力が私たちを自由にするために、必要なものをもたらそうとして下さっているのだと信じることが出来るのです。

今日の黙想
キリストにあって成長する変化を喜んで受け入れましょう。

祈祷:私たちの生涯のすべての季節で、主よ、私たちがあなたの道を歩みますように。アーメン。

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[129] 怒り 投稿者:平安を得るためのヒント 投稿日:2008/01/17(Thu) 21:09  

19:17 心の中で兄弟を憎んではならない。同胞を率直に戒めなさい。そうすれば彼の罪を負うことはない。
19:18 復讐してはならない。民の人々に恨みを抱いてはならない。自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。わたしは主である。
レビ記19:17、18

この聖書箇所から、私たちを傷つけた人に対して、上手に注意し、またそうすることが適切であることがわかります。根に持ったり、仕返ししてやろうと思ってはいけません。その罪に報いをするのは、神様です。私たちではありません。ひどいことをされた過去をいつまでも根に持つというその思いには、気づかないうちに、復讐しようとする動機が隠されています。傷つけた人に対して仕返しをしたいという、思いがそこにあるのです。

いつまでもそのような思いにとらわれつづけていると、心の病を引き起こしことになりかねません。怒りを解決しないままでいると、復讐心を養うことになります。これは罪深いことです。また、怒りに対してあらためて向き合うことを恐れていると、大きな不安に襲われます。

怒りの感情を持てこと自体はある意味で健全な場合もあります。へペソ人への手紙4章26節によれば、傷つけた人をその日のうちに戒めて注意することは、敬虔なことなのです(そのように命じられています)。このことに気づくなら、人を赦すことも容易になるでしょう。神様に委ねつつ他者を戒めるなら、私たちを不快にした行動が変えられていくかもしれません。

[128] 美しい響き 投稿者:ナンシー・メープス 投稿日:2008/01/16(Wed) 20:38  

わたしは主を愛する、主は嘆き祈る声を聞いて下さる。詩篇116:1

私は親子のための音楽教室の教師をしていて、授業の終わりによく子守歌を歌います。穏やかな音楽は子供たちの気持ちを和らげます。私は、親御さんたちにも家で子供に歌ってあげるよう奨めています。上手に歌えそうもないと言ってためらう親御さんもいますが、そういう方たちには、子供は、プロの歌手や熟練した歌手よりも、誰よりも親の声が好きなんですよ、とはっきり言います。

この親御さんたちの態度は、私の神との関係に何と使いことかと思わされます。私は自分の単純で口ごもる祈りは、これまで聞いてきた他の人々のように感銘深く、意味深いものにはなっていないと度々思ってきました。それでも私は、神は私の声を聞くことを願っておられることを知っています。しかし、私の心の底からの祈りは、私にはぎこちないものに聞こえても、神には音楽のように響くのです。

今日の黙想
神様は日々、私たち一人一人の声が聞こえるのを待っておられます。

祈祷:恵みの神様、あなたの子供たちの声に耳を傾けて下さることを感謝します。私たちが信頼を持って、イエスが私たちに模範として与えて下さった祈りをあなたに捧げられますように。

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[127] 毎日がクリスマス 投稿者:エリザベス・ソーンダース 投稿日:2008/01/14(Mon) 21:47  

あらゆる良い贈り物、あらゆる完全な賜物は、上から、光の父から下って来る。父には、変化とか回転の影とかいうものはない。ヤコブの手紙1:17

私が他の州で仕事を得た時、新しい雇用主は私にすぐに仕事を始めてほしいと言いました。私は持ち物全部を荷造りする時間がなく、当面着る物だけをまとめました。そして私が留守の間に友人たちが残りを箱に詰めてくれました。私が残りの引越しをするために家に戻ったとき、友人たちは再び手伝って、梱包した荷物を私の車と借りてきたトラックに積み込んでくれました。

新しい家では、何が何処に入っているのか分かりませんでしたが、私は友人たちの助けに感謝しました。それから数週間は箱を開けながら、忘れていたものをずいぶん見つけました。箱一つ一つに意外なものが入っていたからです。

それは別の意味でもクリスマスのようでした。友人たちは私に、どうしても助けが必要になったとき、時間を割いてくれました。でも私は遠く離れていましたから、その人たちに贈り物のお返しをすることは出来ません。神は、私が絶望的になって救いが必要になったとき、キリストという贈り物を下さいました。私はそのお返しをすることはとても出来ません。私に出来ることは、神が与えて下さる物を受け取り、感謝するだけです。

今日の黙想
神は友人を通して私の生涯にどんな恵みをもたらして下さったでしょう。

祈祷:愛する神様、イエス・キリストを通して救いの贈り物を有難うございます。あなたが私たちの必要を備えて下さることを感謝します。友人たちを感謝します。私たちを人々の必要を満たすためにお使い下さい。アーメン。

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