神様の領域キリスト教に関する質問 

なんのために?(信仰の目的)

1.宗教を求める動機は?
一般に、宗教を求める理由はいろいろあると思います。
◇病気が治りたい、受験合格、結婚、安産、金もうけ、交通安全、超能力が得たい、などなど。(こういうのを現世利益といいます。)
◇心身を清めて、清浄になる。(神社などで)
◇死者の供養、慰霊、祖先崇拝など。
◇心の平安、悟りを開く、「涅槃」(ネハン)の境地に達する、など。(本来の仏教の目的)

2.では、キリスト教ではどうなのか?
 キリスト教でも、はじめて教会の門をたたく人は、いろいろな悩みを持っていて、そこからの解放を願うのは事実です。そして、信仰を持つことによって、現世利益はともかくとして、悩みが解決される場合も多いのです。しかし、キリスト教の真の目的は、現世利益でも苦悩からの解放でもありません。

3.キリスト教の目的は、「唯一の神を『主』と認めて、崇め、仕え、その教え(即ち聖書の教え)に従って人生を歩む」ことにあります。
 そのためには一時的に犠牲や苦しみが伴う場合があるかも知れません。一言で言うと、「主に依り頼む」ということになるのですが、そこに根本的な解放と喜びと平安を見いだすのです。イエスの言葉に、「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな与えられる」(マタイ福音書7:33)という箇所があり、結果的に人の望みもかなえられることが約束されています。 また、聖書には、祝福は現世だけにとどまるものではなく、死の時から終末の時にまで及ぶことが記されています。

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神様の領域キリスト教に関する質問 

この時代に、神を信じることが必要でしょうか。

必要です。信じることなしに、人は生きていくことができないからです。
ある人は、学歴を信じています。別の人は、健康や幸せな家庭を、この世での地位や名誉などを、生きていく上での頼りとしています。もちろん、お金を信じている人も、大勢いることでしょう。どの人にも、「わたしは~を信じる」というものがあります。「いや、わたしは何も信じない」と言う人は、自分が何かに頼っていることに気がついていないだけなのです。

だから、ほんとうに信じるに値するものがあるかどうか、ということが重要です。ほとんどのものは、失格です。永遠に残りはしないからです。「火で精錬されながらも朽ち」(ペトロの手紙一1章7節)ないもの、つまり「罪と死に対する勝利者」(コリントの信徒への手紙一15章57節)だけが、まことに信じるに値するお方ではないでしょうか。
まことの神を知り、信じてこそ、わたしたちは不安から解放され、活き活きと生きることができるでしょう。
「世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です。だれが世に打ち勝つか。イエスが神の子であると信じる者ではありませんか」(ヨハネの手紙一5章4-5節)

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