今週の聖句2007.12.15

悔い改め、人生の逆転せよ

オパデヤ書1:1〜9

要約
神は預言者お通して、エドムにさばきを宣言されます。神はエドムの高慢を責められます。彼らの財物は奪われ、信じていた国々から裏切られます。これは、神が彼らを滅ぼすことを決められたからです。

高慢があなた自身を欺いた(オパデヤ書1:1〜4)
神は異邦の民族もさばかれます。旧約の様々な箇所で、このような国々に対する預言が語られています。ところで、神が異邦のエドムを対象に預言を語られた意図は何でしょうか。「あなたの心の高慢は自分自身を欺いた」、「あなたが驚のように高く上っても、星の間に巣を作っても」(4節)というみことばを通して、エドムがとても高慢になっていたことを知ることができます。エドムは出エジプトの時から、イスラエルと敵対関係にあり(民20:18、20)ダビデの時代には主従関係になるほど、関係が良くありませんでした(Uサム8:14)。その後は、ユダの滅亡以後(BC 586)、エドムは残りのイスラエルの民に対して高慢になり、それゆえ、あからさまにユダヤ人を蔑視したものと思われます。
エドムの高ぶりを叱責される神のみことばから悟ることは何ですか。あなたもまた、時に岩の裂け目に住む驚のように高ぶっていませんか。

完全に絶やされる(オパデヤ書1:5〜9)
一度神のさばきが始まれば、誰も妨げることができません。預言者はエドムがどれほど完全に滅ぼされたかを詳しく説明しました。何よりも、彼らは経済的に荒廃しました。ぶどう泥棒でも、取るだけ取れば、彼は残しておくものです。しかし、エドムは、隠しておいた宝までも完全に奪われます。そのときは、隣国との同盟も意味がなく、親しくしていた友も裏切り、ついには、彼らから食糧を得ていた者までもが、わなを仕掛けるほど、エドムは轍底して見捨てられます。また、知恵のある指導者たちもみな滅ぼされ、遂には、軍事力の喪失します。もしかして、自分でも気づかないうちに頼りとしていたものがありませんか。神は、私たちが頼っていたものを完全に取り除かれます。
恵みの神という言葉で、神の戒めを軽くみなしていませんか。罪に対する神の徹底さを知っていますか。

今日の祈り
神様だけを頼ると言いながらも、実際困難に出会うとこの世の完全な要塞を頼っていないか省みます。心から神様に頼る者となれますように。

今週の聖句2007.12.08

愛の眼鏡をかけなおせ

詩篇41:1〜13
1:貧しい者をかえりみる人はさいわいである。 主はそのような人を悩みの日に救い出される
2:主は彼を守って、生きながらえさせられる。 彼はこの地にあって、さいわいな者と呼ばれる あなたは彼をその敵の欲望にわたされない。
3:主は彼をその病の床でささえられる。 あなたは彼の病む時、その病をことごとくいやされる
4:わたしは言った、「主よ、わたしをあわれみ、わたしをいやしてください。 わたしはあなたにむかって罪を犯しました」と。
5:わたしの敵はわたしをそしって言う、 「いつ彼は死に、その名がほろびるであろうか」と。
6:そのひとりがわたしを見ようとして来るとき、 彼は偽りを語り、その心によこしまを集め、外に出てはそれを言いふらす。
7:すべてわたしを憎む者はわたしについて共にささやき、 わたしのために災を思いめぐらす。
8:彼らは言う、「彼に一つのたたりがつきまとったから、 倒れ伏して再び起きあがらないであろう」と。
9:わたしの信頼した親しい友、わたしのパンを食べた親しい友さえも わたしにそむいてくびすをあげた。
10:しかし主よ、わたしをあわれみ、わたしを助け起してください。 そうすればわたしは彼らに報い返すことができます。
11:わたしの敵がわたしに打ち勝てないことによって、 あなたがわたしを喜ばれることをわたしは知ります。
12:あなたはわたしの全きによって、わたしをささえ、とこしえにみ前に置かれます。
13:イスラエルの神、主はとこしえからとこしえまでほむべきかな。  アァメン、アァメン。

要約
ダビデは神が弱い者を助けてくださると確信します。また、彼は、敵が迫害し、親しい友までも自分に敵対する状況を悲しみます。しかし、彼は神が究極的に勝利を保障してくださることを確信します。

いつくしみに信頼せよ(詩篇41:1〜10)
世は弱い者を踏み付けるように誘導します。しかし、ダビデは弱い者に心を配る者が祝福を受け、神がそのような者を災いの日に救ってくださると告白します。彼はこのような告白を通して、彼がいつも弱い者を助けていたことを決して忘られず、守ってくださることを期待しました。また、神が災いの日に自分を救われ、いのちをよみがえらせてくださると確信しました。ダビデは、人々の悪い行いに対しても、主に打ち明けました(5〜9節)。そして、主は自分を決して敵の手に渡されないと告白しました。ヘブライ語の表現を調べると、これはmとても強い意志が込められたものです。主は病床にいるダビデを慰められます。そして、必ずダビデをその病から勝利させてくださるのです。
苦難は私たちを気後れさせますが、この時が、神の真実さを確信するときです。神があなたを金のように鍜練して送り出されることを信じますか。

究極的な人生の目標(詩篇41:11〜13)
敵に打ち勝つ力は、私たちに向かう神の愛です。ダビデは神が自分の祈りを必ず聞いてくださることを確信し、この詩を結びました。彼は、敵が自分に対して勝利の歓呼を叫ぶことができないでいる状況を見て、自分を愛される神の愛を見ました。また、ダビデは神の助けと憐れみに頼っただけではなく、神に信頼する”誠実さ”を示しました。「誠実を尽くしている私を強くささえ」(12節)とは、”神が私の誠実さをご覧になり、私をささえてくださる”と解釈することができます。すなわち、彼は神が自分の悔い改めを誠実さとして認めてくださったと確信しました。ダビデは”アーメン”を二回繰り返して告白することで、神に対する彼の信頼がより深まることを表現します。
あなたが神の愛を確信するときはいつですか。敵の攻撃から救ってくださる神の救いを日ごと謙遜に求めていますか。

今日の祈り
無駄な苦労だと世の人々はあざ笑ったも、神様と共に歩むことで、その苦難すらも感謝できる誠実なクリスチャンとして生きられますように。

今週の聖句2007.12.01

望みと成熟は比例する

詩篇37:30〜40
37:30 正しい者の口は知恵を語り、その舌は公義を告げる。 37:31 心に神のみおしえがあり、彼の歩みはよろけない。 37:32 悪者は正しい者を待ち伏せ、彼を殺そうとする。 37:33 主は、彼をその者の手の中に捨ておかず、彼がさばかれるとき、彼を罪に定められない。 37:34 主を待ち望め。その道を守れ。そうすれば、主はあなたを高く上げて、地を受け継がせてくださる。あなたは悪者が断ち切られるのを見よう。 37:35 私は悪者の横暴を見た。彼は、おい茂る野生の木のようにはびこっていた。 37:36 だが、彼は過ぎ去った。見よ。彼はもういない。私は彼を捜し求めたが見つからなかった。 37:37 全き人に目を留め、直ぐな人を見よ。平和の人には子孫ができる。 37:38 しかし、そむく者は、相ともに滅ぼされる。悪者どもの子孫は断ち切られる。 37:39 正しい者の救いは、主から来る。苦難のときの彼らのとりでは主である。 37:40 主は彼らを助け、彼らを解き放たれる。主は、悪者どもから彼らを解き放ち、彼らを救われる。彼らが主に身を避けるからだ。

要約
神は義人を悪者の手から守られます。この地で悪者が栄えるとしてても、それは一時的なものです。悪者の最後は滅亡であり、ただ主だけに頼る者たちは、救いを得ます。

義人に目を留められる神を見よ(詩篇37:30〜36)
義人は神のみおしえに従って生きる人です。その心に、「神のみおしえ」(31節)があり、神のみことば通りに従う人の歩みは決してよろけません。これは神のみおしえに従う人々が味わう特権です。ですから、悪者が義人を倒す機会を伺っていても、神は彼らのたくらみを妨げられ、さばきの時、義人を罪に定められません。悪者たちはやがて断ち切られます。ですから、聖徒は悪者の攻撃を恐れるよりも、すべての問題の解決者となられる神を望み、神のみことばを守ることに集中しなければなりません。このように、真実に神を求める者たちは、地を受け継ぎます。神を求めることはどんな状況においても、そのお方に信頼する態度です。神に望みを置き、求めた分だけ、私たちの信仰も成熟し、ます。
あなたの心には「神のみおしえ」が中心にありますか。神を求め、もことばを守ることに集中できないようにする要素は何ですか。

神の救いを信頼せよ(詩篇37:37〜40)
詩篇の筆者は「全き人」と「直ぐな人」の生き方に目を留めるよと語ります。終わりには彼らに平安が訪れることを見よと語ります。悪者に向かって最後まで平和を保った人は平安の祝福を味わいます。彼ら自身だけでなく、その子孫も祝福を味わいます。”犯罪者たち”は神が定められた権威に背く者たちを指します。彼らは完全に滅ぼされ、彼らの子孫は断ち切られます。神は艱難に遭うとき、正しいもの救いのとりでとなってくださいます。詩人は、救われる方は神であり、神だけに頼ることを勧めます。ですから、聖徒たちは悪を行う者たちに、怒ったり、戦うべきではありません。もし、心に不安と怒りが込み上げるなら、神の前にけ駆け寄って祈り、そのお方の摂理を確信してください。
きょう、神にさらに頼るべきことは何ですか。不安と怒りに駆られるとき、最も先にどんな行動をとりますか。

今日の祈り
私の心に神様の律法が生きているのか、それを頭でだけ理解しているのではないが点検し、主のみことばが生きていることが私を通して証しされますように。

今週の聖句2007.11.24

人生のまことの逆転

詩篇37:12〜20
12:悪しき者は正しい者にむかってはかりごとをめぐらし、   これにむかって歯がみする。
13:しかし主は悪しき者を笑われる、   彼の日の来るのを見られるからである。
14:悪しき者はつるぎを抜き、弓を張って、貧しい者と乏しい者とを倒し、   直く歩む者を殺そうとする。
15:しかしそのつるぎはおのが胸を刺し、その弓は折られる。
16:正しい人の持ち物の少ないのは、多くの悪しきの者の豊かなのにまさる。
17:悪しき者の腕は折られるが、   主は正しい者を助けささえられるからである。
18:主は全き者のもろもろの日を知られる。   彼らの嗣業はとこしえに続く。
19:彼らは災の時にも恥をこうむらず、ききんの日にも飽き足りる。
20:しかし、悪しき者は滅び、主の敵は牧場の栄えの枯れるように消え、 煙のように消えうせる。

要約
悪者が剣と弓で義人を攻撃し、貧しい者を倒そうとしても、その剣と弓が、かえって悪者の心臓を刺すことになります。これは、主が義人をささえておられるからです。

悪者の結果(詩篇37:12〜17)
詩人は、悪者がどのように義人に害を加えるかに対して、より詳細に描写しています。”その日”(13節)は悪者の最後の日ですが、神はその日を知っておられるだけではなく、その日定められます。神は悪者が自分の最後も知らずに高ぶる姿をご覧になり、笑われるしかあえいません(13節)。それは、猛烈な怒りへと続きます。罪のない人を殺そうとする悪者の剣は、結局自分の心臓を貰く道具となり、彼らの弓は折られ、役に立たなくなります(15節)。このように、神は悪者の腕は平安の中でささえられます(17節)。まことのいのちは、所有の豊かさにはありません。むしろ全能の神の腕に頼って生きる、義人の少ない所有が、悪者の豊かさよりもまさる祝福なのです(16節)。
最近、最もよく考え、心を占めていることは何ですか。所有の多く少ないに心を奪われていませんか。

義人の繁栄を覚えよ(詩篇37:18〜20)
義人の結末は繁栄で終りますが、悪者は滅びます。神が「全き人の日々」(18節)を知っておられるという肯定的な意味をこめています。また、彼らの相続地は永遠に残るといわれましたが(18節)、ここには繁栄と安全さという意味があります。”艱難のとき”や”飢饉の日”(19節)は「全き人の日々」に含まれ他日で、苦難の時にも神は彼らをさせられ、守られます。彼らは艱難の日にも満ち足ります。また、災難が臨むときにも、決して恥を見ません。悪者が繁栄を味わうように見え、正しいものが彼らの手によって苦しんでいるようでも、結局は神と正しい関係を結んでいる人だけが生き残るのです。
艱難の時や、ききんの日にも、真実に神のいつくしみを信じていますか。神との正しい関係を保つためにどのような価値観で生きていますか。

今日の祈り
覆われている私の目を開いてくださり、時に悔しい、悪が勝利しているかのように見える光景の中でも、神様の御手を見て、神様の時に期待できますように。

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今週の聖句2007.11.17

貧しい者の祈りと望み

詩篇34:1〜10
1:わたしは常に主をほめまつる。そのさんびはわたしの口に絶えない。
2:わが魂は主によって誇る。苦しむ者はこれを聞いて喜ぶであろう。
3:わたしと共に主をあがめよ、われらは共にみ名をほめたたえよう。
4:わたしが主に求めたとき、主はわたしに答え、   すべての恐れからわたしを助け出された。
5:主を仰ぎ見て、光を得よ、   そうすれば、あなたがたは、恥じて顔を赤くすることはない。
6:この苦しむ者が呼ばわったとき、主は聞いて、すべての悩みから救い出された。
7:主の使は主を恐れる者のまわりに/陣をしいて彼らを助けられる。
8:主の恵みふかきことを味わい知れ、主に寄り頼む人はさいわいである。
9:主の聖徒よ、主を恐れよ、主を恐れる者には乏しいことがないからである。
10:若きししは乏しくなって飢えることがある。   しかし主を求める者は良き物に欠けることはない。

要約
ダビデは神を賛美します。これは彼が 難の中で祈ったとき、神が答えられたからです。 難から救われたダビデは、聖徒も自分のように主の助けを求め、恐れるように進めます。

すべての恐れから救われた主(詩篇34:1〜6)
詩篇34篇はダビデがアビメレクに前から気が違ったふりをして追われたときに作った詩です(Tサム21:10〜15)。恐れのあまり、よだれを流して気が違ったぐりをすることは、想像しただけでも恥ずかしいことです。この時、ダビデは、サウルを避けて逃げたものの、仕方なく敵の地に戻ってきた状況でした。ですから、ダビデにとってこの時ほど”残酷な”時はありませんでした。自分の身分を正直に明かせず、その瞬間を逃れるために屈辱的な演技をするしかなかったのです。そのような状況でも、彼が切に頼り求めたのは、ただ主だけでした。神は”悩む者”の祈りを聞かれ、彼をすべての恐れと 難しいから救われました(6節)。このようなダビデの経験は、”貧しい者”の望みとなります(2節)。
侮辱されて恥ずかしい思いをし、卑屈になっていませんか。その時が後に、悩む者を理解し、助けるための備えであることを知っていますか。

主に身を避けなさい(詩篇34:7〜10)
ダビデが得た結論は、すべての状況が目に見える人々によって動かされているのではないということです。彼は背後で起こる霊的戦いを悟りました。神を恐れる者には天の軍隊である”主の使者”を送ってくださいます。主の使者たちが、彼を中心に陣営を張り、敵の手から救ってくれるのです。ダビダは”主を恐れる”ことの大切さを悟ります。彼はどれだけ恐ろしい状況でも、他のどんなことよりも、そして、他のでれよりも、主を”恐れる”ことが、主を求める者の正しい態度であることを学びました。ダビデは主を恐れる者は、乏しいことがないことをはっきりと体験したため、「主を恐れよ。その聖徒たちよ。彼を恐れる者には乏しいことはないからだ」(9節)と叫びます。
あなたは他のどんなよりも主を恐れていますか。主を恐れる者は”良いもの”に何一つ欠けることがないことを信じて生きていますか。

今日の祈り
この世のどんなものより主を愛します。どんな苦しみや試練にあっても変わらないことを願います。主を恐れることが私の力であると告白させてください。

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今週の聖句2007.11.03

接ぎ木の枝と台木の枝

ローマ人への手紙11:13〜24
13: そこでわたしは、あなたがた異邦人に言う。わたし自身は異邦人の使徒なのであるから、わたしの務を光栄とし、
14: どうにかしてわたしの骨肉を奮起させ、彼らの幾人かを救おうと願っている。
15: もし彼らの捨てられたことが世の和解となったとすれば、彼らの受けいれられることは、死人の中から生き返ることではないか。
16: もし、麦粉の初穂がきよければ、そのかたまりもきよい。もし根がきよければ、その枝もきよい。
17: しかし、もしある枝が切り去られて、野生のオリブであるあなたがそれにつがれ、オリブの根の豊かな養分にあずかっているとすれば、
18: あなたはその枝に対して誇ってはならない。たとえ誇るとしても、あなたが根をささえているのではなく、根があなたをささえているのである。
19: すると、あなたは、「枝が切り去られたのは、わたしがつがれるためであった」と言うであろう。
20: まさに、そのとおりである。彼らは不信仰のゆえに切り去られ、あなたは信仰のゆえに立っているのである。高ぶった思いをいだかないで、むしろ恐れなさい。
21: もし神が元木の枝を惜しまなかったとすれば、あなたを惜しむようなことはないであろう。
22: 神の慈愛と峻厳とを見よ。神の峻厳は倒れた者たちに向けられ、神の慈愛は、もしあなたがその慈愛にとどまっているなら、あなたに向けられる。そうでないと、あなたも切り取られるであろう。
23: しかし彼らも、不信仰を続けなければ、つがれるであろう。神には彼らを再びつぐ力がある。
24: なぜなら、もしあなたが自然のままの野生のオリブから切り取られ、自然の性質に反して良いオリブにつがれたとすれば、まして、これら自然のままの良い枝は、もっとたやすく、元のオリブにつがれないであろうか。

要約
イスラエルの失敗は異邦人に救いをもたらしました。ですから、パウロは異邦人の聖徒らに高慢にならず、神を恐れるよう教訓します。台木の枝であるイスラエルを折られた神は、接木の枝である異邦人をも折ることができるからです。

他の人が救いに至るようにせよ(11:13〜16)
パウロはイスラエルの救いに対する切なる情熱がありました。彼はイスラエルを”私の骨肉”と言いました。そして、自分が異邦人の使徒でああることの究極的な目的も、異邦人の救いを通して、イスラエルを救いに至らせものであり、そのような点で、自分が異邦人の使徒であることを誇りに思っていると語りました。その他にも、イスラエルの回復に対して言及し(16節)、イスラエルを救いから断ち切られたことが、異邦人が神と和解する契機となったなら、イスラエルが救われるときには、その効果がどれほど素晴らしいかを強調するなど(15節)、パウロのイスラエルの救いに対する情熱と共に、イスラエルの救いのために、救われた異邦人らが担う役割に対する挑戦が秘められています。
先に信じた人には信じていない人を救う使命があります。ひとりのたましいを救うためにどんな代価を払いますか。

救いをくださった神に対する態度(11:17〜24)
パウロは救われた異邦人が負うべき態度について語ります。第一は、ユダヤ人に対する誇ってはならないということです。イスラエルが台木の枝(根)であり、異邦人は継ぎ合わされた支流(枝)です。異邦人は継ぎ合わされてユダヤ人が味わうように約束された特権を代わりに味わっているのです。ですから、イスラエルに対して高慢になったり、優越感を持ってはならないということです。第二は、救いは自分の功労であるかのようにタ高ぶったり、身勝手に振舞ってはいけないということです。もし、そのようにするなら、神は異邦人までも折ってしまわれるのです。私たちは救われたことで、他の人々をも救いに至らせる道具となり、神の恵みの前に自分を低くし、感謝しなければなりません。
信仰を拒否する人々をどのように考えますか。彼らを非難したり、無視し、霊的高慢に陷っていませんか。

今日の祈り
みことばを通して、救いが神様の全的な恵みであることを今一度告白します。救いに秘められた主のみこころを悟り、今日も人々にその愛を伝えさせてください。

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今週の聖句2007.11.10

私の声、神様の声

詩篇29:1〜11
1:神の子らよ、主に帰せよ、栄光と力とを主に帰せよ。
2:み名の栄光を主に帰せよ、聖なる装いをもって主を拝め。
3:主のみ声は水の上にあり、栄光の神は雷をとどろかせ、主は大水に上におられる
4:主のみ声は力があり、主のみ声は威厳がある。
5:主のみ声は香柏を折り砕き、主はレバノンの香柏を折り砕かれる。
6:主はレバノンを子牛のように踊らせ、シリオンを若い野牛のように踊らされる。
7:主のみ声は炎をひらめかす。
8:主のみ声は荒野を震わせ、主はカデシの荒野を震わされる。
9:主のみ声はかしの木を巻きあげ、また林を裸にする。   その宮で、すべてのものは呼ばわって言う、「栄光」と。
10:主は洪水の上に座し、主はみくらに座して、とこしえに王であらせられる。
11:主はその民に力を与え、平安をもってその民を祝福されるであろう。

要約
すべての人は主を賛美しなけれななりません。主の御声には力があり、万物を治める力があります。特に、ご自身の民に力と平安の祝福をくださる主を賛美しなければなりません。

栄光と力を主に帰せ(詩篇29:1〜2)
神の子とされた人の地位は実に偉大です。地に生きていても、その身分は世の権威ある者に命令を下すほどに高く、威厳あるものです。ですから、ダビデは、栄光と力を主に帰し、主の御名にふさわしい栄光をささげよと命じます。”ふさわしい栄光”は神が神として当然受けるべき待遇です。神は愛の方であると言って、公義を行われない、無力な存在にしてしまうことがあります。また、伝道という名目で、その人の好みに合わせて神を伝えてしまうことがあります。いつでも、とこででも、神は神としてふさわしい栄光をお受けになるべきです。神にふさわしい栄光をささげるためには、被造物の本分に立ち返り、「聖なる飾り物を着けて」いつも神を礼拝しなければなりません。
自分の考えと感覚の中に神を引き入れようとしていませんか。創造主なる神にふさわしく、どのような言葉をもって栄光をささげますか。

民に力をくださる神(詩篇29:3〜11)
ダビデは大水に注目します。恐ろしい大水がレバノンの地をゆるがし、若い野牛がはねるようにうすぶります。雨風が吹き荒れ、杉の木が引き倒され、稲妻の炎が天を刺し貰き、洪水は山林を裸の荒地にしてしまいます。世の人々にとって、これは恐ろしい災難ですが、ダビデはその中で主の御声を聞きます。どうしてでしょうか。ダビデは、今「その宮」(9節)にいます。ダビデと共に神の宮にいるすべてのものが、一斉に「栄光」を叫びます。神にふさわしい栄光をささげる人は、どんな状況にあっても神の御声を聞き逃しません。彼らは、恐ろしいことの最中にも、それを治めておられる神を見上げ、ご自身の民に力をくださり、平安の祝福をくださる主に信頼します。
あなたは当然いるべき礼拝の場にいますが、その礼拝の場で神の御声を聞いていますか。神があなたに肩語っておられることは何ですか。

今日の祈り
きょうの最初の時間を主にゆだねます。一瞬一瞬語られる神様の御声に耳を傾け、私の人生が主のもこころに叶うように導かれ、恵みにあふれますように。

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