神様の領域ジャネット・リン 札幌オリピックフィギュアスケート銅メダリスト
その華麗な演技により、日本のメディアに「銀盤の妖精」と称される 

プロフィール

シカゴの郊外で生まれた。3歳半で初めてスケート靴を履き、5歳からフィギュアの訓練を始めた。1966年、12歳でジュニアの国内選手権に優勝。1968年には14歳でグルノーブルオリンピックに出場し9位。金メダルを獲得したペギー・フレミングがプロに転向すると、ジャネット・リンはアメリカ女子フィギュア界のエースとなり、1973年まで5年連続で全米選手権を制した。

1972年、18歳の時に札幌オリンピックに出場。フリーではシットスピンで尻もちをつく失敗があったものの、その美しい演技は札幌の観客を魅了した。芸術点で満点の6.0も出るなど高得点を獲得したが、当時のルールで重要視されていたコンパルソリーが苦手であったため、合計点で3位にとどまった。この出来事は翌年からコンパルソリーの比重を下げ、ショートプログラムを導入する一因ともなった。演技中、失敗したにもかかわらず終始笑顔で滑っていたことは、全世界で大絶賛された。

その愛くるしい笑顔から「札幌の恋人」「銀盤の妖精」と呼ばれ日本中で人気を得、カルピスのCMにも出演。選手村の自室の壁に「Peace & Love」と書き残して日本を離れたが、この建物が分譲アパートとなった後もこの落書きは消さずに保存されている。

1973年、145万ドルという破格の契約金でプロに転向した。また1998年に開催された長野オリンピックにおいて、オリンピック親善大使として任命され、マクドナルドのCMに出演。久しぶりに公の場に姿を現した。

恵みの証し

私は11歳の時、イエス・キリストに人生を生きてゆく助けとなってくださるようにお願いして、イエス様を心に迎え入れました。その時以来、イエス様は私が友達の必要な時にはいつもそばにいてくださり、人生の中で常に私を導いてくださっています。

これまで私はフィギュアスケート選手としても、またひとりの人間としても、イエス様に対する信仰心を何度も試されてきました。もともと決して我慢強い性格でもありませんが、どう考えてもういまくいくはずのない困難な状況の中から、イエス様は必ず益をもたらしてくださいました。

1972年の札幌オリピックに出場した私を金メダルを獲得したくてたまりませんでした。ところが、規定の演技を終った時点で4位であり、状況は絶望的となってしまいました。私は、最後のフリーの演技をイエス様にささげました。その時の演技は、あれから何年も経っった今でも、日本の方々の印象に残っているとのこよです。結果としては金メダルではなく、銅メダルだったのですが、あの時のフリーの演技のおかげてオリンピック後も様々なチャンスが与えられました。

最近世界フィギュアスケート殿堂入りを果たした際、自分は自らを輝かしく見せるためためにフィギュアスケートをしていたのではなく、主であるイエス・キリストに栄光をお返しするためにスケートをしたのだとお話しました。私の演技でファンの皆さんがご覧になった愛と清純さは、私から出たものではなく、イエス様のそれだったのだとも伝えました。

イエス様は私の生涯を通して私を導き、生きる目的を与えてくださいました。私が弱くなった時には力をくださり、強くしてくださいました。心が打ち砕かれた時には希望をくださいました。そして、競技生活から引退し、観衆の歓声が聞けなくなり、スタンディングオベーションが見られなくなった後も、ずっと私はイエス様の愛を支えとしてきました。イエス様の愛は永遠に続く愛なのです。

CM ジャネット・リン「神がくれた宝物編」

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