あの人は誰ですか?
イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だというのか。」マタイ福音書16:15
二千年前、飼いの葉桶の中にいたのは誰でしょうか。赤ちゃんですか、それとも神ですか。この赤ちゃんはマリアの息子でしたか、それとも神の御子でしたか。
数週間前、成人した私の娘が「イエス様が神だと、どうして教えてくれなかったの。イエス様は、ただの神の子供とばかり思っていたわ」と言いました。娘はあるグループでヨハネ福音書を学んでいて、何かを悟ったようでした。普通の娘として、イエスが神であることを知らなかったのは、私のせいだというわけです。母として責任を感じた私は、「今、神とあなたの間でそれがはっきりして良かったわ」と言いました。
娘が”悟った”のは今の日聖書箇所の初めの4節からでした。天地創造の前から「言葉」は神と共にあり、神が語られた「言葉」によって世界は創造されたのです。「言葉」は幼な子となり、十字架への道を私たちに教えたのです。神は私たちを愛しておられたので、「言葉」は人の形をとられたのです。キリストによって私たちは「言葉」を知り、そして「言葉」は私たちを永遠に解放して下さったのです(ヨハネ8:32を参照)。
私は娘を抱きしめ、聖書の中には、娘にとって良い知らせ、つまり神が個人的に娘に語りたい良い知らせがあるから聖書を続けて読むように言いました。私はその夜、娘と私の世界に入って下さった「言葉」をほめたたえました。
初めてのクリスマスに飼い葉桶の中にいたのは、果たして誰だったのか、と自問したことがありますか。神は、私たちがキリストの光を自分で求めるように、その質問をすることを願っておられます。
祈祷:生きた言葉である神様、あなたを知らない人々と、どのようにあなたの光を共有すればよいかを教えて下さい。アーメン。
今日の黙想:あなたにとって、イエス・キリストはどんな方ですか。