神様の領域増田 誉雄 

クリスマスメディテーション

Ⅰ「心のベツレヘムへの旅」

「マリヤは、これらのことをすべて心に納めて、思いを巡らしていた。」
ルカの福音書2章19節

今年のクリスマス。私の心をほのぼのと温かくしてくれるものがあります。それは、救い主としてイエス様が誕生されたとき、天使たちが、まるで最初のクリスマス キャロルよろしく讃美した天的な情景またその歌詞です。
「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」
ルカの福音書2章14節

さらには、野宿で野番をしていた羊飼いたちが、天使たちの救い主の降誕の知らせを聞いて、ベツレヘムにあるマリヤとヨセフと飼葉おけの中のみどりごのもとに訪れて、神をあがめ、讃美しながら帰って行ったことなどです。
マリヤはこういったことごとを、まるで宝のように心にひめて(英語の現代語訳より)「思い巡らしていた。」のでした。このことに私の心は捕えられて、私も心のベツレヘムへ旅をしようと思ったのです。― マリヤとヨセフはナザレから約120キロ離れたベツレヘムへ旅をしてイエス様の誕生を迎えたのでした。
こう思うきっかけになったのは、何年か前、アメリカの友人からいただいた救い主ご降誕の瞑想の言葉でした。ここに紹介させていただきます。

 「心の故郷ベツレヘムへの旅」
ベツレヘムは子供の時を思い出させる ― クリスマスの思い出が走馬灯のように脳裏に浮かんでくる。
「ベツレヘムに行って・・・この出来事を見てこよう。」と羊飼いたちが交わした言葉が迫ってくる。すると、子供の時のことがよみがえってくる。両親の惜しみない愛のもとで迎えたクリスマス・・・
世の汚れと誘惑の重圧で、生活の優先順位も、気がついたら狂ってしまっていた。かっては、「神の国とその義とをまず第一に求め」て生活したとこもあった。こう思ってくると、ベツレヘムの地名を聞いただけで、わたしの心には、「そうだ、そこは私の心の故郷だ。」と慕う思いが生まれてくる。
「今年も、私は救い主イエス様にお会いしに行こう。私の心をお捧げするために『心のベツレヘムに』旅しよう。」
クリスマスは再び訪れてきた・・・そして、ベツレヘムも。私にもまだ機会は残されていると気づかせるかのように。私も羊飼いたちのように言おう。そして急いで行こう。救い主のもとへ。
ベツレヘムでお会いするイエス様は、「わたしが来たのは、羊がいのちを得、まさに豊かに得るため。」(ヨハネの福音書10章10節)と呼びかけてくださっている。そこでいただく「豊かないのち」は救い主から与えられる永遠のいのちとその喜びまた平安である。

祈り:このクリスマスのとき「心のベツレヘム」に旅をし「豊かないのち」の喜びと平安をいただき、それを人と分ち合うことができますように。アーメン

神様の領域増田 誉雄 

Ⅱ「飼葉おけの中に誕生された救い主」

「マリヤは月が満ちて、男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。」
ルカの福音書2章6~7節

ベツレヘムにはマリヤとヨセフ、それにお生まれになる救い主を泊める宿もありませんでした。何と昔も今も救い主に無関心また拒絶的である人の心を象徴していることでしょう。

しかも、飼葉おけの中とは、最低の場所といってもよいでしょう。最も貧しいところに誕生された救い主は、最も貧しく、汚れ、破れた心の中にも誕生してくださることを表しています。

あるお医者様が罪という病にかかっている人間の状態はまさに「患う(わずらう)」という字が示す通り心に串が刺さっているようなものです、と私に感慨深く言われたことがありました。その串は罪の三位一体とも言うべき、うらみ、ねたみ、そねみで、人の心を蝕んでいますとさらに言われました。

でも、そのように串が心にささっている状態でも、また飼葉おけの中のようにきたなく汚れていても、心を開くときに救い主は入ってくださる。そして、そこを救いの輝きのあるところとしてくださる。ですから天使は「民全体のためのすばらしい喜びの知らせ」と救い主のご降誕を告げています。それは、人間の新創造という喜びの知らせです ― 「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(コリント人への手紙第2 5章17節)と使徒パウロも言っています。

祈り:救い主イエス様。あなたは飼葉おけも輝きに変え、串の刺さった心も癒されます。このクリスマスの時、どうぞ私の心の中にお入りください、そしてクリスマスの喜びに生きる者としてください。アーメン。

神様の領域増田 誉雄 

Ⅲ 「救い主への賛美」

「たちまち、御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現われて、神を賛美して言った。いと高き所に、栄光が神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」
ルカの福音書2章13~14節

自己嫌悪におちいる時、絶望するときは誰にでもあるようです。そのようなときの選択肢の一つとしてクリスマスのとき(いや一年中いつでも)浮かび上がってくるのが賛美すること、心の中で救い主イエス様を崇めることです。

天使たちが最初にささげた賛美は、まず、いと高き所にいます神に栄光を、という祈りの賛美でした。不思議なことに、このように祈り、賛美するとき、地の上に住む自分の中に平和な心、平安が訪れるのを体験します。そうすると問題であったものも、視点が変えられて問題でなくなることもあります。また、問題があっても、平安な思いで受けとめ、解決に意欲と力と知恵が与えられます。そればかりでなく、状況が一変したりもします。勿論、長いこと忍耐をもって処理していかなければならないものもあります。そこではイエス様はインマヌエル、すなわち、「神は私たちとともにおられる」お方として臨んでくださり、

「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。」
イザヤ書41章10節

と励ましてくださいます。
クリスマスの賛美の最たるものは、ヘンデルが作曲したメサイアでしょう。中でもハレルヤ コーラスは、聞く者に感動を与え続けています。当時の英国国王ジョージ2世も感動のあまり起立したとのことです。それが伝統となって、今日もコンサートで一同ハレルヤ コーラスにくると起立します。それほどの大曲ですが、ヘンデルが失意と試練のどん底にあったとき与えられたオラトリオで、何と24日間という短期間で書き上げてしまったというのです。ハレルヤ コーラスのところへきたとき、彼は、「私は私の目の前に天国が広く開かれて、偉大なる神ご自身を拝したてまつった思いがしたのです。」と述べています。まさに逆境の中で逆転劇が与えられ、今も、世界各地でクリスマスの感動を与え続けています。

祈り:賛美がヘンデルに人生の逆転劇を与え、失意から立ち上がり、多くの人への励ましと感動になりましたように、この私にも賛美の祝福に生きることを得させください。アーメン

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