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[82] 罪という病気 投稿者:聖書の福音 投稿日:2007/10/08(Mon) 12:30  

ヨブ記12章7節に書いてあるように獣や空の鳥、海の魚、地に尋ねてみれば、それらすべてを創造されたまことの神様がおられることを私達は覚えることができます。この自然界から、私たちは天地万物を創造された唯一の神様を知ることができます。

 さて、ヨハネの福音書5章にはベテスダの池の記事が出てきます。その池の周りにはいろいろな人が病気で伏せっていました。これらの人々は、まことの神様の前での人間の姿をよく教えています。人間は神様の前に良心に従って真っ直ぐに歩くことのできない足なえであり、神様の前には盲目であるのと同じであり、罪という病を背負った病人なのです。この罪の性質は唯一真の神様を否定してしまうものです。

 ベテスダの池のそばにいた、38年もの間病気で伏せっていた男性は、自分を池に入れてくれる人がいないことを嘆きましたが、このことは私達が世のものに頼っても罪の解決を得ることはできないということを教えています。多くの偶像や迷信、人間の努力では決してこの罪という病気を解決させることはできません。

  私達が救われる(罪の解決を得る)ためには、この病人がイエス様の言葉通 りに床を取り上げて立ち上がったように、イエス様を信じ、罪(神様に対する罪、生活上のもろもろの罪)を悔い改めて、神様の前に立ち上がる必要があるのです。

[81] 1通メール 投稿者:オウサン工房 投稿日:2007/10/06(Sat) 10:40  

永天さん:
「地方伝道の重荷を担って」とても素晴らしい文章です、読み終わるとき、涙が流されました。
私も15年前にも北海道に行ったことがあります。日本で神様の救いを得た私は「負債」を負うような感じでした。祈ります、北海道の為に。

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[80] 素晴らしい贈り物 投稿者:聖書の福音 投稿日:2007/10/05(Fri) 12:42  

どんなに小さいものでも、贈り物をもらって嬉しくない人はいません。
神様は私たちに素晴らしい贈り物を用意してくださいました。

神様は私たちに必要な全てのものを与えて下さいました。
旧約聖書の「創世記」には、「海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配させよう。すべての草と、すべての木の実をあなたがたに食物として与えよう。」とあります。
もともと、空気も水も、魚も、野菜も果物も全部神様が人間のために用意してくださった贈り物なのです。もちろん、私たちの「いのち」もそうです。

しかし、人間は罪を犯したために贈り物を無駄にしてしまいました。
しかし、神様に反抗して罪を犯してしまった人間は、その贈り物を充分に受け取ることができなくなってしまいました。そればかりでなく、「いのち」と引き換えに「死」を受け取らなければならなくなってしまったのです。

神様は、さらにすぐれた贈り物を用意してくださいました。
神様は私たちを愛しておられるので、そのことをとても悲しまれました。
そして今、神様はさらにすぐれた贈り物を私たちに用意していてくださっています。

「神は、実にそのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3章16節)

神様は、私たちにひとり子の「イエス様」という素晴らしい贈り物を与えてくださいました。それは私たちの罪が赦され「永遠のいのち」を得るためなのです。
そして、この贈り物は信仰によって誰でも、どんな人でも受け取ることができます。

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[79] 今日、私はあらゆる形の恵みを見て感謝します。 投稿者:デボラ・キング・へいバーと 投稿日:2007/10/04(Thu) 12:08  

どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んであられることです。    (Tテサロニケ書5:18)

2、3年前から、私は感謝日記というものを書き始めました。毎朝、神と共に静まる時を持ちながら、感謝していることを書き込むのです。たいていは前日のことから選んで書き込みます。すぐ思いつくこともありますが、しばらく考え込まなくてはならないこともあります。感謝することが沢山ありすぎる日もあれば、一つ思い出すのに苦労する日もあります。時々日記を読み返してみると、恵みには、2月の冷たい荒地に咲くスイセンのような小さなことであったり、新しく生まれた可愛い子の心臓手術が成功したといった大きなものまでさまざまある、ということに気づきます。

神の恵みはあらゆる大きさがあるのです。目に見えるものもあり、気づかないほどそっと静かに訪れるものもあります。しかし最も大切なことは、それがどれほど小さくても、大きくても、又、どれほどささやかでも、奇跡的でも、その恵みを神に感謝することを忘れないということです。神はいつも私ちたの傍におられ、いつも私たちを見守っていて下さることを、こうした恵みが表しているのです。

祈祷:すべてのものの与え主なる神様、私たちの恵みのすべてを、あなたに毎日感謝することを忘れないようお助け下さい。アーメン。

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[78] 最高のプレゼントを抱かせよ 投稿者:ビル・ハイペルズ 投稿日:2007/10/03(Wed) 12:10  

私は20代の初めにトリ二ティ大学のギルバート・ビレッジキアン教授から聞いた教訓えを通じて、霊感と確信を得ました。当時、教授は青少年の働きをしている人たちにこのように話しました。「人は誰でも、快楽、財産、人気、権力等、それぞれ他の何かに人生をつぎ込みます。イエスの弟子は主の願いを知っているので、他の人のために自分自身をささげます。何よりも、キリストの信仰にあって、人々を導くことに一生をささげます。神への標識となって仕える人生ほど高貴で美しいものはありません。

神のあがないと変化の力を真に信じる人が、他の人々に贈ることのできる最高のプレゼントは、神と正しい関係を結ぶ方法を教えることです。主は今でも私たちに言われます。「その昔、私が宇宙の果てからやって来たのだから、今こそ、あなたがたが渡って行く番です。毎日、出会う人々に、私のところに来る道を教えなさい。彼らが神を知り、神の知恵と戒めを受け入れれば、より良い人生を歩むことでしょう。罪責感でせずに、従う心で行いなさい。」

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[77] 神様の無条件の愛 投稿者:平安を得るためにのヒント 投稿日:2007/10/02(Tue) 12:23  

神よ。あなたの御思いを知るのはなんとむずかしいことでしょう。その総計は、なんと多いことでしょう。それを数えようとしても、それは砂よりも数多いのです。私が目ざめるとき、私はなおも、あなたとともにいます。 詩篇139:17、18

自分がちっぽけで無意味な存在に思われる時(確かに誰でも、そう感じることがあります)神様が浜辺の砂のように数え切れないほど私たちのことを思っていてくださることを思い浮かべてください。あなたが眠る時も目覚める時も、神様は私達ひとりひとりのことを思っていてくださいます。神様はあなたを愛してくださっているのです。

この世で愛と呼ばれるもののほとんどは、条件つきの愛です。この愛は、「もしあなたがわたくしを愛してくれるなら、私もあなたを愛します」と言いますし、また「僕を愛してくれた分だけ、君を愛してあげる」とも言います。

神様の愛は、そうではありません。また、その愛を完全に理解することはできません。私たちは、自分の存在を無意味だと思ってしまいます。それは正しくないのに、癖のように繰り返し繰り返し、そう感じるしまいます。しかし、私たちがそのように思っている時でも、すべてを創造された全能の神様によって、私たちはとても大切な存在なのです。技量や、持ち物、権力などを自慢して、どうにか人に受け入れてもらおうと心配する必要はないのです。私たちは神様にとってとても大切な存在であると、神様ご自身がそうおっしゃっておられるのですから。このことを受け入れるなら、人の評判を求めての愚かしい競争に、終止符を打つことができます。そうすれば、他の人に認めてもらいたいという悩みに費やしていたエネルギーを、他者を愛し、仕えることにあてることができるようになります。さらに、その人たちからの愛を受け入れることもできるようになります。これこそ、ヨハネの福音書10章10節に記されている、イエス様が言われた豊かないのち、そのものではないでしょうか。

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[76] 感謝、人生のまことの基礎 投稿者:ハ・ヨンジョ 投稿日:2007/09/29(Sun) 09:51  

詩篇 30
1 主よ。私はあなたをあがめます。あなたが私を引き上げ、私の敵を喜ばせることはされなかったからです。
2 私の神、主よ。私があなたに叫び求めると、あなたは私を、いやされました。
3 主よ。あなたは私のたましいをよみから引き上げ、私が穴に下って行かないように、私を生かしておかれました。
4 聖徒たちよ。主をほめ歌え。その聖なる御名に感謝せよ。
5 夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある。
6 私が栄えたときに、私はこう言った。「私は決してゆるがされない。」
7 主よ。あなたはご恩寵のうちに、私の山を強く立たせてくださいました。あなたが御
11 あなたは私のために、嘆きを踊りに変えてくださいました。
あなたは私の荒布を解き、喜びを私に着せてくださいました。
12 私のたましいがあなたをほめ歌い、黙っていることがないために。私の神、主よ。私はとこしえまでも、あなたに感謝します。

いのちによって答えられる神(30:1〜5)

ダビデは自分が高慢だったときの苦しみを振り返り(6〜10節)、そのような自分を救われ、敵を喜ばせられなかった神をあがめます。彼が、自分の栄えを神に帰していたなら、よみにまで下る苦しみには遭わなかったでしょう。神の中で生きるときに繁栄がありますが、人は腹が満たされ、太り出すと、神から遠ざかるものです。ですから、神の人は繁栄のために祈りよりも、”謙遜”のために、また高ぶらないように祈らなければなりません。ダビデは、再び神に泣き叫んで立ち返り、神は謙遜に神を求めるダビデに”いのち”によって答えてくださいました(2〜3節)。謙遜に罪を告白する者に、神はいのちと健康を下さいます。「まことに、御怒りはつかの間、いのちは恩寵のうちにある」(5節)

主にとこしえまでも感謝します(30:6〜12)

ダビデは栄えていたとき、高慢な心で自分の人生は「決してゆるがされない」(6節)と言いました。しかし、人は繁栄によってではなく、「ご恩寵」(7節)によってゆるがされないのです。順境の中では神の御声をきかないのが「人習慣」(エレ22:21)です。ですから、神の民はいつも”高ぶり”を警戒しなければなりません。ひいては、霊的な豊かさも高ぶりを生むものです(Uコリ2:7)。私たちはいつでも弱さを認め、全能る神の憐みと助けを求めなければなりません。神の助けに頼る人だけが、その悲しみが喜びに変わる恵みを経験できるのです。ですから、私たちは「決してゆるがされない」ことを自ら誓うのではなく、神に「とこしえまでも感謝」して生きなければなりません。

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[75] あなたにくださった神のビジョンは何ですか 投稿者:ハ・ヨンジョ 投稿日:2007/09/28(Fri) 12:11  

神様があなたにくださった火が何ですか。
あなたにくださった神のビジョンは何ですか。

神の働きをする人々は、特別に聖霊による分別力が必要です。神は一時私たちを用いられますが、用いられないときもあります。働きを任せられるときもありますが、その働きを取り去っていかれるときもあるのです。このようなとき、必要なのは聖霊による分別力です。それがなければ、神が閉ざしておられるにも関わらず、イエスの名によって、聖霊の御力によって、進んでいた道を続けて進もうとします。これは、その人が失敗をしたり、罪を犯したからではなく、ただ、神の偉大な計画を悟れないために生じる問題です。

時に、私たちの中には、そのような状態になっても悟れない人がいます。神は他のところへ導いておられるのに、気づいてないのです。自分の夢、自分の幻、自分のビジョン、自分の理想、このようなことに没頭するあまり、神の御心を悟るよりも、「これを必ずやり遂げなければならない」という思いに囚われているからです。

あなたの働きをやり続けることも悪くはないでしょう。しかしそれが本当に神様の願われる道ですか。ただ、自分の野望や欲、自尊心や体面のために続けているのではありませんか。このようなとき、葛藤しながらも意地を張り続けるなら、信仰生活にも疲れてしまいます。

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[74] 近道を知っている人 投稿者:ハ・ヨンジョ 投稿日:2007/09/27(Thu) 12:09  

ある人は正しいことを言いますが、人々を怒らせます。それは伝える知恵がないからです。その人の言葉は正しいのですが、それを言い表す方法が未熟で、知恵が足りず、人を傷つけるのです。しかし、ある人はうまく話し、人を傷つけもしないで激励しながら問題を解決して行きます。

このように祈ってください。「主よ、聖霊によって私に霊的な洞察力と正しく確かな知恵を与えてください。そして、私が行くところで、すべての人に神の祝福と神の御力を示すことができるようにさせてください。」近道を知っている人は時間を無駄に使いません。お金とエネルギーを無駄に使いません、このような人はこの世を明るく健康に造ることのできる神の人です。

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[73] 有精卵と無精卵の違い 投稿者:ハ・ヨンジョ 投稿日:2007/09/26(Wed) 12:23  

卵であるからといって、すべてが同じなわけではありません。卵にも有精卵と無精卵があります。雌鶏だけで産まれるものが無精卵であり、雌鶏と雄鶏の受精によって産まれたものが有精卵です。卵を温めたり、雄鶏が胸にた抱けばすべてひよこになるのではなく、有精卵が孵化した時によこになります。

無精卵は抱いていればかえって腐ってしまいます。表面的には無精卵が有精卵よりも大きい時がありますが、大きさがひよこの孵化を決定するのではありません。

このように、私たちも表面的にはみな同じように立派な人間です。キリストを信じない人の方がキリストを信じている人よりももっと賢い、教養があり、もっと道徳的であることもあります。しかし、だからといってその人が天の御国へ行けるのではありません。有精卵だけがひよこに変わるように、キリストにあるいのちを持つ人だけが天の御国へ行けるのです。キリストを受け入れる瞬間、神のいのちがその人の中に生まれるのです。

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[72] お父さんの手紙 投稿者:あなたのために用意されていた贈り物 投稿日:2007/09/25(Tue) 12:30  

一人の父親が子どもが生まれてすぐ、遠い国で過ごすことになりました。父親は切実な思いで子どもをちゃんと育ててくれる養父母に預け、毎月子どものために生活費を送りました。あまりにも幼い子どもと離れなければならなかったので、父親は子どものために、愛情をたっばり込めた手紙を書き残しました。その手紙に、どのようにその子が生まれ、どれほどかわいがり、愛していたか、それいも関わらず、離れて暮らさなければならない事情などを細かく書き込みました。そして、今その子のために頑張って働いて、跡で必ず迎えに来るという約束も書いておきました。

やがてこどもは字が読めるぐらい成長し、お父さんの手紙を読みました。しかし、時が過ぎ、一人で孤独と戦うときは、離れているお父さんに文句を言いたくなりました。その度に子どもはお父さんの手紙を読み返し、自分へのお父さんの愛をもう一度確認しながら、希望を持って待っていたのです。いつか素敵な所に連れていくために自分を迎えに来るお父さんを・・・

完全な天国が来る前の過渡期を生きて私たちは、時に神が見えないため落胆したりします。しかし聖書は、神が私たちにくださったお父さんから手紙です。一度も会ったことのないお父さんがどんな方よくわかる一番確実な道なのでs。私たちが聖書を読み、愛するのは、宿題だから、または義務だからではなく、私たちに向けられた神の愛がこもった手紙だからです。

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