あなたに…
イースターおめでとうございます。
日本において、イエスキリストの誕生をお祝いするクリスマスは、どなたもご存じで、お祝いも盛大におこなわれますが、
クリスマス以上に大切なイースターは、あまり知られていないのはなぜでしょうか?
誰にとっても「生まれる」ということは、うれしい、楽しいことです。
ですから、クリスマスにイエス様の誕生を祝うのは当然な気持ちであるかも知れません。
しかし、生まれたものは、死ぬのが普通です。
ところが、私たちの主イエスキリストは、十字架の上で死んで、三日目に復活されたのです。
何という不思議なことでしょうか。
イエス様のその復活をお祝いするのがイースターなのです。
死んだイエス様が復活したことを、多くの人は信じられず、それでイースターをけむたがっているのかもしれません。
けれども、「イエス様の復活は、あなたの永遠の命と祝福のためであった」としたらどうでしょうか?
それはとてもうれしい知らせではないですか?
そうです。イエス様の復活は、あなたのためでもあったのです。
さて、イエス様の死体がおさめられた墓において、天使はいいました、
「あなたがたは、なぜ生さている方を死人の中で捜すのですか。
ここにはおられません。
よみがえられたのです」 (ルカ福音書24:5,6)
あのイースターの日の朝、イエス様を慕っていた女達は墓に急いでいました。
やさしい愛に満ちていたイエス様、力強い奇跡の数々を行われたイエス様を忘れることのできない女たちは、
せめて、くぎや槍で傷つけられたイエスさまの死体に香油を塗って差し上げたいと、
悲しみに満ちた重い心をもって急いでいました。
ところがイエスの墓は空っぼでした。
そしてそこに現れた天使が言うのです。
「なぜ生きている方を死人の中で捜すのですか。
ここにはおられません。よみがえられたのです。」と。
イースターの宣言です。
このことばから、三つのことを考えてみましょう。
1.人は捜している
第一番目は、人間は探しているということです。
人は、真実を探しています。
人は、命を探しています。
人は、永遠のものを探しています。
先日、ある方が教会の案内を作り、学生アパートに配ってくださいました。
それには、「生きるとは、愛とは、まじめに語り合ってみませんか?」と書かれていました。
人は探していますね。
ある方が、電話で尋ねられました、「人は、なぜ生きなければならないのですか。」
学者も、中高年の働き盛りの人達も、主婦も、学生も、心の深いところで、
真実・命・永遠のものを探しているのではないでしょうか?
人は昔も今も、本当のいのちを授しているのです。
2.死人の中に
天使の言葉が教えている二つ目のことは、
死んだものの中に命を捜す愚かさです。
女性達が死体に油を塗ろうとして墓にやって来たように、人は長い間、命のないものを拝んできました。
私どもの教会では納骨堂(お墓)があります。
でも、お墓に向かって手を合わせ、それを拝もうとは思いません。
お墓そのものは石ですし、そこに入れられたお骨もまた生きてはいません。
時間がたてばそれは土に返るものです。
お釈迦さまも教えをのべた後、死にました。
マホメットもまた死にました。
死んだものの中に命を捜すことはできないのです。
いのちのない思想哲学、イデオロギーの中に、永遠を求める人もいます。
でも、それらは永遠の命を人に与えることができないのです。
命のないもののなかに、命を探すことは出来ません。
3.よみがえられた
さて、イースター宣言ともいうべさこの天使のことばが、私たちに語りかける最後のこと、
それは、主イエス様がよみがえられたという驚くべきメッセージです。
「十字架の上で、すべての人の罪を赦して亡くなられた傷だらけのイエス・キリストは、よみがえられた。ここにはおられません。」
空っぼの墓を見て女たちも弟子たちも、途方に暮れたのです。
すぐには信じられませんでした。
でも、弟子達は、生前イエス様が十字架の後よみがえると言っておられたことを思い出したのです。
そしてついに、エルサレムの一室で恐れて隠れていた弟子たちの前に、復活されたイエスが現れられたのです。
その手には釘の後がしっかりと残っていました。
「平安があなたがたにあるように」と言われたその方はまさしく主イエス様だったのです。
事実を打ち消すことはできません。
弟子たちは、イエス・キリストが救い主であり、十字架の死が罪の赦しのための贖いであり、イエス様こそ永遠の命のお方であることを知りました。
それ以来、何億もの人々が、イエス・キリストの中に、本当のいのち、永遠の愛を見出して、本当の生さ方を見出してきたでしょうか?
イエスキリストは、私たちの罪を赦すため人となられ、十字架で死んでくださいました。
そして、私たちのためによみがえられたのです。
今、生きていてくださる救い主だからこそ、私たちを救う力があるのです。
あなたに新しい命をくださるのです。
感謝してお祈り致します。