神様の領域2009年度イスーター  

キリストの復活

画家: へ・キ(中国、現代画家)
解説: モナ・ケイブ

一瞬の表と裏、永遠の表と裏、裏から表へ、怖れの闇から喜びの光へ移る際には、常に不安と期待がつきまといます。画家へ・キは、たったこれだけの筆のタッチで歴史上の重要な変化の瞬間を切り取っています。イエスの体に香油を塗ろうとやってきた婦人にとっては、これは大きな悲しみの時でした(ルカ24:1-8参照)。喪に服しながら婦人は悲しみをこらえ、可能性が現実となるのを待っています。この絵を見ていると、まるで婦人が空になった墓を見て、これは今見えている状態をはるかに超越したことが実際に起きたことに気づいた瞬間を見ているようです。

easter
この婦人の背後にいる2人の天使もこの瞬間の表と裏を象徴しているようです。左側の天使は祈りように両手を組み、期待に溢れて「もしかしたら」から「本当」になるのを待ちわびています。一方、右側の天使はこの喜びで跳ね上がらんばかりです。時が来たのです。「あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ(同6)」一歓びの知らせを皆に伝えましょう。 私たちの人生にはこのような闇と光、怖れと喜び、「もしかしたら」と「本当」がちょうと交差する瞬間が存在します。私たちはキリストのおかげて、自分が「本当」の瞬間を生きていると確信することができますが、それでもそんな喜ばしいことが本当に起きたとは信じがたいのです。期待が不安に負け、主が復活なさったという知らせを目の前にしても私たち、永遠の希望へ向かうどころか、背を向けて遠ざかってしまうのです。 可能性を信じて頭を上げれば天使の囁きが聞こえてきます。一瞬で裏から表へ、歴史の裏から表へ、変われるかどうかは私たち次第です。神はいつでもイースターがもたらす希望と喜びのメッセージに耳を傾けるよう私たちを招いて下さっています。

http://godarea.net/

神様の領域2009年度イスーター 

神と共に住まう

スティーブン・D・ブライアント

イエスが戻られた!十字架に架かり、死なれ、埋葬されたイエスをその目で見た使徒たちによって、イースターとはこういう体験でした。使徒たちに裏切られ、ペテロに拒絶され、従ってきた者すべが生きるためイエスから去っていったにも関わらず、イエスはこれらの人々を見放されなかったのです。弟子たちが受けるに値するだけではなく、必要なものー恩寵や赦し、神と共にいる平安、を確実に得られるよう、イエスははるばる死からお戻りになられたのです。 個人的に失敗し、神に見放されたように感じる時もあるでしょう。あるいは、私たちがこの世界に混乱を引き起こしたため、神が私たちを見放したと思うかも知れません。イースターの物語は、イエスが必ず戻って来られ、私たちをご自身のいる所に引き寄せて下さることを思い出させます。悲しみにくれるマリアに、おびえる弟子たちに、復活を疑うトマスにお会いになったように、イエスは私たちがどこにいても私たちを新しくするために私たちの罪を赦し、傷を癒し、魂を修復してくださいます。 その上、イエスは私たちにご自身の命を下さっただけでなく、命の源に近づけるよう迎えて下さっています。約束に再度耳傾けましょう。「私は戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる」イエスにとっての「わたしのいる所」は永遠であり、変わることはないのです。イエスは永遠に、神と関係の中でいつろでおられるのです。ご自分の生、死、復活を通して、イエスは、ご自身と神との間に築かれた恩寵の中で生きる場所を私たちのために備えて下さいます。イエスはヨハネ14:2で、その場所を「わたしの父の家」と呼んでおられます。イエスは、将来ではなく今、この場所に行き、「父のふところ」(ヨハネ1:18)にイエスと共に留まるよう私たちを招いていられます。イエスはこの恩寵の場所を行き来ますことを勧めておられます。イエスはこの恩寵の世でも、神の愛の声によって生きることができます。

http://godarea.net/

Copyright(C)2004.01.01 オウサン工房.All Rights Reserved.