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[43] 暗い場所に咲く花 投稿者:荒野の泉 8.24 投稿日:2007/08/24(Fri) 13:40   <URL>

わたしは、すべての物を受けてあり余るほどである。ピリ4:18

 わたしの園芸書の中に、はなはだ興味深い題のついた一章がある。それは「暗い場所に咲く花」というので、少しも日光のはいらない場所を取り扱ったものである。この案内書は、うす暗い隅を恐れない花のことを物語っている。しかも、しれはおしれないばかりか、むしろ好んでそこに繁茂する。同様のことが霊界にもある。彼らは物質的な環境が厳しくなってくる時に成長する。彼らは暗い所に成育する。わたくしたちは使徒パウロの経験のいくつかを他の方法によっては説明できない。

 彼らはローマで捕われの身となった。彼の生涯の大目的は破壊されたように見える。それなのに、その花は、この打ち倒そうとする暗さの中に輝いて人目をひく姿をあらわし始める。彼らはかつて順境の時にこれらの花が咲いていたのを見たかもしれないが、それらの花は今や、比較のできない力と美とをもって現れた。約束の言葉は以前に見たことのない宝を出したのである。

 この宝の中に、キリストの恩寵、キリストの愛、キリストの歓喜と平安、といった驚くべきものがあった。そしてそれには「豊かにする暗さ」が必要であった。それがこの宝とその内的な栄光をひき出した。
 
 とにかく暗い世界が啓示の家になり、パウロは霊的嗣業の連峻と富を以前よりもあざやかに見ることができた。あなたがたは、暗黒と孤独にかこまれた人々が、力と希望を上衣のようにまとった姿を見たことがあるか。このような人々をどこにでもあなたがたの好きな場所に閉じ込めることができたとしても、それは彼らのもつ宝と一緒に閉じ込めるの同じである。あなたがたは彼らのもっているものを荒廃させようとするだろうが、「荒野とうるおいなき地とは楽しみ、砂漠は喜びて花咲く」のである。

 「最も麗しい花であっても、日の光に揺れる時にはその下に蔭を持つ」

  多くの光ある所には、また多くの蔭がある。


[42] 希望をなくさないで 投稿者:平安を得るためのヒント 投稿日:2007/08/23(Thu) 23:44   <URL>

わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。?主の御告げ。?それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。エレミヤ書29:11

神様は私たちひとりひとりに計画を持っておられます。これは、本当に素晴らしい真理です。私たちは物事の全体をそれも一度に見渡すことができませんし、神様がすべてを知っておられることさえも忘れてしまいます。ですから、私たちは物事が順調に運ばないと、悪いほうに考えてしまいます。そして、たいていその考えは、神様が望んでおられることから遠くかけ離れています。神様は、私たちのために持っておられる計画を必ず成し遂げてくださいます。そして、神様に信頼することです。目に見えない将来のことを心配しないで、心安らかでいることなのです。


[41] 罪の自覚 投稿者:平安を得るためのヒント 投稿日:2007/08/17(Fri) 11:54   <URL>

罪びとたちはシオンでわななき、神を敬わないものは恐怖に取り付かれる。 (イザヤ書33:14)

健全な恐れというのがあります。それは、恐れというよりも、神様への畏敬といったほうがよいかもしれません。クリスチャンが肉的な生き方に流されてしまうときはいつでも、その結果として、両親のとがめに苦しみますが、それは、神様から来る私たちの魂への警告です。この罪の自覚に働きかける神様の警告をなおざりにしておくと、必ずと言っていいほど苦しみが増し、ついにはまったく平安のに世界へ迷い込んでしまいます。

しかし、神様の霊の促しに従うならば、苦しみから解放され、真の自由が訪れます。罪を犯した瞬間から背負ってきた重荷は、消え去ります。神様の許しの愛によって不安に支配された罪の鎖から取り外されたときに、初めて本当の喜びが生まれます。


[40] 弱い 投稿者:えのく 投稿日:2007/08/17(Fri) 11:53   <URL>

神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。詩篇139:23‐24

人は誰でも、人に知られたくない部分を心の中にもっています。人に知られたくないのは、そんな部分を持っている自分を他の人は受け入れてくれないと思うからです。そういう意味で、それは自分自身にとっても受け止めることが難しいものです。自分の最も弱い部分です。ダビデは、「心の奥底を調べて下さい。私の思い煩いを知ってください」と祈りました。自分の最も弱い部分、人に知られたくない部分を受け入れてくださる神様がいることを知っていたからです。知ることは、赦すことです。私たちの全てを知り、そして赦し、受け入れてくださる神様がおられます。そして赦すだけでなく、堅く閉ざした私たちの心に光を照らし、私たちを輝かせ、永遠の道に導いてくださるのです。



[39] たて琴 投稿者:荒野の泉 カウマン夫人 投稿日:2007/08/16(Thu) 13:06   <URL>

人はみんな、ぴんとはられたたて琴です。
それぞれの弦は、きしきしと音を立てます。
力強い音楽家である神が
それぞれの固有の音色を見出すまでは。

すべてが調律されるのは、なみ大抵ではない。
神はなんと熟練し
忍耐深くなければならないことか。
多数のきしきしと音を立てる音色を、
最も美しい天の調和に移し変えるのには。

われらの天の父の懲らしめの苦痛を
数えてはなりません。
むしろ思いやりのある天の父の手に、
あなたのすべてを明け渡すのです。
緊張、試練、労苦、変転などを
天の歌声の中でわれらは理解するでしょう。

人間の力はすべてを修得することはできません。
たて琴の音域の広さは
非常にすばらしいものです。
突き刺されたキリストのみ手と神のみ手だけが
たて琴の賛美をすばらしいものとします。


[38] 現実逃避していませんか 投稿者:平安を得るためのヒント 投稿日:2007/08/15(Wed) 11:47   <URL>

恐れとおののきが私に臨み、戦慄が私を包みました。そこで私は言いました。「私にはとのように翼があったなら。そうしたら、飛び去って、休むものを。」 (詩篇55:5,6)

  学校を無断欠席したくなったり、仕事に行くのがいやになったりしたことがないでしょうか。全てのことから逃げて、どこかほかの場所でまったく新しい人生をはじめてみたいような、そんな気持ちになったことがないでしょうか。私たちはしばしば重圧から逃れたいという思いに駆られますが、縄抜けの名人、フ−ディニのように鮮やかに逃れる人はまれです。隣の芝生は青く見えるでしょうが、その場所でもまた、新たな落とし穴があるものなのです。人生の試練に立ち向かい、その中で成長していくことのほうが、よほどいいのです。私たちのために、神様学ぶべき教訓を用意しておられ、そしてそれは、避けられるものではありません。神様からのチャレンジを受け入れることによって、私たちは、賢く生きるための道具を身に備えたものに変えられていきます。



[37] 4月10日 恩寵を気づかないヨブ 投稿者:荒野の泉 C・H・スポルジョン 投稿日:2007/04/10(Tue) 12:09   <URL>

 「わたしは神に申そう・・・・・何故わたしと争われるかを知らせてほしい」  (ヨブ 10:2)

 ああ、試みられる魂よ、恐らく主はあなたを恩寵に進歩させようとして、このことをなしたもう。あなたが持っている恩寵の中で、試みられなければ決して恩寵として発見されないものがある。あなたの信仰は夏には、冬のようにすばらしく立派には見えないことを知らないのではないか。愛はしばしばほたるのように暗黒に包まれなければ光らない。希望はちょうど星のようなもので、繁栄の陽光では見られない。それはただ逆境の夜にのみ発見される。苦難は黒いくぼみのようなもので、神はその子供らの恩寵の宝石をこれにはめて、更に善く輝かせなさる。

 あなたは跪いて「主よ、わたしは信仰のないことを恐れます。願わくは、わたしに信仰のあることを知らせて下さい」としばらく前に祈ったことがあるでしょう。

この祈りは、多分自覚してはいないが、実は試練あれかしと祈ったのではなかろうか。あなたの信仰が実際に役立つまでは、どうして信仰があると知ることができよう。

 神はわたしたちに恩寵を発見させるために、また恩寵の存在を確かめさせるために、試練を送りたもう。しかもそれは単なる発見ではなく、真に恩寵に成長するのは、清き試練の結果である。

 神は安逸とぜい沢の天幕において、その兵卒を訓練したまわない。しかし、彼らを送り出して強制的な行軍と、困難な働きに用いたまうのである。神は彼らをして流れを渡らせ、川を泳がせ、山々をよじ登らせ、彼らの背に重いバッグをしょわせて、長い疲れる行軍をさせなさる。
キリスト者よ、このことはまさしくあなたがたが通過しつつある苦難の原因ではなかろうか。これこそ神があなたがたと争いたまいつつある理由ではなかろうか。

C・H・スポルジョン

 サタンに悩まされずに居ることは祝福の証拠ではない。



[36] 待つ勇気を持つ 投稿者:恵泉 投稿日:2007/08/13(Mon) 12:58   <URL>

「待ち望め。主を。雄雄しくあれ。心を強くせよ。待ち望め。主を。」詩篇27篇14節

  クリスチャンの人生は、オフロードです。スポーツとして、バイクや車でわざとデコボコ道を走り回ることが流行しています。きれいに舗装された道よりも、デコボコ道を走る方が快感なのでしょうか。わざわざデコボコ道を走らなくても、私たち自身の人生そのものがオフロードを走るようなものです。毎朝の聖書と祈りの時間のために役立つデボーションガイドの本としてよく利用されているものに、「荒野の泉」があります。この書名から伝わる編集者の考えは、「人生は荒野を旅するようなものだ」ではないでしょうか。クリスチャンの歩みを「順調な、問題のない、容易なもの」と私たちが考えているなら、それは大きな誤解です。

  その荒野を旅する中で、私たちは、しばしば、数々のプレッシャーに押しつぶされて、耐えかねて、ついに目的の道からそれてしまう危険を経験するのです。また数々の失敗や問題によって、自信を失い、心が弱くなり、失望してしまう危険があるのです。しかし聖書は私たちに励ましを与えています。「待ち望め。主を。」と二度も繰り返して私たちを励ますのです。問題にぶつかったり、試練に直面してどうにもならなくなった時こそ、主である神様を待ち望むべきです。なぜなら神様は待つに値するお方だからです。誰を待つのででしょうか。この世界が私たちを真に助けてくれるのでしょうか。創造者なる神様以外に私たちの必要を知り、その必要に応えてくださるお方がいるでしょうか。

  待つことは、勇気のいることです。しかしぜひ覚えていただきたいのです。クリスチャンの人生を表現する言葉として、「待ち望む」が一番ぴったりしています。私たちの神様は天の父ですから、必ず、私たちの祈りに応えてくれます。大きな信頼をもって、期待して待ち望みたいものです。


[35] 霊想 投稿者:みちの光 投稿日:2007/08/12(Sun) 12:53   <URL>

見よ。神は私の救い。
私は信頼して恐れることはない。
主は、私の力、私のほめ歌。
イザヤ書12:2

いつまでもうなだれていたり、心配していたり、暗い気持ちでいないであります。神様に思いを向けることが必要であります。神によって希望をいただき、神により頼んで心を強くすることが予想通りにうまくいかないこともあるでしょう。けれども、不必要にそれによって自分の気持を暗くし、心を傷つける必要はありません。問題や事情によって心に出血をさせてはなりません。心を弱らせないでいるならば、現在の、問題を乗り越えて、勝利に進む力は神によって心の中に動くでしょう。

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
移り変わるものを頼りとするな。
神に心を向ける習慣を養え。
心は広くせられ、豊かになるであろう。

お祈り
天の父なる神様、何を力とするよりも、あなた様を力とし、何を頼りとするよりも、あなた様を頼りとして強く生きる者にしてください。



[34] 心を尽くす人生 投稿者:バン・ジイル 投稿日:2007/08/06(Mon) 12:12   <URL>

修道院が盛んだった時代に、アントニオというある修道士が修道院にいりました。彼は長くそこで修練し、これぐらいならいいだろうと自信を持って修道院を出ました。その時、ちょうど修道院の門前で靴屋さんが靴を直していました。修道士は彼に自分の靴を治してもらい、待っている間に話しかけました。
「家族は何人ですか?」
「子ども八人妻と私で十人です。」
「収入はどれくらいあるのですか?家族がそんなに多くては靴を直すだけではお金が足りないのではないですか?」
「……」
彼は何も言わずにただ黙々と靴を直し、少ししてkらこう答えました。
「先生、私はただ主に仕える人たちが、長く楽に靴をはけるように最善を尽くすだけです。私の家族のことは神様が責任を持ってくださいますから。」
それを聞いた修道士は、自分の足りなさを悟り、修道院に戻っていったそうです。
この靴屋こそ、心を尽くし、神を中心に生きる人ではないでしょうか。


[33] 心の思いが漂っていませんか 投稿者:平安を得るためのヒント 投稿日:2007/08/03(Fri) 12:26   <URL>

志の堅固な者を、あなたは全き平安のうちに守られます。その人があなたに信頼しているからです。イザヤ書26:3

心の思いが、まるで広い海の中を漂っていることがあります。空想という波の上をあてもなく漂っているのです。ありもしないことに思いを駆せては時間を費やし、神s間の約束に焦点を合わせるどころではありません、神様の赦しの海―神様の愛―にたどり着いたならば、そこに錨をおろすのが賢明です。そして、この箇所にあるように、しばらすはそのところに留まるのです。