神様の領域聖書の記述 

「過越しの食事をする」

マタイ26章17-25)

除酵祭の第一日に、弟子たちがイエスのところに来て「どこに、過越の食事をなさる用意をしましょうか」と言った。イエスは言われた。「都のあの人の所に行ってこう言いなさい。先生が、私の時が近づいた。お宅で弟子たちと一緒に過越の食事をする。と言っています。」弟子たちは、イエスに命じられたとおりにして、過越の食事を準備した。夕方になると、イエスは12人と一緒に食事の席に着かれた。一同が食事をしているとき、イエスは言われた。「はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人が私を裏切ろうとしている」弟子たちは非常に心を痛めて、「主よ、まさかわたしのことでは」と代わる代わる言い始めた。イエスはお答えになった。「わたしと一緒に手で鉢に食べ物を浸した者が、わたしを裏切る。人の子は、聖書に書いてあるとおりに、去っていく。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった。」

イエスを裏切ろうとしていたユダが口をはさんで、「先生、まさかわたしのことでは」と言うと、イエスは言われた。「それはあなたの言ったことだ。」

神様の領域聖書の記述 

「主の晩餐」

マタイ26章26-30

一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて。それを裂き、弟子たちに与えながら言われた。「取って食べなさい。これは私の体である。」

また杯を取り、感謝の祈りを唱え、彼らに渡して言われた。「皆、この杯から飲みなさい。これは、罪が赦されるように、多くの人たちのために流されるわたしの血、契約の血である。言っておくが、わたしの父の国であなたがたと共に新たに飲むその日まで、今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい。」一同は賛美の歌を歌ってから、オリーブ山へ出かけた。

神様の領域聖書の記述 

「ゲッセマネで祈る」

マタイ26章36-46

ゲッセマネの祈りそれから、イエスは弟子たちと一緒にゲッセマネという所に来て、「私が向こうへ行って祈っている間、ここに座っていなさい」と言われた。
ペトロおよびゼベダイの子二人を伴われたが、そのとき、悲しみもだえ始められた。そして彼らに言われた。「私は死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、わたしと共に目を覚ましていなさい。」
少し進んで行って、うつ伏せになり、祈って言われた。「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに。」
それから、弟子たちのところへ戻ってご覧になると、彼らは眠っていたので、ペトロに言われた。「あなたがたはこのように、わずか一時もわたしと共に目を覚ましていられなかったのか。誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い」

更に、二度目に向こうへ行って祈られた。「父よ、わたしが飲まない限りこの杯が過ぎ去らないのでしたら、あなたの御心が行われますように。」再び戻ってご覧になると、弟子たちは眠っていた。ひどく眠かったからである。
そこで彼らを離れ、また向こうへ行って、三度目も同じ言葉で祈られた。
それから、弟子たちのところに戻って来て言われた。「あなたがたはまだ眠っている。休んでいる。時が近づいた。人の子は罪人たちの手に引き渡される。立て、行こう。見よ、わたしを裏切る者が来た。」

神様の領域聖書の記述 

「裏切られ逮捕される」

マタイ26章47-56

イエスがまだ話しておられると、12人の弟子の1人であるユダがやって来た。祭司長たちや民の長老たちの遣わした大勢の群衆も、剣や棒を持って一緒に来た。
イエスを裏切ろうとしていたユダは、「わたしが接吻するのがその人だ。それを捕まえろ」と、前もって合図を決めていた。ユダはすぐイエスに近寄り、「先生、こんばんは」と言って接吻した。
イエスは、「友よ、しようとしていることをするがよい」と言われた。すると人々は進みより、イエスに手をかけて捕らえた。
このとき弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった。

神様の領域聖書の記述 

「十字架につけられる」

マタイ27章33-38

十字架 ゴルゴタという所、すなわち「されこうべの場所」に着くと、苦いものを混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはなめただけで、飲もうとされなかった。
彼らはイエスを十字架につけると、くじを引いてその服を分け合い、そこに座って見張りをしていた。イエスの頭の上には「これはユダヤ人の王イエスである」と書いた罪状書きを掲げた。
折りから、イエスと一緒に二人の強盗が、一人は右にもう一人は左に、十字架につけられていた。

「イエスの十字架上の出来事」
さて昼の十二時に、全地は暗くなりそれが三時まで続いた。三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。
「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」これは
「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」と言う意味である。(マタイ27・45-46)
「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(ルカ23・34)
十字架にかけられていた犯罪人の一人が、イエスをののしって言った。
「お前はメシアではないのか。自分自身と我々を救ってみろ」すると、もう一人の方がたしなめた。「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。我々は自分のやっている事の報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪い事はしていない」そして「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言った。するとイエスは
「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと共に楽園にいる」と言われた。(ルカ23・39-43)
イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」と言われた。それから弟子に言われた。「見なさい、あなたの母です」その時からこの弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。(ヨハネ19・26-27)
この後、イエスは、すべてのことが、今や成し遂げられたのを知り「渇く」と言われた。(ヨハネ19・28)
太陽は光を失っていた。神殿の垂れ幕が真ん中から裂けた。イエスは大声で叫ばれた。
「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」こう言って息を引き取られた。
百人隊長はこの出来事を見て、「本当に、この人は正しい人だった」と言って神を賛美した。(ルカ23・45-47)

神様の領域聖書の記述 

「墓に葬られる」

マタイ27・57-60

夕方になると、アリマタヤ出身の金持ちでヨセフと言う人が来た。この人もイエスの弟子であった。この人がピラトのところに行って、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出た。そこてピラトは渡すようにと命じた。ヨセフは、イエスの遺体を受け取ると、きれいな亜麻布に包み、岩に掘った自分の新しい墓の中に納め、墓の入り口には大きな石を転がしておいて立ち去った。

神様の領域聖書の記述 

「復活する」

マタイ28・1-10

さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが墓を見に行った。
すると大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ったのである。その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった。番兵たちは、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。
天使は婦人たちに言った。「恐れることはない、十字架につけられたイエスを探しているのだろうが、あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。
それから急いで行って弟子達にこう告げなさい。あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。確かにあなたがたに伝えました」
婦人達は、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走っていった。するとイエスが行く手に立っていて「おはよう」と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。イエスは言われた。「恐れることはない、行って、私の兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこで私に会うことが出来る。

神様の領域聖書の記述 

「イエス弟子たちに現れる」

ヨハネ20・19-20

その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真中に立ち「あなたがたに平和があるように」と言われた。そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子達は主を見て喜んだ
イエスとトマス十二人の一人のでディドモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。そこで、ほかの弟子達が「わたしたちは主を見た」というと、トマスは言った。
「あの方の手に釘の跡を見て、この指を釘跡に入れてみなければ、またこの手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない」
さて、八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。
それからトマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばしわたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」
トマスは答えて「わたしの主、わたしの神よ」と言った。イエスはトマスに言われた。
「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は幸いである。」

Copyright(C)2004.01.01 オウサン工房.All Rights Reserved.