みんなの掲示板はキリスト教についての証し、福音を分かち合いたいこと、宗教話題についての掲示板です。
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[60] お金のとりこにならないように 投稿者:平安を得るためのヒント 投稿日:2007/09/11(Tue) 12:27  

 「いばらの中に落ちるとは、こういう人たちのことです。みことばを聞きはしたが、とかくしているうちに、この世の心づかいや、富や、快楽によってふさがれて、実が熟するまでにならないのです。」  ルカ8:14

 金銭的なことに心がとらわれていると、さらに心配がつのり首が回らなくなります。ある人たちはお金を得ることが人生における第一の目的になり、やがて当然あるべき心の平和が日々締め上げられていきます。生計をたてることに忙しすぎて、人生の真の喜びもなくなります。

 確かに、お金は生活の基となります。お金で必需品や贅沢なものを買います。でも、お金は、いのちではありません。多くの物をお金で得ても、神様からの平安を頂くことはできません。神様を人生のトーテムポールの最先端に、お金は低位に置いておくべきものなのです。

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[59] 福音伝道のために生きる姿 投稿者:オウサン工房 投稿日:2007/09/10(Mon) 12:54  

「同じように、主も、福音を宣べ伝える者が、福音の働きから生活のささえを得るように定めておられます。しかし、私はこれらの権利を一つも用いませんでした。また、私は自分がそうされたくてこのように書いているのでもありません。私は自分の誇りをだれかに奪われるよりは、死んだほうがましだからです。というのは、私が福音を宣べ伝えても、それは私の誇りにはなりません。そのことは、私がどうしても、しなければならないことだからです。もし福音を宣べ伝えなかったなら、私はわざわいだ。もし私がこれを自発的にしているのなら、報いがありましょう。しかし、強いられたにしても、私には務めがゆだねられているのです。では、私にどんな報いがあるのでしょう。それは、福音を宣べ伝えるときに報酬を求めないで与え、福音の働きによって持つ自分の権利を十分に用いないことなのです。私はだれに対しても自由ですが、より多くの人を獲得するために、すべての人の奴隷となりました。」  コリント9:14〜19

パウロは満2年の間、自費で福音伝道を行ないました。その地で天幕作りなどのアルバイトにも携わったのでしょう。彼はローマに巨大な宣教組織を持っていたわけではありませんでしたが、すべてを捧げて主に仕えていました。これはパウロが主のためご自身の人生をささげ、財産をささげて生きる姿です。


[58] 分かち合う喜び 投稿者:平安を得るためのヒント 投稿日:2007/09/09(Sun) 13:55  

「ですから、あんたがたは、お互いに罪を言い表わし、お互いのために祈りなさい。いやされるためです。」 ヤコブ5:16

人を助けること、そして、人の助けw受け入れることは、クリスチャン生活になくてはならないことです。私たちが告白し合い、祈り合う時、それまでは知らなかった新しい力が与えられます。キリストにある兄弟姉妹には、罪だけでなく、心配事や不安、恐れるや疑問も、また自分が負っている重荷ついても打ち明けることができます。告白するということは、私たちの精神的、霊的な健康のためによいことです。そうすることによって、重荷が軽くなります。また、イエス様に私たちを変えるいただけます。私たちから平安な心を奪い去ろうとする罪や悪い習慣から、イエス様は私たちを守ってくださいます。

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[57] 友達を大切にしましょう 投稿者:平安を得るためのヒント 投稿日:2007/09/08(Sun) 11:56  

ふたりはひとりよりもまさっている。ふたりが労苦すれば、良い報いがあるからだ。どちらかが倒れるとき、ひとりその仲間を起こす。倒れても起こす者のいないひとりぼっちの人はかわいそうだ。伝道者の書4:9〜10

友達は、しばしばあなたを不安から守ってくれます。しかし、問題は、私たちひとりで戦っていて、倒れるかどうかということではなく、倒れた時どうなるのかということなのです。神様は、私たちが堅固なサポートシステムを持つことを望んでおられます。そうすれば、、倒れた時に、お互いを起こし合うことができるからです。あなたには心を打ち明けられるクリスチャンの友、聖書にそった助言をしてあなたを起こ」してくれるクリスチャンの友いますか。

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[56] 復讐の執行、恵みの十字架 投稿者:デートリッヒ・ボンヘッファー 投稿日:2007/09/07(Fri) 12:21  

 罪のない人だけが、仇へ復讐を神にゆだれることができます。復讐を願う祈りは、さばきの時に神の正義が行われることを願う祈りです。神がご自身のことばに責任を持たれるなら、このようなさばきは行われなければならず、これに該当する者はさばきをいけなければなるません。私たちも罪のためにさばきの下にいます。さばきは神のもこころに従って驚くべき方法でなされました。神の復讐は罪人に執行されたのではなく。罪人の代わって、唯一なる罪なきひとり子に執行されたのです。イエス・キリストは詩篇で祈られている神の復讐を自ら負われたのです。神がさばかれるとき、主はこう祈られました。「父よ、彼らを赦してください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」イエスの他には、誰も神の御怒りの身代わりになることはできず、誰もこのような祈りはできません。神はその敵を憎まれ、神の敵のために罪の赦しを求めるただ一人の義人をさばかれたのです。神の愛はイエス・キリストの十字架でだけ発見することができるのです。

 私は、神が誠実であられ、神の御怒りのさばきを十字架の上で公義として行われ、このような御怒りを、私たちの喜びと恵みにしてくださったことを知っています。それが、ご自身の御身体に神の復讐を受けられたイエス・キリストが、自ら祈られたことなのです。そして、日々、主は私個人をはじめとする紙のすべての敵を、イエス・キリストの十字架の真理と恵みの中に導かれるのです。

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[55] 信頼訓練 投稿者:バーノン・アミテージ 投稿日:2007/09/06(Thu) 12:09  

 「信頼は決してチャレンジなしには行われない」ジェームズ・ドプソンは著書”When God Doesn't Make Sense(神が理解できないとき)”のなかで、こう述べています。見通しの悪い道を運転していると、つい何かに衝突してしまうこともあります。何かを信頼するとき、必ずこういうことが起こります。私たちはみな、このような状況を経験しうるのです。
 
 さて、こういう状況に直面したり、どうなるでしょう。状況がい急変したとき、私たちはよく「神はどこにおられるのか」とつぷやきます。私たち、神がなぜ私たちの状況に対し何もしてくださらないのだろうかと訝ります。ドプソンは続けてこう言っています。「明らかなのは、大部分の信者たちが大きな試練の中で信仰を試しされる、感情的で精神的な深い谷間を経験する。信仰が神の優先順位の体系のなかで、もっとも優位にあるためである」

 神は、私たちが神を信頼せざるをえない状況へと導かれることで、私たちの信頼を成長させてゆかれます。これがとりもなおさず、私たちが信頼へと至る、唯一の道なのです。もしかしたら、あなたは今、人生でもっとも大きな試練を体験しているかもしれません。けれども絶望しないでください。神があなたを訓練してくださっているのです。私たちの人生が混乱の中にあるとしても、そのとき、他の物事は割り込んでくることさえできません。偉大な人々のなかで困難な試みを経験しない人は、ほとんどいません。このように、試練とは神を信頼する練習過程の一部なのです。

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[54] 乏しきことなし 投稿者:マックス・ルケード 投稿日:2007/09/05(Wed) 12:31  

 あなたに一つ質問してみたいと思います。あなたの喜びを奪い去っていくものは何ですか。「○○なら幸せになれるのに。」

 体さえ丈夫なら?昇進さえすれば?給料が上がれば?結婚さえすれば?億万長者にさえなれれば?空いているところに何が入りますか。

 この答えを心に留める、次の質問に答えてください。乗るはずの船が来なくても、夢が叶わなくても、今の状況がかわらなくても、それでも、あなたは先に答えたことさえなし遂げられるなら、幸せになれますか。もし本当にそう思うなら、あなたが羊飼いなる神の中で、すでに得たものをもう一度振り返ってみてください。

 私たちには耳を傾けてくださる、羊飼いなる神様がおられます。私たちの後ろには愛の力が、私たちの内側には聖霊が、私たちの前には天国があります。

 羊飼いがいるということは、すべての罪を赦してくださる恵みと詳細な地図、隅々まで見渡せるろうそく、風の中でも守ってくれる錨があるということです。

 一言でいうなら、私たちはすでに必要なものを手に入れるいるのです。

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[53] 主の祈り 投稿者:オウサン工房 投稿日:2007/09/04(Tue) 12:14  

主の祈り(文語)
天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、
地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、
我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みに会わせず、
悪より救いいだしたまえ。
国と力と栄えとは、
限りなく汝のものなればなり。
アーメン。

主の祈り(聖書)
新改訳
天にいます私たちの父よ。
御名があがめられますように。
御国が来ますように。
みこころが天で行なわれるように
地でも行なわれますように。
私たちの日ごとの糧をきょうも
お与えください。
私たちも、私たちに負いめのある
人たちを赦しました。
私たちを試みに会わせないで、
悪からお救いください。
国と力と栄えは、とこしえに
あなたのものだからです。アーメン。

口語訳
天にいますわれらの父よ、
御名があがめられますように。
御国がきますように。
みこころが天に行われるとおり、
地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの食物を、
きょうもお与えください。
わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、
わたしたちの負債をもおゆるしください。
わたしたちを試みに会わせないで、
悪しき者からお救いください。

新共同訳
天におられるわたしたちの父よ、
御名が崇められますように。
御国が来ますように。御心が行われますように、
天におけるように地の上にも。
わたしたちに必要な糧を今日与えてください。
わたしたちの負い目を赦してください、
わたしたちも自分に負い目のある人を
赦しましたように。
わたしたちを誘惑に遭わせず、
悪い者から救ってください。


The Load’s Prayer)(英語)
Our Father in heaven,
hallowed be your Name,
your kingdom come,
your Will be done on earth as in hearven.
Give us today our daily bread.
Forgive us our sins as we forgive those who sin against us.
Lead us not into the temptation,
but deliver us from evil For the kingdom,
the power, and the glory are yours now and forever.
Amen


主訓人的祷告(中国語)
我們在天上的父
願人都爾的名為聖 願爾的國降臨
願爾的旨意行在地上 如同行在天上
我們日用的飲食、今日賜給我們
免我們的債 如同我們免了人的債
不叫我們遇見試探 救我們脱離凶悪
阿們


[52] 混乱 投稿者:平安を得るためのヒント 投稿日:2007/09/03(Mon) 12:17  

「それは、神が混乱の神ではなく、平安の神だからです。」

 人生には、時に、驚かされる日もあれば、混乱してしまう日もあります。答えのない疑いに包み込まれて、次に何をするべきなのか、よくわからないでいる自分に気づく時もあります。うろたえの次には、もうひとりの安らぎ泥棒、緊張感がすぐ後を追ってきます。神様は、私たちのはっきり見えない事柄から霧を取り除き、緊張を、霊的に見ることのできる光と取り替えることのできる唯一の方です。

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[51] 与える幸い 投稿者:オウサン工房 投稿日:2007/09/02(Sun) 14:39  

「主イエスご自身が,『受けるよりも与えるほうが幸いである.』と言われたみことばを思い出すべきことを,私は,万事につけ,あなたがたに示して来たのです.」   使徒20:35

「受けるよりも与えるほうが幸いでる」と語るクリスチャンは多くでも「私は、万事につけ、あなた方に示して来たのです」と言い切れる人はわずかです。世に、神の御言葉を実行出来ない信者ほど気の毒な存在はありません。宝の山に入っていながら、わずから持ち物に執着してそれを守ろうと必死なために、もっと大きな祝福のチャンスを失ってしまった富める青年と同じです。(マタイ19:16〜22)

 「受けるよりも与えるほうが幸いである」とは、与える恵みの醍醐味を味わった人だけが到達できる幸いです。隣人のために失うことを恐れる人には断じて味わうことのできない幸いです。「苦労して弱い者を助けなければ」と聖書は言います。確かに助けることは犠牲なくしてできません。然し、その犠牲の結果はいつも不思議にマイナスでなく、プラスです。与えればそれだけ自分の分が少なくなるのはこの世の常識であり計算です。けれども信仰は、犠牲の種を蒔いて祝福の実を刈り取ります。ルカ6:38

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[50] 心を尽くす人生 投稿者:バン・ジイル 投稿日:2007/09/01(Sat) 12:32  

修道院が盛んだった時代に、アントニオというある修道士が修道院にいりました。彼は長くそこで修練し、これぐらいならいいだろうと自信を持って修道院を出ました。その時、ちょうど修道院の門前で靴屋さんが靴を直していました。修道士は彼に自分の靴を治してもらい、待っている間に話しかけました。

「家族は何人ですか?」
「子ども八人妻と私で十人です。」
「収入はどれくらいあるのですか?家族がそんなに多くては靴を直すだけではお金が足りないのではないですか?」
「……」

彼は何も言わずにただ黙々と靴を直し、少ししてkらこう答えました。

「先生、私はただ主に仕える人たちが、長く楽に靴をはけるように最善を尽くすだけです。私の家族のことは神様が責任を持ってくださいますから。」

それを聞いた修道士は、自分の足りなさを悟り、修道院に戻っていったそうです。

この靴屋こそ、心を尽くし、神を中心に生きる人ではないでしょうか

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