みんなの掲示板はキリスト教についての証し、福音を分かち合いたいこと、宗教話題についての掲示板です。
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[148] 気苦労 投稿者:平和を得るためのヒント 投稿日:2008/02/28(Thu) 22:27  

25: あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。
26: そんな小さな事さえできないのに、どうしてほかのことを思いわずらうのか。
ルカ12:25,26
根拠もなく心配することがどんなに無駄かということについて、多くの人が本に書いています。読者の中にも、そのとおりだと同意される方がいると思います。このことについて、さらに聞いておかなければならないと言う方もおられるかもしれません。ですから、今回は、少し違う角度から見ていきます。
どういうわけか、私たちは一生懸命に心配すれば何か解決策がみつかるのではないと思っています。またそのように自分に言い聞かせながら歩んでいるようなところがあります。しかし、それでは解決など見つかりません。実際、私たちは、ありもしないようなことについて、また解決必要などほとんどないようなことについて心配します。実を言うと、私たちは自分の心配にしがみついていたいのです。ひちりよがりですが、そのほうが心地よいからでしょうか。そうすることによって、気持ちが慰められると思っているからなのでしょうか。しかし、結局は新たな心配の悪循環が始まり、しまいには苛立ちの原因になるのです。

心配するということは自分中心になっていることの表われです。注意してください。心配しても、何の解決にもなりませんから、そこからは何も期待できないのです。心配をそのままイエス様にゆだねて、私たちの主にその解決を期待しましょう。

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[147] 批判しない目 投稿者:キム・ヤンジュ 投稿日:2008/02/25(Mon) 23:26  

私たちの人生は心配するか、批判するかです。弱い者は心配し、強い者は批判します。主は心配せずに神の義と神の国を求めなさいと語りました。神の国と神の義を求める具体的な適用は礼拝と共同体に属することです。共同体に入ると人間関係に問題が表れ始めます。人によって信仰の種類が異なり、測りが異なるので、問題のない共同体はありません。親子の間ですら問題が生じるのですから、教会の中に、牧場の中に、問題が生じないわけがありません。チャールズ・スウィンドルは批判してはならない七つ理由を次のように述べました。
まず、私たちはすべての事実をみな知らない。
二番目、私たちはその動機を完全に理解できない。
三番目、私たちは完全に客観的な考えをすることができない。
四番目、その状況にいなければ正確に知ることはできない。
五番目、私たちには見えない部分がある。
六番目、私たちには偏見があり、視野が薄れることがある。
七番目、私たちは不完全で、一貫性がない。

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[146] 不可欠な項目 投稿者:ジョー・W・ウォーカー 投稿日:2008/02/22(Fri) 21:15  

あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。(マタイ福音書5:16)

新年が始まりました。私たちは教会の予算を作り始めました。私たちは希望と夢を豊かに持ちましたが、「節約する必要がある」と会計員が言いました。
誰かが、私たちはまず必要なもの、どうしても無くてはならない項目を書き出しましょう、と提案しました。暖房費、電気代、水道代が書き出されましたされました。報酬、音楽関係費、建物の補修費が書き出され、それぞれの金額を下げることが出来ました。それから誰かが、私たちの教会外への支出、例えば伝道のための支出を削減しましょうと提案しました。
この提案を聞いて、私は、新しい灯台に必要なものを揃えようとする灯台守の話を思い出しました。その灯台守は自分が住むとこになるアパートの家具を買い、灯台のてっぺんの明かりのための油を買う前にお金を使い切ってしまったのです。
イエスが「あなたがたの光を輝かしなさい」といわれたのは、教会の電球のことではありません。イエスは従う者たちに「世の光」となるよう命じられたので。教会は暖房や水や建物がなくてもやっていくことが出来ます。しかし、この世に私たちの主の輝かさないでいて、それで教会といえるでしょうか?私たちが飢えた人のために食糧を与え、病気の人を癒し、神の愛についての福音を語ることに関わるを持たないで、キリストの教会であると主張することが出来るでしょうか?これらの項目はまず、私たちの必要として最初に求められるものです。

今日の黙想
あなたの教会はこの世に神の光をどのように輝かせているでしょうか?

祈祷:恵みの神様、あなたの愛の光をもって私たちを信頼して下さることを感謝します。私たちが最優先にすべきこと、私たちの教会や自分自身に不可欠なことに、あなたの光を輝かせる勇気を与えて下さい。アーメン。

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[145] 隠れた思い 投稿者:平安を得るためのヒント 投稿日:2008/02/20(Wed) 23:29  

139:23 神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。
139:24 私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。
(詩篇139:23〜24)

なんと深いことばでしょうか。神様が私たちの心の奥に秘められた思いを明らかにしてくださるのですから。私たちが持っている感情のその下に、害になる行動がおかしいのは目に見えて明らかないのに、それは何故かということを、はっきり指し示すことができません。答えは奥深いところ潜んでいるからです。ある思いが、無意識のうちに心の奥深くどめられることがあります。たいてい、動機というものは、その心(心=理性+感情+意志)の中から生まれます。ですから、その心が、不健全な論理的思考に影響されると、私たちは通常、「永遠の道」よりも「傷のついた道」のほうを歩んでしまいます。

私たちの心の最も奥深くにある気持ちに光を照らして明らかにして導いてください、と神様に祈ることによって、私たちは正しい道に戻されます。それは、平穏な道でもあります。神様に、私たちの心を透かして見ていただくというのが、いつも最善な方法なのです。

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[144] 眠れない夜に 投稿者:平安を得るためのヒント 投稿日:2008/02/18(Tue) 22:38  

139:11 たとい私が「おお、やみよ。私をおおえ。私の回りの光よ。夜となれ。」と言っても、
139:12 あなたにとっては、やみも暗くなく夜は昼のように明るいのです。暗やみも光も同じことです。
(詩篇139:11〜12)

アメリカ合衆国不眠症クラブは、国内で最も大きな非会員制クラブのひとつです。何百万というアメリカ人が、毎晩、毛布で頭を覆い、眠るまでの長い時間、不眠のための会費を支払っています。彼らを取り巻いている暗黒の世界は、雷よりも大きくとどろき、なかなか寝つけるものではありません。それは、さらに音を増し、彼らは大声を上げて泣き叫びます。その全世界が、苦悶のうめき声を上げているようです。

もし、このことがあなたにも起こっているとしたら、あなたに必要なのは、夜の光です。霊的に言うなら、内側の光です。ある人が「私は安心して心を休めることができる。神様には、夜がないのだから」と言っています。あなたもこのことに気づくなら、長く眠れない夜を恐れることはありません。夜のとばりの向こう側には朝日が待機しているのですから。

[143] 犠牲的な献品 投稿者:パトリシア・サメイ 投稿日:2008/02/16(Sat) 12:16  

あの金持ちたちは皆、有り余る中から献金したが、この人は、乏しい中から持っている生活費を全部いれたからである。(ルカ福音書21:4)

教師として始めての年、私は市内の小学校に任命されました。感謝祭の直前、この学校では缶詰の食糧の献品運動が始まりました。各クラスの前の方には毎日の献品を入れるためのきれいな箱が置かれていました、その数が増えていくのを楽しんでいました。

献品運動の最終日、一年生の私のクラスの1人が、大きな缶を誇らしげに持ってきて、この箱にいれながら満面の笑み浮かべているのを見ていました。私は缶には白いラベルが貼ってあり、黒い文で「支給品(骨なしチキン)」と書かれているのを見てしまいました。この子の家族が政府の食糧政策によって食事を支給されていることを知って、涙が流れてきました。そんな中で、ルカ福音書に出てくる、手にした最後の生活費を献げたやもめのように、この子は貧しい台所からこの献品を持ってきたのです。

35年間、多くの食糧献品運動をしてきましたが、私はこの子の犠牲的な献げ物を忘れません。この子は、自分の家族が、私たちが集めた食糧を受け取る側として選ばれていることを知るべきがなかったのです。ただ困っている誰かに与えるという行為を皆一緒にしたかったのです。私は、自分の与えられた時間やモノについて物惜しみしないよう、この子に諭されたのです。その寛大な行為は私にとって人間形成の教訓となりました。

今日の黙想
私たちは飢えている人々に食糧を供給する神の手なのです。に今日するよ造られた善い業とは何でしょう。

祈祷:主よ、あなたが私を恵んで下さるように、私が他の人を恵むようにさせてください。アーメン。

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[142] 雪に結晶 投稿者:オルガ・モスレイ 投稿日:2008/02/09(Sat) 09:32  

なぜなら、わたくしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたくしたちはその善い業を行って歩むのです。エフェソ書2:10

私がいつもお世話している人たちのために、手作りでいろいろなものを作って楽しんでいます。この2、3年の間は、そうした手作りの品がその人たちのクリスマスツリーの飾りになっています。そのうちの一つに雪の結晶があります。雪の結晶を作るときは、それぞれが同じ形になることが大切です。けれども同じ見本から二つの結晶を作っても、いつもわずかに違ってくるのです。全く同じものは二つとないのです。私が「手作り」で何かを作ると、どれも全く同じになりません。

神が私たちを「手作り」で作られたことを知ると、何と不思議なことかと思います。私たちはすべて人間として、全て神の形に似せて作られているのです。私たちは色々な点で似ています。同じ見本によって造られたからです。しかし、私たちは又、個性があって、互いに違ったところがあります。私たちは異なった目的のために造られ、神の子供として、愛し、愛されるように造られているのです。

私たちは、私たちを造られた神にとって、無二のものであり、特別のものなのです。私たちは、他の誰かでは成しえないそれぞれの目的を成就するために仕えているのです。私たちは自分の目の前に備えられた旅路を感謝し、ここにいるのは神に仕えるためであることを知って、その旅路を進むのです。

今日の黙想
神様が私たちに今日するよ造られた善い業とは何でしょう。

祈祷:恵みの主よ、私たちはあなたを愛し、讃えるために、私たちの周りの人々へ愛と奉仕によってあなたに仕えていることを忘れないようにさせて下さい。アーメン。

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[141] 冬の美 投稿者:エリザベス・アン・バッシー 投稿日:2008/02/05(Tue) 22:00  

神が息を吹きかければ氷ができ
水の広がりは凍って固まる。
雲は雨を含んで重くなり
密雲は稲妻を放つ。
雨雲はここかしこに垂れこめ
導かれるままに姿を変え
命じられるところを
あまねく地の面に行う。
ヨブ記37:10〜12

私は新雪の降る美しさが好きです。昨年の私の誕生日に、私は窓の外をみつめ、雪が風で踊っているのに心を奪われました。何と素晴らしい贈物でしょう。雪は優しく舞いながら降りてきて、小さなつむじ風に巻かれて行ってしまいました。私は、神の国と、喜びや悲しみの時期や啓示を通して辿ってきた人生の小道について思いめぐらせました。

ニケ月後、私は電話口で「くびなったよ」という夫の取り乱した声を受けていました。夫の28年にわたる勤務が不当に閉じられたのです。一人でつむじ風の中にいるような、こんな喪失感を感にている時に神を信頼するとは、何と難しいことでしょう。しかし私たちは自分の感情に寄り頼むことは出来ません。信頼は一つの選択です。神は人生の冬の景色の中に美を造ると、信じることが出来るでしょうか?私はそこで信頼することを選ぶでしょうか?

私たちは、心痛と不安の1年の中で、今まで避けてきた道、神を信頼する道を選んだのです。神はその過程で予期せぬ祝福を与えて下さいました。私たちは日々神に寄り頼むことに平安を見出したのです。激しい風嵐に日にも、素晴らしい美を作られるのです。

今日の黙想:今日、私はどのように神を信頼することを選ぶでしょうか。

祈祷:神様、あなたの揺るぎない愛のうちに希望をお与えてください。アーメン。

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[140] 恐れ 投稿者:平安を得るためのヒント 投稿日:2008/02/03(Sun) 23:34  

主は、私の光、私の救い。だれを私は恐れよう。主は、私のいのちのとりで。だれを私はこわがろう。(詩篇27:1)

私たちは、自分自身の過敏な感情によって簡単におびえ、気まぐれな感情にすぐ流されてしまいます。そして、あっと言う間に平安を失ってしまいます。心地よい安らぎを切に願う一方、私たちの内側では、なぞめいた恐怖の霊を解き放して楽しんでいるようなところがあります。ホラー映画や怖い話を、見たり聞いたりすることが好きという人は数え切れないほどいます。サスペンスなら、おもしろく、また無害であり得るかもしれません。しかし、自分の感情で作り上げた恐れにふりまわされないようにしましょう。

私たちはこの人生において真のとりでを持っています。このことを神様に感謝しましょう。私たちが、神様にしがみついていることさえできないほど弱くなっている時でも、神様は決して私たちを手放すことはなさらないですから。


[139] 中年の危機 投稿者:マリー・E・ディすブロー 投稿日:2008/02/02(Sat) 00:45  

中年に差しかかった人のため

主のいつくしみは絶えることがなく、そのあわれみは尽きることがない。これは朝ごとに新しく、あなたの真実は大きい。 哀歌 3:22〜23

中年に到達したことへの反応は、人によって異なりますが、多くの人はそのことを、そこまでの自分の生き方を省見る時として捉えています。中年になると、自分が若い頃に描いた目標や夢の多くは、もう実現できないと気づきます。自分のそれまでの生き方を振り返り、後悔する人もいるでしょう。この”中年の危機”に対する私たちの否定的な見方については、いろいろと書かれています。しかし、赦しや新たな出発、新たな人生目標、あるいはもっと手短に今の生活を続けるための神からの励ましなど、を必要としている人にとっては、この中年期の不安は主に向き直るきっかけにもなるのです。
聖書は「主の慈しみは決して絶えない。主の憐れみは決して尽きない。それは朝ごとに新たになる。『あなたの真実はそれほど深い』」と言っています。

今日の黙想
過去に何があったとしても、神は私たちの未来におられます。。

祈祷:主よ、あなたに喜ばれ、人々に役に立つ生き方ができますように。アーメン。

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[138] 落胆 投稿者:平安を得るためのヒント 投稿日:2008/01/31(Thu) 21:43  

こうして、彼らがなお進みながら話していると、なんと、一台の水の戦車と火の馬とが現れ、このふたりの間を分け隔て、エリヤは、たつまきに乗って天へ上げって行った。(2列王記2:11)

聖書に出てくる人たちは、ある種の神秘に取り囲まれていたように見えます。彼らは、たくましく、それでいて心優しくして美しい、というように私は想像します。普通なら達成できないようなこと、しんじられないようなことまでもやってのけてしまい、彼らの毎日は、勇ましく冒険に満ちています。この聖書箇所に出てくるエリヤも、そのように見えます。

でも、ちょっと待ってください。この地上から、火の戦車に乗ってドラマチックに去っていったこの預言者にも、克服しなくてはならない現実的で人間的な感情があったのです。そして、落胆はそのリストの一番上にありました。一時は、とても落ち込んでいたために、死なせてくださいと神様に祈るほどだったのです。

エリヤに関して驚くべき点は、スーパースター的なところではなく、どのようにして彼が深い落胆を克服したかというところにあります。そして、地上での人生を終える前に、彼は、神様に用いられるほどまで立ち直りました。

また、私たちも身体的、精神的、そして霊的な必要を満たしてくださる主を待ち望みましょう。そうすることによって、私たちも、落胆する心と取り組むことができ、尽きないチャレンジに積極的に立ち向かっていくことができます。

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