みんなの掲示板はキリスト教についての証し、福音を分かち合いたいこと、宗教話題についての掲示板です。
これ以外目的での話題が削除させていただきますので。ご了承お願い致します。
This BBS is only for sharing our happiness, worship and conveying the gospel about christianity.
except these, everything will be deleted
http://godarea.net/
[留意事項] [ワード検索] [過去ログ] [管理用]
 
おなまえ
Eメール
タイトル
コメント
参照先
暗証キー (記事メンテ用)
 

[27] 不安 投稿者:平安を得るためのヒント 投稿日:2007/07/20(Fri) 12:13  

あなたは主を避けどころとし/いと高き神を宿るところとした。
あなたには災難もふりかかることがなく/天幕には疫病も触れることがない。
主はあなたのために、御使いに命じて/あなたの道のどこにおいても守らせてくださる。
詩篇91:9-11

神様お信じない人には、不安に襲われても避ける所がありません。また真の安らぎもありません。しかし、神様を信じる人には、避け所が確保されています。それに何よりも、真の平安を得ることができます。神様が私たちの避け所だからです。私たちが神様のもとに走り寄っていくならば、安らぎが与えられるということを、神様は約束しておられます。

 神様を信じる人も信じない人も、同じように不安に襲われますが、真の安らぎを得ることができるのは、神様を信じる人たちだけです。神様は、ひとりで背負ってきた重荷から解放してくださいます。それだけではなく、私たち自身を含めてまるごと背負ってくださいます。

http://godarea.net

[26] みことばの黙想にゆっくり時間をとって 投稿者:平安を得るためのヒント 投稿日:2007/07/19(Thu) 23:04  

あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。 詩篇119:105

 不安な人は、先のことばかりを心配していて、今のこの時を喜んでいません。しかし、神様のことばを日々を学び、黙想するなら、不安に悩まされている人も、本当の、そして永久不変の平安を見つけ出すことができます。神様のことばは、平安で、より穏やかな人生への道を照らします。

http://godarea.net

[25] 長所と短所 投稿者:平安を得るためのヒント 投稿日:2007/07/17(Tue) 12:26  

それはあなたが私の内臓を造り、母の胎のうちで私を組み立てられたからです。私は感謝します。あなたは私に、奇しいことをなさって恐ろしいほどです。私のたましいは、それをよく知っています。私がひそかに造られ、地の深い所で仕組まれたとき、私の骨組みはあなたに隠れてはいませんでした。あなたの目は胎児の私を見られ、あなたの書物にすべてが、書きしるされました。私のために作られた日々が、しかも、その一日もないうちに。   詩篇139:13〜16

 変えようのない心や身体の欠点について思い悩んでいないでしょうか。もっと知的だったら、もっと健康だったら、もっと背が低かったらとか高かったらとか、もうちょっと違っていたらいいのに、と思っていないでしょうか。

 どんなこおにでも完全でありたいと願うあまり、私たちの変えることのできない特性も神様によって造られたものである、ということ忘れてしまいます。完壁な人間はひとりもいないのです。主は、私たちひとりひとりに、長所を与え、弱点をお許しになりました。さらに、神様は御名の栄光のために、そのどちらをも用いることができます。

 取り除かれない弱さや欠点について思い悩むのにエネルギーを無駄に使うよりも、神様に自由に、しかもそのもこころままに御業をしていただくことにむしろ心を傾けましょう。

http://godarea.net

[24] 優しく話しましょう 投稿者:平安を得るためのヒント 投稿日:2007/07/16(Mon) 23:13  

柔らかな答えは憤りを静める。しかし激しい言葉は怒りを引き起こす。(箴言15:1)

  心の葛藤の多くは、ピリピリした緊張状態にある対人関係から生まれます。其の緊張状態を避けて通るのは、不可能に近いことがありましから、ここで勇気を持って向き合ってみましょう。しかし、けんか腰ではなく、です。私たちはつみ深いですし、もともと弱い存在です。其の反対に、サタンは狡猾な誘惑者ですから、私たちは、時々、怒りの対決という罠にはまってしまう事があります。

  神様は、ある解決法を持ちです。それは、物柔らかに応じ、せっかん(処罰)の棒は持ち歩かないということです。私たちの性質は弱点だらけです。其の中でも特に私たちのうちにある最悪の部分を刺激するような人たちに、物やわらかく応じるというのが、神様が望んでおられることです。自己防衛をして本来ならわめき返してやりたいところなのですが、そんな時、神様は、もっといい道、平安への道を差し出してくださいます。なぜかですって?神様は私たちが興奮すると血圧も上がるということを知っていらっしゃるからです。そうなると、身体の健康は損なわれますし、精神的にも神経がすり減ってしまいます。そして、霊的な力は使い果たされてしまいます。

  しかし、物柔らかに応じるということは、簡単なことではありません。いつもそうしているというのは、なおさら不可能ですから、自分の声を静めることができるように、神様の助けを求めましょう。相手の方も、それでは、なかなか口論しにくくなるでしょうから。それでは、相手の立場に立って考えてみようかという気持ちにまで、その人の心が動かされることもあるのですから。

http://godarea.net

[23] いつまでも根に持たないで、赦しましょう 投稿者:平安を得るためのヒント 投稿日:2007/07/16(Mon) 19:46  

人に思慮があれば、怒りをおそくする。その人の光栄は、そむきを赦すことである。   箴言19:11

 「赦してあげる。でも、このことは決して忘れない」というのは、「いいや、決して赦さない」と言っているのと、単に言い方が違うだけでほとんど同じです。人を赦さないままいつまでも根に持っていては、決して平安は養あれません。それで、多くの不安熱狂者たちが、仕返しのチャンスに飛びつく霊に支配されてしまいます。

 どんなに威嚇されても動じないほどに、私たちはキリストの内にゆったりと憩う必要があります。しかし、人の足に踏みつけられるだけ踏みつけられなさいと言っているのではありません。憎悪に満ちた人たちの罵倒やひどい仕打ちに、無防備でいろと言っていろのでもありません。私たちの生涯において神様の名誉にかけて断固として立ち上がらなくてはならない状況ならば、聖書はそうすることを禁じてはいません。しかし、私たちの命を短い導火線で爆発させるようなことをしてはならないのです。不当な取り扱いを受けても、神様は、赦してあげなさいといっておられます。そうするなら、怒りの足かせから解放していただけます。

http://godarea.net

[22] 大歓迎 投稿者:アパ・ルーム 投稿日:2007/07/11(Wed) 23:21  

  主に望みを置く人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない。(イザヤ40:31)

  私は街に行ったり、公園をそぞろ歩いたりといった、”健常な”人々がすることをしてみたいと思っています。でも私は、少ししか目が見えず、耳も聞こえないし、体も麻痺しているというように、いくつもの障害を抱えているので、多少とも気後れがし、”劣等感”を持っています。いつも盲導犬を連れて行く必要があるので、当然人目を引くことになります。神がともにいてくださっても、居心地はあまりよくありません。
  けれども、神の教会に行くときは、気後れも劣等感も覚えません。神は障害者に優しく、暖かく、情け深い方なので、障害を恥ずかしいとは思わないのです。神の目には、私たちはみな平等です。神を見るための完全な視力も、神に聞くための一対の聞こえる耳も必要ありません。車椅子に座っているから、神のみ手が私たちに届かない、いうことはありません。神の家にいるときは、居心地がいいのです。

http://godarea.net

[21] 機会の泉 投稿者:アパ・ルーム 投稿日:2007/07/11(Wed) 23:18  

「神がハガルのめを開かれたので、彼女は水のある井戸を見つけた」(創21:19)

  私はまた泣き出しました。私は夫の仕事のため、仕事や子供、孫、親しい友人や教会の人々から4000キロ以上はなれた場所にやってきたのです。夫は新しい役目が与えられて喜んでいましたが、私はさびしく、何もするきになれず、つらかったのです。
  窓の外を見ると、教会の高い塔が見えました。電話帳を開き、いくつか電話をかけた後、女性のための聖書研究会や夫婦で参加できるプログラムのある教会が見つかりました。教会へはじめていったとき、私は神の愛の滋養に富んだ泉に深く根を下ろし、成長し始めました。
  神は生ける水を私たちに備えておられます。失望のとき、与えられている泉が見えるように目を開いてください、と私は神に願います。私の問題の解決となる人や答えが見つかったり、心の変化が起きたりしますが、いつも泉は見つかります。窓の外を眺めて、教会の塔を見るたびに、私はこの真理を思い出しています。

http://godarea.net

[20] 避けどころ 投稿者:平安を得るためのヒント 投稿日:2007/07/11(Wed) 23:15  

主に身を避けることは、人に信頼するよりもよい。(詩篇118:8)

 この世の中の人は、私たちを見捨てるかもしれません。とても残念なことですが、友人の間柄であっても、そのようなことがあるのです。さらに悲しいことは、そんな目に遭った時に、誰にも心を打ち明けることはできなく、さらに思い悩みをつのらせてしまうことです。

 神様は、私たちにとって避難所を求めていくべき唯一の方です。ただちに神様のもとに、身を避けましょう。神様こそ、唯一の、また決して私たちを見捨てることをなさらない、親しい友でいらっしゃるのですから。

http://godarea.net

[19] 神様の慰め 投稿者:平安を得るためのヒント 投稿日:2007/07/11(Wed) 12:56  

主は私の羊飼い。
私は、乏しいことがありません。
主は私を緑の牧場に伏させ、
いこいの水のほとりに伴われます。
主は私のたましいを生き返らせ、
御名のために、私を義の道に導かれます。
たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、
私はわざわいを恐れません。
あなたが私とともにおられますから。
あなたのむちとあなたの杖、
それが私の慰めです。
詩編23:1〜4

 この箇所は多くの人にとって慰めと安らぎの源となっています。これほど心の中に描写しやすくて美しい表現は、聖書の他の箇所にそう多くみつけることができません。この羊飼いの詩は、なぜこれほどまでに、人の心を励ますのでしょうか。試練の時に私たちが受けたい慰めを適切に描いているからでしょうか。
 私たちは、慰めを受けたいと願うだけで、終わってしまいますが、イエス様から慰めをこの瞬間にも、受けることができます。ただし、指を鳴らしたらすぐに与えられるということではありません。まずその慰めを受け入れなくてはならないのです。そうでなれれば、真の慰めを得ることはできません。自分の傷にしがみついていたのではいつまで待っても心を癒してくれる慰めを受けることができません。緑の牧場の門のすぐそばに、その傷を降ろさなければならないのです。そこで初めて、慰めと癒しを受けとるために心が開けれ、実際に魂と心の慰めの癒しを得ることできます。

http://godarea.net

[18] 7月8日 この荷物を取り上げて負え 投稿者:荒野の泉 投稿日:2007/07/10(Tue) 20:36  

「しかし主を待ち望む者はわしのように翼をはって、のぼることができる」(イザヤ40:31)

 鳥がどのようにして翼をもつことができるようになったかということについて一つの昔話がある、彼は最初翼が無かった。神は翼を造ってこれを鳥の前に置いた。そして「この荷物を取り上げて負え」と言われた。鳥たちはうるわしい羽毛と声を持っていた。歌うことができ、羽毛は日光に輝いていたが、空高く上ることはできなかった。彼は最初その前に置かれた荷を取り上げることをためらったが、やがてこれをくちばして取り上げ、肩にかけて運ばうとした。

 しばらくは荷物は重そうに見えた。けれどもこれをその心臓の上にたたみこんで、運んでいく間に、翼はその小さい身体に密着し、それを翼として用いることができるようになった。それから彼らは空中高く上った―重荷は翼になった。

 これはたとえ話である。私たちは翼の無い鳥であった。私たちの義務と仕事とは神が私たちを天の方に引き上げために造りたもうた翼である。私たちは重荷と苦労と眺めて萎縮する。しかし、私たちが、それを取り上げて心臓の周囲に結びつける時、それは翼となって神の方に私たちを舞い上らせるのである。

 もし私たちが喜んでこれを取り上げ、愛をもってこれをになうならば、どんな重荷も私たちの祝福とならないものはない。私たちの骨折りは私たちを助けるもので。私たちが肩いれて荷を取り上げることを拒むのは、成長の新しい機会を失うことである。

 どん圧倒的な重さであっても、神がご自身の御手をもって私たちの肩に結びつけたもうたことは幸福である。

http://godarea.net

[17] 7月9日 選ばれた私たち 投稿者:荒野の泉 投稿日:2007/07/09(Mon) 12:21  

「私は患難の炉の中にあなたを選んだ」(イザヤ48:10)

 神は多大な慰めをくれます、火炎の勢いを和らげる静かな雨のように、また私たちに熱も焼くことのできない石綿でできた防具を着せたように。 困難よ、くるが良い、神は私を選んだのだ。貧困よ、疾病よ進入しても良い。私はかみ選ばれたのだ。何事が私のうえに起ころうとも、私は神が私をお選びになったことを知っている。

 恐れてはならない、イエスはいつでも私たちとともにいる。火のような試練の中で、神は私たちへの慰めを持って君臨している。神は自分が選んだものを決して捨てない。なぜなら神は「恐れるな、私はあなたとともにおる」(創世記26:24)と約束してくれたからである。

http://godarea.net

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11] [12] [13] [14] [15] [16] [17] [18]

処理 記事No 暗証キー