オウサン工房
宗教,神,信仰
何故「オウサン工房」なのか?
2005.07.02 王永天
代々クリスチャンの家系に育った私は、1999年日本に来て、自分を守り、愛し、導いてくださった神様を深く感じています。
神に反逆し、神のみこころにそぐわぬ生き方をし、失敗の人生を生きてきた自分を、かくまでも恵み深く助けてくれた神、祝福してくれる神を覚えると、一層神に近づきたいと思うようになり、神学校で学ぶ決心をした。その思いは強く、夜間の神学校へ通うことに難色を示す会社を辞しての決心でありました。しかしそれがゆえにまた、私の新しい仕事欲を満たす、新しい会社との出会いがあり。そして私はいつしか、そうした一つ一つの事柄が神様からの恵深い愛の配慮によるものであることを心底感じるようになり、その神様に恩返しをしたい、と思うようになり、ホームページの無料作成を考えついた。これまでに手作りのホームページは4件でした。
私と息子は、自分の奉仕場に「工房」と名前をつけている。「工房」ということばには、私の国では、日本人がイメージするような商売的な意味合いは少しもない。工房は、最も卑しい仕事、収入も考えず、ただひたすら物を作り続けることなのです。
私にとっては報酬のないことが報酬です。天に宝を積むことに本当の喜びを感じています。
宗教,神,信仰
奉仕ついて
2005.07.02 王永天
 奉仕といっても種々あります、「教会奉仕、職業奉仕、社会奉仕、国際奉仕」を現在の四大奉仕という分類と思いますが、私は「教会奉仕」についてまとめてみました。
一、「教会奉仕」とは
 教会奉仕とは報酬を求めず、献身的に仕える事です。教会は牧師と信徒によって成り立っています。旧約聖書の中には、3つの信仰の系譜が流れている。祭司的信仰、預言者的信仰、そして、知恵者的信仰である。各々の信仰には、各々の奉仕の形が伴っていた。祭司は神殿での祭儀を通して神と民との間に立って、両者に仕えた。預言者は神から啓示されたことばを、不信仰に陥った民、国家的危機に直面した民に語った。さらに、知恵者は「知恵文学」と呼ばれるものを通して、幸せな人生について論じた。以上の3つの系譜を現代に適用すると、牧師の役務的祭司職と信徒の共通祭司職ようになるでしょう。
1.牧師の役務的祭司職 
 牧師の信仰と奉仕とは、神の前に執りなしの祈りを捧げつつ、人々の必要に奉仕することである。福音のメッセージを宣言し、人々に悔い改めと主イエスに対する信仰とを迫ることで、文化的、芸術的活動を通して、聖書的価値観や世界観を表現することである。牧師は礼拝をささげることで、キリストと共に全人類をその喜び、苦しみを含めておん父にささげます。父なる神はそのいけにえをご覧になって、人々をあわれみ、人々に必要な恵みもたらしてくださいます。御心を通して私たちを罪から解放し、新しい自分へと生まれ変わらせる恵みが与えられるのです。牧師は御心を受けており、御心の執行を通して主に教会に奉仕します。牧師には御心を何よりも大切にし、信徒を励まし、助けるという基本的な務めがあります。
2.信徒の召命と使命 
 信徒には主に社会にあって信仰者として生きることが求められています。家庭、学校、職場、いずこにあっても、大切なのは社会の隅々にまで信徒がキリスト教徒として、その福音に従って生きることです。あたかもパン種のように社会の内部に働きかけ、社会そのものを福音化する働きをします。社会のあらゆる場所に生きているのは信徒だからです。洗礼を受けた人は皆、洗礼を受けたことでキリストの祭司職に与っています。イエス・キリストは十字架上で自分をいけにえとしてささげ、父なる神はそれをご覧になって私たちの罪を赦し、新しいいのちへと生き返らせます。わたしたちキリスト者も自分をキリストのいけにえに合わせて捧げることでキリストの祭司職に与ります。毎日の生活の喜びや苦しみをイエス様の十字架に合わせてささげるのです。父なる神は、わたしたちのこのいけにえをご覧になって、人間に必要な恵みを与えて下さいます。その意味で私たちは祭司なのです。そこでこれを信徒の共通祭司職と呼んでいます。毎日出会う人々、出会う出来事を捧げることでその祭司職を果たすことができます。信徒の役割の大切さが強調されて久しくなります。それは決して牧師が減少したからではありません。それは教会の本質的な部分を信徒が担っているからです。信徒の数は絶対多数であり、信仰体験においても、人生体験においても豊富であることを実感している。
二、奉仕者の心得
 奉仕を通して主に伝えることができるというのは、クリスチャンとしての無上の喜びです。地上の朽ちゆくもののためにではなく、神の国にそのままつながりゆく見えないもののために、見える様々な賜物を奉仕という形で用いていくことができるのです。いやいやながらでも、義務的にでもなく、心から喜んで奉仕なのです。
1.自分信仰成長のため
 奉仕はどうして必要なのでしょうか?教会においては、奉仕がどうして求められるのでしょうか。奉仕はもちろん、神のためです。神のためにわたしたちは奉仕します。その通りなのですが、それでは神はわたしたちの奉仕を必要とされるのでしょうか。わたしたちの奉仕がなければ、神の働きはできないのでしょうか。答えは否です。実はむしろ奉仕は、まずわたしたち自身のためのものです。わたしたちの信仰が成長するために必要なのです。子供が成長するためには、必要な栄養が十分摂取されると共に、適度な運動が必要です。身体の成長だけではなく、心の成長も「遊び」の中で身につけていきます。多くの人との出会いや摩擦の中で子供は色々なことを学習し、心を成長させていきます。どんなに栄養を与えても、それだけで健全に成長するわけではありません。わたしたちの信仰も同じです。奉仕は、何より自分のため、自分の成長のためなのです。神はわたしたちの働きを必要とされる方ではないのに、わたしたちを用いてご自身の働きをしてくださいます。それは神がわたしたちを必要とされるというよりも、それによってわたしたちを信仰の成長へと促すためでした。
2.奉仕は祈りは不可欠
 奉仕することが出来るのです。さらに大切なのは、「祈り」です。 祈りは、教会に与えられた「祭司」としての重要な務めであり、それこそ第一の奉仕です。様々な必要を覚えて執り成す働きは、最も直接に神に働きかけ、神に働いていただく奉仕です。
 奉仕者は具体的の祈りも重要であり、「私はこれからこういう奉仕を頂きたいですが、あなた本当にその御心だともっておられるのか、しろしを見せてください。」この奉仕のため、他の兄姉にも覚えて祈ってもらいましょう、祈りのバックアップに支えられ、心強く奉仕できる。祈りのない奉仕は主に喜ばれません。主はどれだけの仕事をしたかではなく、その奉仕がどのような姿勢でささげられたかを見ておられます。祈りと信仰をもって主に喜ばれる奉仕をささげます。
3.あたりまえな姿勢
 私たちは贖い者、売られた者として、奉仕のはあたりまえなことです。けれども、ローマ書12:6「私たちは、与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っています。」神から与えられた資源は、自分のものではありません。奉仕はただ自分の賜物を忠実に用いるためです。「あなたがたはそれぞれ,賜物を授かっているのですから,神のさまざまな恵みの善い管理者として,その賜物を生かして互いに仕えなさい。」 ペトロの手紙4:11 賜物についての例え話を覚えていますか。金持ちが旅行に行き、古代の貨弊単位である”タラント”で、いろいろな額をしもべに託すという話です。しもべでのうちの二人はそのタラントを用いて増やし、多くのタラントを得ました。三人目は自分に託されたタラントを地中に埋めました。主人が戻ると、そのしもべは、もともと与えられたタラントを示すほかはありませんでした。この話を私自身の生活に関係づけることができます。主人から託された私たちのタラントは、自分の能力や財産や時間です。私たちはこれらのもの用いて、キリストの体を建てることが出来ます。あるいは、タラントを埋めて、だれの助けにもなれなかったしもべのようになることもできます。神様から与えられたどんな技能も、人々を助ける霊的な贈り物なるものです。
4.奉仕は人や教会に対してするのはない
 そのような姿勢の奉仕は必ず行き詰まります。自分の奉仕誤解されたり、理解をもらえないたり、評価してくれない時、不満を抱いたりするようになります。私たちは人が見ていようがいまいが、何も関係なく喜んで、心から主に向かってささげる奉仕しましょう。
5.他の人と比較しない
 能力や才能が問われているのではありません。足りなくとも精いっぱい主に向かってささげられる奉仕こそ尊いのです。また、わたしたち一人一人の奉仕が、教会の働きのために必要なことは言うまでもありません。教会の働きを維持し、さらにそれを発展させていくためにも、わたしたちは奉仕をします。しかしそれはそこにとどまらず、わたしたちは自分が実際に奉仕をし、教会の働きに参与することで、いっそう教会の必要が見えてきます。教会の足りなさ、弱さ、様々な必要が見えてくるのです。そしていよいよ教会の弱さと足りなさと問題を引き受けながら、それを担っていく責任と自覚が生みだされていくのです。奉仕はわたしたちを傍観者・批評家にしません。
6.へりくだって奉仕する
 奉仕をするとどうしても、人間的な「自分が何かをした」ということが残りがちです。けれどもそれで高慢になってしまったのでは奉仕の意味がありません。多くをなせばなすほどへりくだることです。奉仕に対する優先順位は、奉仕の内容そのものにも関わってきます。自分の好む奉仕は喜んでするが、気にいらない奉仕には関わろうとしないなら、奉仕に対する考え方を考え直す必要があります。自分の教会に対する自覚と責任は、他の人がしようとしない奉仕へと目を向け、喜んでそれを担う者としていきます。苦手な奉仕でもそれをうまくやる努力をし、気乗りのしない奉仕でもそれを楽しく担おうと工夫するでしょう。自分のしたいことをするのが奉仕ではありません。様々な仕事や用事がある中で、限られた時間を主に捧げることが奉仕ですから、一日や一週間の時間の使い方が変わってくるはずです。
 7.すべての栄光は主にお返します
 どれだけのことをしたとしても、それを自分の栄光として誇る権利は私たちにありません。むしろ、健康を支え、時間を与え、思いを与えて、それだけのことをなさせてくださった主に感謝をし、一切の栄光を、用いてくださった主にお返しすべきです。
8.「自分がした」奉仕は極力忘れるようにする
 いつまでも心の中で、「その奉仕は自分がした」という思いを引きずっていると、何よりも奉仕した当人にとってありません。特に「自分がした」奉仕は、いつまでも心の中で思っていないで、すでに過ぎ去って一区切りついたこととして、自分から切り離すようにしましょう。「自分が奉仕した」がゆえこととして、自分から切り離すようにしましょう。「自分が奉仕した」がゆえの弊害が出てはなりません。
9.一度主の前で誓った奉仕は最後まで全うする
 私たち人との約束を、最後まで誠実を尽くして全うしようと努めます。同じように、否それ以上に私たちは、見えない主に対する誠実を、その奉仕を通して、私たちの信仰の実際が問われています。
10.心を込めるて真心から主にささげる
小さく見える奉仕でも、大きく見える奉仕でも、同じように主は喜んでおられます。問題は、心を込めて一つ一つ、主にささげるか否かです。
11.他の兄姉の奉仕を喜ぶ心をもつ
 「自分が」奉仕することに価値を見出していると、同じように奉仕する他の兄姉の姿がなかなか受けいられません。けれども大切なことは、自分を通しても通さなくても、きちんと主の必要とされる奉仕が主にささげられることです。自分の手を介して成された奉仕と同じように喜ぶ自由な心をもちます。
12.奉仕の場で、他の兄姉と協調する奉仕がひとり歩きをして、他の兄姉や教会全体の働きと摩擦を生じたのではマイナスです。奉仕に熱心なあまり独り善がりになり、まわりが見えなくなったりすることのないように注意します。また、わたしたち一人一人の奉仕が、教会の働きのために必要なことは言うまでもありません。教会の働きを維持し、さらにそれを発展させていくためにも、わたしたちは奉仕をします。しかしそれはそこにとどまらず、わたしたちは自分が実際に奉仕をし、教会の働きに参与することで、いっそう教会の必要が見えてきます。教会の足りなさ、弱さ、様々な必要が見えてくるのです。そしていよいよ教会の弱さと足りなさと問題を引き受けながら、それを担っていく責任と自覚が生みだされていくのです。奉仕はわたしたちを傍観者・批評家にしません。
三.奉仕を通して得た喜び
 奉仕における喜び、「天に宝を積む」奉仕の喜びには、自分がしたいことをする喜び、自分が活躍し用いられる喜びがあります。それらの喜びも大事ですが、それが自己満足的なものに陥っていないかどうかは吟味する必要があります。それが自分を喜ばすためのものでしかないなら、問題です。奉仕の喜びは、本来仕える喜び、主の喜びを喜ぶ喜びであり、隣人が喜ぶことを喜ぶ喜びです。喜びは分かちあうものです。奉仕によって、主が喜んでくださることを願いながら奉仕する、それが大切ではないでしょうか。主の喜びを我が喜びとする、そのような奉仕でありたいと思います。しかしそのことが、結果的にはわたしたち自身の喜びともされることは感謝です。主の喜びを喜ぶと言っても、実感が湧きません。しかしやはり奉仕によってわたしたち自身も、奉仕する楽しさと用いられる喜びを味わうことが許されているのです。奉仕によってわたしたちは、「天に宝を積む」ことになります。「彼らの行いは彼らについていく」(黙示録14章13節−新改訳)とあるように、やがてわたしたちは奉仕によって報いを受け、主からお褒めの言葉をいただくことでしょう(マタイ25章)。そのことを期待しつつ、今与えられた責任を、喜んで担っていきたいと思います。
ある人は「一生を終えて後、我々に残るものは、我々が集めたものではなく、我々が与えたものである」(ジェラ−ル・ショルダン)と語りました。自分のため、自分のためと自分に生きる人生は、虚しいです。虚しさにおわらない人生、そのために神はわたしたちを神の働きへと召し出し、神と隣人に生きる人生という使命を与えてくださったのでした。わたしたちに奉仕が与えられたのは、どこまでも自己中心に生きるわたしたちが、その自分という殻から解放されて、生き甲斐のある、喜びのある人生に生きるためでした。虚しさにおわらない人生、そのために神はわたしたちに奉仕を与え、使命に生きる人生へと召しだしてくださったのでした。この神の憐れみと祝福を覚えて、その神の召しに応えていく人生としていきましょう。
 イエス様の教えから,そして,イエス様の生き方から私たちは教えていただきました。「受けるよりも与える方が幸いだ」ということを。「他の人の幸せのために自分の持っているものを与える」という美しさを。ある人の奉仕は服を作ることでした。ある人の奉仕は小説を書くことでした。ある人の奉仕は食事の給仕をすることでした。ある人の奉仕は服を洗ってアイロンをかけるということでした。あなたに与えられている奉仕の賜物は何でしょうか。それをふさわしく用いる時に,私たちは受けることによっては決して味わうことのできない,さらに大きな喜びを経験するのです。
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母親として
2005.05.15 王永天
息子の渡米で二ヶ月間私が元気なかったです。
中国に逃げたり、陰で泣いたり、何日も泣いて、涙を拭いているうちに、目を傷つけてしまいました。やはり母親にとって、子供を見送るのはとても辛いです。
今日母の日です、朝から夜11時まで、息子のメールや電話を待っていた、時差なので、やっと11時過ぎお祝いカードを届きました、そして映像チャットで一緒に楽しい時間を過ごしました、この子生まれてよかった、神様に感謝!今日はとても幸せでした!
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僕の夢
2005.04.02 王モーセ
僕の夢は医者になることです。なぜ医者になろうと思ったのか、それは祖母からの影響があります。僕の祖母は産婦人科の医者でした。当時、中国では産婦人科の医者の身分はとても低く、人気がなかったため、産婦人科では人手が足りなくて、たくさんの妊婦が困っていました。そんな妊婦の窮状を見かねたため、眼科の医者に憧れていた祖母は産婦人科に入りました。
祖母の仕事ぶりはとっても熱心で、何百人もの赤ちゃんの誕生を迎えました。ちなみに僕もそのうちの一人です。「ひとつの命の始まりはとても神聖なことで、それを自分の手で迎えてあげられることを私は光栄に思う。そして、何よりその家族の笑顔を見ることができるのは幸せだ。」と祖母はいつも話していて、自分の仕事を大事にしていました。
当時の中国では医療費が高く、病気になっても病院へいけない患者がおおぜいいました。祖母は退職後も、自分の退職金を使って薬や医療器具を買い、経済的に恵まれない患者の家へ行き、ボランティアで往診治療しながら、神様の福音伝えました。沢山の患者さんは神様のことを信じました。僕は祖母の人に対するやさしさに感動され、医学を志すことに決意しました。将来医者になって、体と心を病んでいる人に神様のこと伝えたいと願っています。
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僕のふるさと
2005.09.16 王モーセ
 Hello everyone. 突然ですが、皆さんのふるさとはどこですか?自分のふるさとを思い出すと懐かしい気持ちになりますね。僕の故郷はここから4000km離れた中国雲南省の昆明です。雲南省は中国の南西端に位置し、ベトナムやラオスと国境を隣接しています。僕は日本に来て5年になってまだ一回も帰ったことはありませんが、故郷について記憶になお新しい。
 昆明は雲南省の中部、熱帯に位置しています。あなたは夏になるとクーラーなしではいきていけないだろと思うことでしょう。しかし、それは違います。 なぜなら昆明は熱帯にあるとともに、海抜1900mの雲貴高原に位置したことで、夏は酷暑がなく、冬は寒すぎず、四季春の如し一年中穏やかな気候に恵まれています。「春城」の愛称で親しまれるこの町は、植物は四季を通じて青々と生い茂ると、特に町中に五色にきらめく花が絶えず満開していて、多くの観光客を引き寄せています。
僕は、日本にくる前に実は雲南省から出たことはありませんでした。小さい頃こんないい環境で生活できたのは当たり前だと思っていました。しかし、故郷から離れ、だんだんといろんなことに気づきました。最初に気づいたのは真夏来日の飛行機の中から出たときで、日本の蒸し暑さに参ったことでした。また、花粉症に悩まされている日本人を見て、自分があんな花の多い場所で花粉症への免疫力をつけたことを幸いに思いました。冬は大変だった記憶がありました、気温10C以下にいたことのない僕にとってとても厳しかった。体が少しでも冷えると熱が出たり、下痢を起こしていました。だから、冬になると僕はあまり外へ出られませんでした、学校では一番の厚着でした。それから二年間、やっと日本の春夏秋冬になれました。それらのことから僕は自分が故郷への感情を大切にしていなっかたことを思い出し、そこで改めて故郷のよさを再認識し始めました。
僕は来年アメリカへ留学することになりました。5年前昆明から立ったように日本を遠く離れるのは、とても後ろ髪を引かれるような思いがします。人間は普段どうでもいいと思っていたもの、すなわち、人生の中ある時期に自分と一緒にあった場やひとがいざいなくなると、なぜか心苦しくなって、心のどこかにそれが自分にとって本当に大事なんだなあと初めて気づくのです。
日本でいた5年間、いろいろ思い出ができました。夏に初めて祭りで踊ったこと、冬は寒かったけど、昆明で見ることのできなかった雪を食べたことなどを大切な宝物として記憶に締まっておこうと思います。そして、僕はこの第二のふるさと日本で残された時間を大事に過ごしたいとおもいます。
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証し
2004.12.19(受洗日)王モーセ
 約一ヶ月前にこの証という宿題が出されました。先生の話によると内容は:
 @信じる前の自分について A信じたときの自分、B信じたあとの自分の三つで構文することですが。そのときは困っちゃいました。なぜかというと、僕はクリスチャン家族からうまれたので、自分のデータベースが作動し始めたときのもう自分はクリスチャンだ、教会に行くべしというようなデータが知らぬ間に保存されてしまっていたのです。つまり、多分@、Aの自分は存在していなっかたと思いますので、Bで許してください。
 僕の名前はご存知の通りモーセといいます。不思議だと思う人はいないかもしれないけれど、張鋭という本名があるのになぜ意味不明のモーセという名で呼ばれるのだろう?と、僕が小さいころから変だと思ったので、好奇心におされ、名前を付けてくれた祖母に「ねえ、何で僕はモーセなの?」って聞いて見ました。それは「これからの信仰生活でいろんな困難や誘惑に遭うでしょう、それをモーセのように根気よく乗り越え、たくましく生きてほしい」というこたえでした。そのときは「何を難しいこというんだ!」と思ったんですが、たくましく生きるということだけはわかりました。それはぼくがクリスチャンになって成長した第一歩だと思います。
 それから何年間教会に行ってるうちに身も心も成長し、だんだんと自分は罪びとであることを認識し始めました。そこで、これまでずっと間違って思っていた重要なことが一つありました。ぼくはこんな自分みたいな罪びとは本当に救われるのだろうか、そしてどうしたら救われるのだろう、どうしたら、モーセというようなにふさわしい人間になれるのかとずいぶん悩みました。だから、聖書を読み「悔い改めなさい、天のみくにが近づいたから」(マタイ4.17)をみて、こう思いました、「悔い改めるというのは、もう二度と罪を犯さないこと、でもそれは不可能だから、よい行いをし、いい人間になって挽回しなくでは!」と思い込む傾向がありました。それにようやく解決を得られたのは最近です、洗礼準備クラス会で「すくいについて学びました、「あなた方は、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。」(エペソ2.8)最初はこんなおいしい話あるかい!?と思ったのですが、しかしよく考えて見ると。たとえば、ある子供はとっても悪い子で、おやのいうこと聞かないし、いたずらするし。しかし、もしもこの子は病気や怪我、危険にさらわれた、としたら、この子は悪い子だといってそのまま見殺す親はいません。むしろ、自分の命をほりだしでも、愛するわが子を助けてやろうとするはずです。よって、ぼくと神の間もそのような関係です、御子イエス・キリストによって救われたのですから、自分の行いによって救われたのではなく、ただ恵みのゆえに、救いの賜物をいただくことができたことを感謝致します。何ヶ月の間毎週谷下牧師先生のクラスで信仰を固めて、そしてずいぶん悩んでいる問題を解決を得ることが感謝致します。
「彼は、キリストのゆえに受けるそしりを、エジプトの宝にまさる大きな富と思いました。彼は報いとして与えられるものから目を離さなかったのです。」 へプル11:26
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儀礼から人間社会を考える
2005.01.25 王モーセ
 儀礼――広辞苑によると儀礼を「@社会生活の秩序を保つために人が守るべき行動様式。特に敬意をあらわす作法。A社会的慣習として、形式を整えて行う礼儀、礼式。(広辞苑 第五版 新村出編 1998年岩波書店発行)」と定義しています。広義には直接宗教と関係のない意味で一般的に捉えられています。つまり、「儀礼」は特別のものではなく、現代社会で私たちに頻繁に使われるものなのです。例えば、助けてもらったときに「ありがとうございます」と言う行為。誤りを犯したら「ごめんなさい」と言う行為なども一種の儀礼といえます。心を込めて感謝したか、謝罪したかを別にして、このような儀礼は、「人間関係を円滑にし、社会生活の秩序を保つ」という機能を人間社会にもたらしています。
 ところで、Aの意味によると儀式も儀礼の一種ですが、儀式はひとつの大切なことにともなって、行われるものです。結婚しようとする二人の意志や愛情にあっての結婚式、その学校の生徒である資格を与えられての入学式、あるなくなった人を追悼する葬式。また、儀式・礼式は宗教と不可分の関係にあります。特に諸外国に比べ宗教活動が盛んでない日本においても、葬式でお坊さんを呼び(仏教)、結婚式は教会で執り行います(キリスト教)。
 もともと宗教は大きく二つに分けることができます。自然宗教と創唱宗教です。一般的に原始社会での自然宗教は生育・葬祭・豊穣・居住など生活に必要なことを自然界に求めるものです。「子供が無事に生まれるように・死んだ人があの世で極楽往生できるように・今年もいっぱい作物がとれるように・災害に遭わないように」などのように、自然に対して祈念する気持ちを表面的に表すのが、いわゆる人生儀礼・生産儀礼などです。それらが、その後日本に伝わって来た、仏教・キリスト教などといった創唱宗教の儀礼の形式を借りたものが、今現在日本の冠婚葬祭で行われている儀礼になったのです。
 そして、儀礼にはもっとも重要なひとつの機能があります。釈迦の信者であれ、ムハンマドの信者であれ、イエス・キリストの信者であれ、全ての信者は神に自分の信仰をおかなければなりません。自分は神によって救われる! という信仰をおくことです。このような信仰をいつまでも固めておくために、仏教ならお寺で座禅修行を行う、イスラーム教なら年に一度に大規模なメッカの大巡礼を行うなどのような儀礼を行います。霊的なもの(信仰を固めること)を外面的なものにあらわす(儀礼を行う)。それが宗教上のもっとも重要な機能です。
 キリスト教、イスラーム教、仏教、これらは周知のように世界の三大宗教ですが。あるひとつの共通点があります。教祖が神格などの啓示を受け、その神が授けた教えをいろんな地域や民族の人に唱えたことです。これは創唱宗教の定義ともいえます。
 創唱宗教で私の儀礼体験について言えば、去年のクリスマス礼拝でキリスト教プロテスタントのバプテスマ(洗礼)を受けて、私は正真正銘のクリスチャンになりました。
 キリスト教のパブテスマとは恵みを媒介する特別な手段です。信者にとっては一生に一度重要で大きな儀礼です。手順としては、まず、牧師の前に立ち「あなたはイエス・キリストを自分を救った主だと信じますか? イエス・キリストをあなたの神だと信じますか?」といった質問を受けます。その人が本当に心から「自分は神によって救われたんだ!」と思い、その全ての質問に心底から「はい、信じます!」と答えることが出来るのならば、次に進みます。受洗者が水槽に入り牧師からの祝福の祈りを受け、頭を仰向けにして体全体を水の中に浸します。以上の手順はイエスキリストが十字架にかけられて死に、そして三日後に復活し再びよみがえったというイメージに基づいて行われます。つまり、受洗者が罪深い過去を捨てまた新生(新しく生まれ変わる)したということです。すなわち、それにあずかる者に真の恵みを伝達する典礼です。
 また、バプテスマはいろんな種類があります。頭から水を注ぐ潅水礼、ただ額に水を滴る滴礼と三度水の中に浸す三回浸礼など千百ほどあります。しかし、受けた意味は変わりません。私はバプテスマを受けてから、教会の兄弟姉妹にこう言われました「洗礼を受けたということは、私はこれからも神を信じ、主の中で歩み続ける! という決心を告白する行為です。また、自分はクリスチャンの一員だというユニフォームを身につけるということですよ。」だから、儀礼の形式はどうであれ、内的なもの(霊的なもの)がなければ意味がありません、儀礼は私がクリスチャンになったということを自分の中で自覚し、そして目で見えるようにみんなの前であらわすだけのことです。
 キリスト教のもうひとつの儀礼といえば、聖餐式です。聖餐式は、根本的には、私たちの主がなしてくださったことを記念し、主が来られるときまで守るべき礼拝の行為であると考えている(聖書教理ハンドブック ハロルド・リンゼル、チャールズ・ウッドブリッジ共著 山口昇訳 1962年いのちのことば社発行 P307より)私の教会では、毎月の第一周目の礼拝で行われますが、手順としてはパンとぶどう酒を人数分に盛ります。役員の人が、まずパンをみんなに配って、そしてみんな各自で黙祷をし、パンを食べます。最後に役員の人がぶどう酒を配り、また黙祷をし、ぶどう酒を飲みます。聖餐式は主の晩餐ともいいます、それはイエス・キリストが十字架にかけられる前の過越の祭りの日に弟子たちとパンを分け合って、ぶどう酒を飲んだ最後の晩餐で「これはあなた方のための、私の体です。私を覚えてこれを行いなさい。この杯は、私の血による新しい契約です。これを飲むたびに、私を覚え、これを行いなさい。(新約聖書 第一コリント 11章24、25節 P305より)」といったことに対して、聖餐式という儀礼が生まれたのです。
 簡単な手順の中に二回にわたる黙祷があるのに気づくでしょう。この黙祷は、私たちがイエス・キリストが世の人を罪から救うために、十字架にかけられて死んで下さったことを記念し、感謝し、そして自分のこれまでの生活を反省するといった霊的な面の役割を果たします。よって聖餐式はただの堅苦しい儀式ではなく、キリストを記念し、これまでの生活を振り返る機会といえるのです。心のない儀礼はただの堅苦しい儀式にしか過ぎないものであって、例えバプテスマ、聖餐式を受けなくても、神が成してくださったことを固く信じ、感謝していれば、クリスチャンであることに代わりがないのです。
 ビデオで見た、いろんな宗教の儀礼、イスラーム教のメッカの大巡礼(ハッジ)やヒンドゥー教のガンジス川の沐浴、仏教の座禅などを見ました。クリスチャンの私でさえも驚いたことは、それらの儀礼が大変厳格であったことです。 
 イスラーム教について、ムスリムは一年に一回のハッジ、メッカに向いての一日五回の礼拝、喜捨、断食、シャハーダ(信仰告白)の五行は義務としてコーランによって固く定められています。その中の巡礼、礼拝の順序も厳密に決められています。
 仏教では財を与え、真理を教え、安心を与える布施。戒律を守り、常に自分を反省する持戒。苦しみを耐え忍ぶ忍辱。修行に努め、努力する精進。心を安定統一させる禅定。真実の知恵を開きあらわす知恵という六つの決まりが六波羅蜜に定められています。
 私は思いました、「なぜそんなに決まり事が多いのだろうか?」客観的に見ているからかもしれませんが、まるで、宗教に束縛されているようなものではないかと思いました。本気で神に信仰をおくのならば形よりも、まず、神に自分の真心を見せるべきなのです、そうすれば人間の目には見えないけれど、神はきっとわかってくれるはずです。
 宗教儀礼は、それが実施される社会の社会経済的条件、外来宗教との接触、政治の介入、などの世俗化によって時とともに変化させて行きます。(「宗教民俗学」宮家準1989年東京大学出版会 P141より)キリスト教について見てみましょう。 イエス・キリストが生まれる以前の時代を旧約時代といい、生まれた以降は新約時代といいます。旧約時代の儀礼は、キリスト教の伝統的儀礼といえます。その時代の儀礼は今のユダヤ教の儀礼です。それには、儀礼の数が大変多く定められています。 たとえば、いけにえ(初子の子羊や子牛を祭殿で燃やし神にささげること)、祭り(イエスが受難する前に過ごした過越祭など香をたく、ローソクの燈、パンを供えること)、油を注ぐダビデ、サウロのような神に王として選ばれた人の頭に油を注ぐこと)、割礼(生後8日目の男の子に行う)、神の箱(クルビム)、洗盤などいろんな場合で行われていた儀礼は旧約聖書に基づきたくさん定められています。
 一方、新約時代の儀礼は、キリスト教の現代的儀礼です。現代のキリスト教はイギリス国教会、ルターは、カルヴァン派によって形成された新教プロテスタントとイタリア・ローマの旧教カトリックに分かれています。プロテスタントの儀式は二つ、私が体験した、バプテスマと聖餐式です。そして、カトリックの儀礼は七つの秘跡(sacraments)といって、洗礼、堅信礼、聖餐、悔悟、終油、品級、結婚です。
 以上の二つの時代の儀礼を比べてみれば、現代的儀礼のほうが種類は減って、一つ一つがシンプルになっていることがわかります。
 昔ながら行ってきた伝統的な原初宗教は特徴として、地域のコミュニティによって成り立っています。つまり、小さなコミュニティの中で、限られた人間の集団に信仰されることによって手順が複雑で難しくても実行することができました。たとえば、十六世紀のキリスト教の伝来から日本にもキリシタンがいましたが、1587年の秀吉によってのバテレン追放令や17世紀からの鎖国令によってキリシタンの数が大幅に減りました。しかし、こんな時代の中ごく少数ですが、地下にもぐってキリスト教を守り続けた隠れキリシタンがいました。彼らは自分の身の危険をかえりみず、集まって互いにコミュニケーションを交わし、信仰を固めるために密かに儀礼などを行いました。彼らは自分たちがキリシタンであることを悟られないためにも、コミュニティ以外の人たちからはわからない手順と複雑な儀礼を必要としていたのです。それが日本のキリスト教が守られた訳かもしれません。
 現代宗教においては、信者が広範囲で、人種・職業・生活レベルにおいて様々な人がいます。また、発達した交通手段によって地域間のコミュニケーションを交わすことが出来るようになりました。たとえば、昔は江戸から京都へ行くのに15日間徒歩で行かなければなりません。しかし、現在では、新幹線で1.5時間しかかかりません。ということは、生活圏がその地域だけにとどまらず、グローバル化しているといっていいと思います。世界が狭くなって、世界中の人々が互いに信仰を表しあうために、誰でもできるシンプルな儀礼が必要です。数多くの人々が行うには、儀礼が単純化した訳です。社会は相変わらず変化し続けていきます、儀礼もそれに従って変わっていきます。儀礼は信仰心を鼓舞し、信徒の支えのために存在します。儀礼を行うことによって人々の関係が深め、心の平安が得られるのです。
 儀礼は決して、重く、堅苦しいものではありません。むしろ、日々の生活のストレスに心を磨き減らしている人々に安らぎを与え、平穏な人間社会を作り出すための最高のコミュニケーションの場となるのではないでしょうか。
宗教,神,信仰
柏教会ホームページ製作を通して
2004年度柏教会全体修養会 2004.6.26 柏教会月報第266号 2004.7.11 王 永天
 私は中国から5年前に来日しコンピューター関係の仕事をしています。去年の4月、豊四季団地に引っ越し約6ヶ月柏のいろいろな教会に行きました。 教会リストからインターネットで柏教会のホームページを探しましたが柏教会は載っていませんでした。10月ある夕方、息子モーセと散歩中、こんなに近くに柏教会を見つけ驚きました。11月19日、柏教会の礼拝に初めて出席しました。特別伝道集会で、青山学院の深町先生が説教されていました。書籍販売をされていた松澤さんに「柏教会にはホームページがありますか」とたずねると、「作りたいと願ってますが、作れる人がいません。」と答えられました。柏で行った教会の中で一番大きな教会なのに、HPがないのは驚きました。私はすぐに、「私が作りましょうか」といいました。技術には自信があったのですが柏教会のことは全くわかりませんでした。1ヶ月経ち2ヶ月経っても返事はありませんでした。「神様、コンピューターは私の専門。私に神様の奉仕をさせてください」と一生懸命祈りしました。この二ヶ月は信仰の時であり、神様との素晴らしい交わりの時でした。
正月前に平手さんから返事をもらい、神様の答えをいただいたと思いました。「早くホームページの資料を送ってください。」とお願いしました。私は息子とふたりで暮らしており、働かなければいけません。また、私には神様からの使命があり週に3回夜新御茶ノ水にあるOBIに通って、聖書を学んでいます。日頃は仕事・学業・家事でとても多忙です。正月の間、少し自由な時間があると思ったからです。でも、資料は頂けませんでした。手元にあった伝道集会のチラシの地図からHPの交通案内またチラシの教会史からインデックスのページを作り正月明けに2ページが出来上がりました。年初の礼拝にパソコンを持って教会に行き平手さん、植野さん、松澤さん、藤田さんと初めての打ち合わせをしました。その画面を見ると「早く作りましょう!」と皆さんが言われ。内容確認に入りました。私は神様から祈りの答えをいただいたと感じ一生懸命作ろうと決心しました。「柏教会の10年の歩み」読み柏教会のイメージや組織がわかりました。HPには「主の祈り」と「信仰告白」をのせました。見る人に是非読んで頂くためきれいな文字を探していた時、会社の人が、「王さん、こういう文字がありますよ」と声を掛けてくれました。キリスト教と全く関係のない人から素敵なフォントの書体を頂き、神様の御業に驚きました。神様なんと素晴らしいんしょう!!駐車場の案内、婦人会のクリスマスの写真など沢山の資料が届きました。特に感激したのは、古屋先生に十字架の写真がなくて相談した時です。すぐに屋根に登り写真を撮ってくださいました。教会の外観写真も電柱や電線を取り除き美しい空の色にデザインしました。皆さんの協力は私を励ましてくれました。
 最後に大切なことを話させてください。将来医者になって、体と心を病んでいる人に神様のこと伝えたいと願っているモーセの自立のことです。彼に本当の奉仕の意味を教える良い機会になりました。私とモーセが共に奉仕することがとても大切なことです。HPを作るためには毎日3時間以上パソコンの前に座らなければなりません。働いている私は夜10時に家に帰ると、ご飯を作り、掃除、家の片付けや洗濯などで、とてもそんな時間はありません。ところが、徐々にモーセ手伝ってくれるようになり、私の時間はモーセからもらいます。教会のHPの作成がと使命だと感じていましたが彼も手伝うことで共に神様の使命に答え、奉仕したのです。日本語の不得意な私に代わってテキストの入力をしてとても助かりました。
 今の時代はインターネットはとても大切な伝道手段です。神様は私とモーセを用いてその仕事をするよう導いてくださいました。不安な気持ちもありますが、必要なものは与えられると信じて、奉仕の喜びに預かりたいと願っています。
宗教,神,信仰
母教会に
2004.07.04 王 永天
新松戸福音自由教会の皆様、こんにちは。
 昨年4月、モーセは柏中央高校に入学し、そして、 私たちは柏市豊四季団地に引越しました。今はモーセは高校二年生なりました、毎日元気で勉強にクラブ活動に励んでいます。、また、毎週洗礼のため谷下先生のクラスで信仰を固めています、これはモーセのこれからの信仰生活にとって、とても大事だと思います。私は自分のやりたい仕事ができ、順調に生活しています。
 ここまで来られたのは、新松戸福音自由教会の皆様方のお蔭です。3年前モーセが来日し、親子二人で日本の地で新しい生活を始めました。いつも兄弟姉妹の方々に祈って頂きました、また生活の上でも、いろいろお世話になりました、この3年間特にモーセは、教会生活の中で、溝口先生をはじめ、多くの方々の教えを受け、大きく成長しました。
 ご縁があって、私と渡辺健さんのお母様とお知り合いになり、週一回土曜日に日本語の勉強を通じて日本人の生活の事や日本文化についても教えて頂いています。食文化、茶道、歴史、地理等々生活の輪が広がり、大変に役立っています。また小さいなことでも相談にのって頂いたりしています。
 いつも感謝の気持ちでいっばいです、新松戸福音自由教会のWebSiteをたちあげたいと思っていましたが、なかなか機会がありませんでした。このたび、この機会を与えて頂きました、仕事が忙しいなか、やっとHPを製作する時間をまとめてとることができ集中して、作り上げることができました。これを神様と新松戸福音自由教会に捧げ、心から感謝致します。
宗教,神,信仰
ホームページ完成の感謝
2004.10.15  腰越独立教会 戸川偕生
「神様のお役に立ちたい」。
「それでは王さん。王さんの技術を生かして教会のホ−ムページを作ってもらえませんか」。
同じ神学校で学ぶ王姉妹との会話が始まりでした。
ちょうどその頃、私の所属する教会のホームページが更新の時期に来ていましたが、ホームページを作成して下さったT兄弟が地方へ転居され更新作業をする人が居なくなってしまい困っている時でした。
まさに神様が王姉妹に引き合わせて下さったとの思いから王姉妹に新しいホームページ作成のお願いをいたしました。王姉妹は快く承諾してくださいました。
早速教会の役員会に諮り、了承を得た上で、今年の2月に正式に王姉妹に新しいホームページ作成をお願いいたしました。
まずは、私たちの教会を知って頂くために教会に来て頂き、教会の方々にも会って頂きました。
その時、王姉妹からホームページ作成に当たってある条件が出されました。その条件とは「この仕事は神様への奉仕ですから謝礼は一切不要としてください」というものでした。業者に頼めば相当の費用がかかることは分かっておりましたので、頼む側としては逆に頼みづらいと申しましたが、謝礼を受け取ってしまうと奉仕にならないからと謝礼を受けることを断られました。結局、無償奉仕をして頂くということになりました。
それから7ヶ月の間、資料のやり取り、数回の打ち合わせと時間はかかりましたが、9月末ついにホームページが完成いたしました。
海辺にある教会のイメージが良く出ており教会の方々にも好評でした。
そして何よりも感謝したことは、私たちが願っていたとおり教会の使命である伝道を第一にしたホームページになったことです。
教会のホームページは、教会の紹介はもちろんですが、その第一目的は教会のかしらであるイエス様の紹介であると思います。
そのホームページを通して一人でも多くの人にイエス様を知っていただくこと、そして信じていただくこと、これが教会のホームページの使命であると思います。
王姉妹の願いもご自分の技術が伝道に役立つことであると思います。王姉妹の作られた教会のホームページを通して救われる方が起こされるならば、そのことが王姉妹への最高の報酬であるに違いありません。
中国から日本にこられて5年、王姉妹の賜物が今、日本において花を咲かせ実をつけようとしています。
王姉妹がますます神様に用いられますようお祈り申し上げます。
宗教,神,信仰
腰越独立教会に
2004.10.22 王永天
腰越独立教会の皆様、こんにちは。
 この度は、腰越教会のHP製作の機会を与えて下さった事を感謝いたします。7ヶ月間、教会の兄弟姉妹のお祈り、交わり、協力を頂く事が出来ました事を、心から感謝しています。HPの製作を通して、神様は私にどんなにか素晴らしい恵みを与えて下さったかを深く感じています。
宗教,神,信仰「主の山には備えがある」創世記22:14
戸川二郎牧師先生が神様に召された事をお聞きして、本当に驚きました。そして牧師先生がいらっしゃらなくなって、これから、この腰越教会はどうなるなかしら?と心配になりました。しかし、召天なされた牧師先生の息子さんが、「神様から素晴らしい賜物をいただいた兄弟姉妹が、腰越教会には、たくさんいますから大丈夫です。」とおっしゃるのを、お聞きして、安心致しました。牧師先生が天に召された後も、教会が困らないように、「神様が必要なものは何でも備えて下さる。」事を知って、主に感謝いたしました。
宗教,神,信仰素晴らしい出会い
2004・2・29・礼拝の後、腰越教会の兄弟姉妹と共に、岡本姉妹宅に初めて伺いました。岡本姉妹は、寝たきりで、1人で歩く事も、食事する事も、服を着る事も出来ません。外出してショッピングする楽しみも、レストランに行く楽しみも、きれいな服を着る楽しみもありません。私は、何の楽しみも無い人生、他人の手を借りなければ生きていけない岡本姉妹は、「生きてる意味が無い」と思っておられるのではないかと気になりました。しかし、教会の兄弟姉妹と共に、讃美歌を歌い、祈りあっていると、岡本姉妹の顔が、不思議なことに、だんだん輝いてきて、目には涙が溢れて頬をつたって流れてきました。神様が臨在して下さっているのを身体で感じました。岡本姉妹の、喜び満ちた輝いている顔を見て「私達は大きな喜びに包まれました。神様の愛に包まれているのを感じました。」また、岡本姉妹の喜びの涙、感謝の涙をみて、「岡本姉妹が私達の為に、澄んだ優しい目で神様に祈って下さっているのを感じました.神様の慈愛の目で私達が、見守られているのを感じました。」岡本姉妹は、神様の「みわざ」を表わす為に、また、神様の「栄光」を表す為に神様から大きな賜物をいただき、ここに存在しているのを知らされました。また、身動き出来ない岡本姉妹をみていると「何かしてあげたい」という優しい気持ちになりました。「何か、私で役に立つ事はないかしら?」という相手を思いやる気持ちになりました。このように岡本姉妹は、出会う人の心に持っている「優しい気持ち、相手を思いやる気持ちを引き出してくださる。」大きな仕事をなさっている事を知らされました。この素晴らしい出会いに感謝いたします。
宗教,神,信仰信じて祈れば、必ずかなえられる。
私達の願いは、祈る前から、神様はごぞんじです。
日曜日、朝食もとらず、腰越教会のHP製作の機会を与えて下さって感謝をします。と祈りながら朝早く、家をでました。教会の兄弟姉妹に喜んでいただける、HPを製作するには、教会の、婦人会、青年会、壮年会、の多くの兄弟姉妹にお会いして、たくさんお話を聞き、たくさん情報を得たいと思いました。しかし、「私の家から腰越教会までは遠いし、仕事も毎日あるし、夜は神学校もあるし、レポートも提出しなければいけないし、息子の世話や家事もしなければならないので、何度も足を運ぶ事ができないわ。どうしたら良いかしら?」と思いわずらっておりました。
ところが、礼拝の後、その日は「婦人会も青年会も壮年会も開かれ、全部の会に出席させていただける事になりました。」それぞれの会で、多くの人にお会いし、たくさんのお話を聞く事が出来ました。この事は、「大きな神様の恵み」と感謝の祈りを致しました。7ヶ月かかりましたが、神様から戴いた賜物の「コンピューターの技術、パソコンの技能」を使って、満足のいくHPが出来あがりました。腰越教会の兄弟姉妹のお祈り、暖かい交わり、親切な協力に心から感謝をしております。兄弟姉妹の祈りや、交わりは、私の血となり肉となって、霊的に私を成長させて下さいました。
私の、思い煩いを、知って、導いてくださる神様に、心から感謝いたします。
宗教,神,信仰奉仕を通して神さまから受けた恵み
@神さまに信頼する事の恵み
日本の教会の伝道のために、私に下さった賜物を神さまは用いてくださって、”これはあなたに出来る仕事”としてはっきり使命として確信を下さったこと。
A理解される恵み
2月に腰越教会のHP作成の約束をしました。しかしその時は柏教会のHPの作業中でした。5月には仕上げて公開した後、急に母教会のHPを仕上げなければなりませんでした(三年間の願いだったので)。こうして、隋分時間が経ってしまいましたが、ようやくお盆休みの時、集中して腰越教会のHPを作る事が出来ました。申し訳ないという気持ちでいっぱいでした。その間、いつも兄弟姉妹が許してくださって、「神さまの仕事だから、どちらを優先しても大丈夫です。」といって励ましてくださいました。
B慰めを受ける恵み
私の目の疲れのために、ご心配を頂きました。皆さんの暖かい気持がとてもうれしかったです。いつも祈ってくださったこと、有難うございました。
C励ましを受けた恵み
完成したHPは皆さんとても気に入ってくださってよく見てくださいました。「読み物」のページ、故牧師先生の文章を角岡兄がよく入力してくださいました。こうして二郎先生の文章を読むときと私たちは共に生きていることを感じます。
「あの時代の伝道者は日本にとって大きな影響力があったと思います。二郎師も仲市師も神さまが選んだ器だと思います。」
「故二郎牧師はとてもユーモアのある方のような印象を受けました。実は文章を読みながら、義父の故安藤仲市牧師のことをすぐに思い出しました。文章の表現の仕方がとてもよく似ています。人を引き付ける賜物のある方だったのでしょう。そのあたりも似ているようです。文章には個性がでますね。故二郎牧師は内面のとても豊かな方だったと思います。読んでいて楽しかったですよ。いろいろな経験をされたのですね。人生の豊かさが伝わってきます。」
 このような読者の手紙を頂いたとき、奉仕の喜びの涙が出てきました。
HPを通して、一人でも多くの方にイエス様を伝えるために有効に用いられれば幸いですと角岡晃夫兄の言葉で終わります。
宗教,神,信仰
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