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[170] 神の創造物 投稿者:リリアン・サルダーニャ・コンポス 投稿日:2008/05/10(Sat) 18:17  

初めに、神は天地を創造された。 創世記1:1

「あそこの木々はとても堂々としているわね」と、私たちが町の通りを歩んでいたとき一人が私に言いました。生き生きとした緑の葉、大きくてしっかりした幹、それぞれが思い思いに茂った枝のことを指して、そう言ったのです。

私たちの体は完璧な創造主の完璧な手による完璧な創造物です。神は木々だけではなく、花壇にあふれる織細で良い香りの種々の花々や、力強く押し寄せっては色々な形や大きさや小石をきらめかせ、細かい砂を動かす海の波も創造されました。

神は、神の計画にそった創造の順序の中に人間の場所を決めておられました。それほど私たちを愛しておられるのです。しかし、いつしか私たちは美と善という神の贈物を忘れてしまっています。それどころか森林を破壊し、河川を汚染し、不必要な無駄なゴミを作りだしきたのです。

私たちが礼拝する神、すべての命の与え主は、愛を持って私たちが楽しむことが出来るように、美しい世界を光や美、音楽、色など何もない所から創造されたのです。この驚きべき贈物を丁寧に扱う、大切にしましょう。

祈祷:創造主なる神様、私たちが地球の美しさと善の物を見守り、保存するようにさせてください。アーメン。

今日の黙想:神が私に信託された世界を見守るために私はどのように役立っているでしょうか。

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[169] 今日という日を喜ぶ 投稿者:マリー・E・ディスブロー 投稿日:2008/05/09(Sat) 17:19  

今日こそ主の御業の日。今日を喜び躍ろう。  詩篇118:24

「主よ、疲れてしまいました」私はこの数週間、毎日目覚めるたびに、気が付くとこのようなうめき声をあげていました。私は夫とともに7年以上も、高齢で寝たきりの夫の母介護をしてきました。介護という重荷がいつしか私にのしかかっていたのです。

ある朝、目が覚めると、詩篇118:24が心に浮かんできました。私は窓の外に目をやると、外には雪が積もっているのが見えました。私は雪の中をとぼとぼ歩くのは好きではありませんでしたが、その雪景色は確かに美しいものでした。「今日こそ主の御業の日」と私は着替えて鶏に餌をやるために外に出ました。私の毎朝のつぶやきが、創造物の美しさに対する神への讃美に変ったのです。喜びという神からの贈物が私の気持ちを宥め、その日にするべき仕事に向かう私の思いと心に平安を与えてくれました。

祈祷:父よ、私が祈る時、私たちに喜ぶことを思い出させ、喜び力を与えて下さることを感謝します。アーメン。

今日の黙想:今日の黙想:神にある喜びを選び取るならば、その日一日の見方が変ります。

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[168] 神を求めて 投稿者:ナンシー・J・ストーファー 投稿日:2008/05/06(Tue) 09:12  

しかしあなたたちは、その所からあなたの神、主を尋ね求めればならない。心を尽くし、魂を尽くしもとめるならば、あなたは神に出会うであろう。

ある日曜日の説教の終わり頃、牧師は「出て行って、神を捜し求めなさい」という課題を私たちに与えました。私は「どうすれば神を見出せるのかしら」と思いました。私は聖人でも学者でもなく、また、常に神の御心を理解しているわけでもありません。神はあまりに偉いな気高い方で、私の手に届きそうもありません。

それでも、その週、目と耳を働かせた私は、毎日、身近なところで神の臨在を見出すことができました。巣作りをしているマネシツグミの愛らしい歌声を聞きました。生まれたばかりの赤ちゃんの柔らかい肌や労働者の節くれだった手を見て、神の存在を感じました。冬を越して最初に咲いた花や、飼っている犬の優しく賢い目の中にも神を見出しました。神はどこにでもおられ、いつも一緒にいて下さいました。私は新しい形で神を理解しました。

祈祷:愛する天の父よ、日々の生活の中であなたの素晴らしい祝福に気づかせてください。お祈りします。アーメン。

今日の黙想:神は常に、全創造物と共に、あまねくおられます。

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[167] 人生の旅路を忠実に辿る 投稿者:ディーン・メイルズ 投稿日:2008/04/27(Sun) 14:32  

「あなたがたは地上に富を積んではならない。そこでは、虫が食ったり、さび付いたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。富は、天に積みなさい。」マタイ福音書6:19〜20

私は50歳の誕生日という大きな節目を迎えようとしています。以前はすっかり老人のように思っていた年齢ですが、今はそれほどとは思いません。様々な疑いが脳裏に浮かび、後悔は喜びの妨げになっています。私は成功者だろうか。私が死んだ後、人々は私を記憶しているだろうか。自分の少年時代を思い出し、少年の私は今の私を誇りに思うだろうか、と考えます。

この年齢になると、これまで自分が成し遂げたことや築いた財産によって満足感を得ようとし、また人との比較によって私の人生の価値を計ろうとする誘惑にかられています。しかし、それは絶望に陥るだけです。

私はこの自分の思いを神と語ろうとしていました。祈りのうちに、神は私の人生について立てられた神の計画、つまり私だけのために立てられた比類のない人生の旅路について思い起させて下さいます。誕生日のケーキのろうそくを吹き消す時のように、私は神の誠実と神が私に与えて下さった人生を祝います。人生の一番良い部分はまだこれから訪れるのです。私はこの旅路で幸せを見出すでしょう。神が「よくやった」と言って下さる時、私は心から喜びを感じるでしょう。なぜなら神を喜ばすことが最も大切なことだからです。
祈祷:主よ、私のために立てられたあなたの計画に従う喜びを見つけられるようお助け下さい。アーメン。

今日の黙想:キリストに従う者には、最良の部分はこれから訪れます。

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[166] 成長する輪 投稿者:フランク・ラミレス 投稿日:2008/04/24(Thu) 00:18  

彼らは主が輝きを現すために植えられた、正義の樫の木と呼ばれる。イザヤ書61:3

カリフォルニア州のヨセミテ国立公園の素晴らしい景観の一つに、古い巨木セコイアの林があります。セコイアは樹齢数千年にもなります。樹皮は酸で覆われているので、虫の害を受けません。根は四方に張りまわり巡らされ、乾燥した気候の中でも水分を得ることが出来ます。そうしてたびたび落雷に会いながらも生き延びてきました。

その中でも、最も珍しい木は望遠鏡の木と呼ばれる木です。内部が完全に空洞になっているので、観光客は根元に近くから空洞に入り、真上を見上げると、空だけが見えるのです。それでも木が生きているからです。その薄い輪が幹の樹皮近くにある薄い環状の幹の樹皮よりも重要なのです。

このように驚くべきたくましさを持った木があるのです、枯れでも不思議はない状況で、芽吹き、花を咲かせ、成長します。同じことが教会にも当てはあります。熱い信仰を持った小さなグループが、教会全体に命をもたらします。自分の教会に失望している時でも、神の霊の力によって、私たちは生き生きと成長する輪となり、群れ全体に命と成長をもたらすのです。

祈祷:命の主よ、私たちの中に生き、息を吹きかけ、私たちを成長させて下さい。アーメン。

今日の黙想:私たち一人一人が、教会に命を吹き込むことが出来ます。

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[165] 完全な愛 投稿者:ライラ・ゲイツ 投稿日:2008/04/21(Mon) 21:09  

それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大きいなるものは、愛である。

以前、テレビで83歳の女性のインタビューを見ました。政治家としての長く波乱に満ちた人生と、その私生活について質問されていました。知的な人で、その答え方は明快でした。最後に、キリスト教信仰について質問が出ました。その人は、しばらく黙っていましたが、「信仰は私の人格の生きた部分です。信仰は私のむちであり、杖です」と言いました。そして更にこう言いました、「私の厳格な父は昔風のカルビン派で、すべてを罪深いものと考える人でした。しかし今、私が知っている主はそのような方ではありません。神は罰する神ではなく、愛と義に満ちた方です」

この言葉は、私が自分の信仰を見直すきっかけになりました。
私も信仰が希望を与えてくれているということができます。信仰がなくては、希望はありません。時には疑いを持つこともありますが、信仰が確信を与えてくれました。また、神や聖書については疑う余地はなくても、自分のことが分からなくなる時があります。私はちゃんと出来ているのか、神の愛を受ける価値がある必要はない、ということに気がつくのです。神の恵みの光の中では、私たちはそれぞれが受け入れられているからです。神の愛は私たちを取り囲み、歓迎して下さいます。

祈祷:希望と喜びの神様、ありのままの私たちを愛して下さることを感謝します。アーメン。

今日の黙想:主を信じましょう。そうすれば、主はあなたを信じてくださいます。

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[164] 励ましの種を蒔きましょう 投稿者:平和を得るためのヒント 投稿日:2008/04/21(Mon) 12:30  

心に不安のある人は沈み、親切なことばは人を喜ばす。(箴言12:25)

緊張感、過敏症、心配症、不眠症、発汗、頭痛、呼吸亢進、神経性胃炎、心臓の鼓励が速い、頻尿、性不能症、不感症。これらはすべて、あるところで不安が原因して起こることがあります。不安は、しばしば身体的な異常をもたらしたり、心の病を引き起こす原因になったりします。ですから、心に重くのしかかる不安の源を探し出すことが必要です。

不安がっている人には、時にかなった励ましのことばをかけて、ひとりぼっちではないことを知らせてあげましょう。励ましのことばの種を蒔けば、いつか刈り取ることができます。その親切は、やがて実を結んで自分に返ってきます。あなたの思いやりを感謝する人たちから、今度はあなたが励ましを受けるのです。親切なことばによって不安な思いはあっという間に消し去られてしまうことでしょう。

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[163] 神様がそう言われたから 投稿者:ラトニカ・L・ジョンソン 投稿日:2008/04/19(Sat) 09:02  

あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陷れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によって私たちは「アッバ、父よ」と呼ぶのです。 (ローマ書8:15)

子供の頃を振り返ってみましょう。必ず約束を守ってくれる、どんな時でも信頼できる人は誰でしたか。私の場合は数人でしたが、言ったことは必ず守ってくれる人たちを私は頼りにしていました。その人は私の祖母です。祖母が私に約束をしたら、必ずそれを守ってくれるのは確かでした。だから私は安心していられました。

大人になっても、常に約束を守って下さる方を知っているとは、素晴らしいことだと思います。神は私たちを決して離れず、見捨てないと約束しておられます。これはつまり、神が私たちを心にとめていて下さるということです。約束が成就するのを目の前で見ることはなくても、神がそう言われたのですから、私たちはこれから祝福を受けるのだという確信を抱き、安心していられるのです。

祈祷:主よ、あなたが私たち決して離れず、見捨てないという保証を感謝します。あなたが私たちに対する約束を守って下さることを毎日思い出すように、子供のような信仰を私たちにお与えて下さい。イエスの御名によって、アーメン。

今日の黙想:子供のような信仰がキリストのような信仰なのです。

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[162] 言行一致のキリスト教 投稿者:リー・ストロベル 投稿日:2008/04/15(Tue) 23:37  

私の霊的な旅路において最も大きな影響を与えた人たちは、おそらくリンダとジェリーでしょう。彼らは私にとって光と塩のような存在でした。リンダとジェリーは私たち家族の近所住んでいて、私の娘サラととても親しい友だちだったので、お互いよく知っている仲でした。リンダとジェリーは気付かなかったかも知れませんが、私たちは日ごろから彼らの生活リズムを細かく観察していました。彼らがはっきりクリスチャンだと話したため、私たちは彼らが本当にクリスチャンかどうかをしりたかったのです。

長い間彼らの生活を観察しながら、どのような面を発見したでしょうか。私たちは彼らが決して完璧な人ではないことが分りました。それだけでなく、彼らは決して完壁な振りもしないということも分りました。私たちが彼らから特に見つけたものは、私たちを受け入れてくれる温和な心、葛藤があればしっかり和解しようとする心、自分の性格の愚かな部分を、はっきりと認め整えようとする努力、クリスチャンとしていつも幸せな振りをしないこと、自分たちの時時信仰に対し葛藤を覚えることを認める態度でした。

しかし、何よりもこのような態度の基となっている精神、少しずつイエスに似ようとするの正直な望みでした、彼らは本当のクリスチャンでした。彼らは光と塩であり、妻と私は彼らの生き方を見て神の御国の民になりました。

今日の祈り
主を伝えるとき、御霊の力に頼ることができますように。主のもことばと御霊の力が人々を変えることを信じ、大胆に伝えられるようにしてください。

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[161] 香り 投稿者:i-suta 投稿日:2008/04/12(Sat) 21:19  

信仰はどれだけ難しい状況も乗り越え、喜びと感謝があふれる生活をもたらします。信じない人々は福音の力を経験して生きる聖徒たちを恐れながらも、同時にうらやみます。自分たちもそのように生きたいと願います。これがまさに初代教会のリバイバルの秘密です。今日私たちも同じ福音と神を信じています。福音は言葉で伝えられますが、その言葉が信じられるためには、聖徒の生活の中に福音の力が現れなければなりません。神の生きているみことばと福音の力は、苦労して宣伝しなくとも、キリストの香を四方に放ちます。しかし、そのような生き方を可能にする最も強い力はイエスの再臨です。主の再臨はすべての信じる者の望みであり、確信であり、力の源です。

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[160] 知恵を用いて 投稿者:平和を得るためのヒント 投稿日:2008/04/08(Tue) 21:49  

わが子よ。すぐれた知性と思慮とをよく見張り、これらを見失うな。
それらは、あなたの魂のいのちとなり、あなたの首の麗しさとなる。
こうして、あなたは安らかに自分の道を歩み、あなたの足はつまずかない。
あなたが横たわるとき、あなたに恐れはない。休むとき、眠りは心地よい。

箴言3:21〜24

知恵について、何か大切なこととわかっていても、多くの人はそれを絶対に必要なこととは思っていないのではないでしょうか。それは、知恵についてそれが何かを知らないからです。知恵は尊い宝石であり、神様から与えられます。しかし、神様を礼拝するという敬虔な思いがなければ、与えられません。また、それは実際に用いているなら、利益が得られます。

神様から与えられた洞察を実際に用いるなら、不安な心に平安が訪れ、夜も安らかに眠られようになります。このように、知恵を実際に用いることよって、平安のの道を一歩一歩進んでいけます。この貴重な宝を見つけ出し、どんどん用いて見ましょう。

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