神様の領域聖歌 654番 Jesus Loves even Me

聖歌654番 神のお子のイエス様

作詞;フィリップ・P・ブリス 1838-1876
作曲;フィリップ・P・ブリス 1838-1876

参照聖句;「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛の中にとどまりなさい。」ヨハネ15:9

アメリカ合衆国において、20世紀のキリスト教伝道に最も大きな貢献をしたのは、日曜学校であることを否定できるものは誰もいない。しかしながら、子供たちに、福音を伝え、教えるということに関して、教会歴史のはじめからずっと考慮されてきたわけではない。長年の間、教会の主要な目的は、子供たちに、良い教会人としての振る舞いと責任を問答形式で教え込む事に過ぎなかった。生活を変える神との個人的な関係を確立しようという要求も少なかったし、社会の多くの子供たちの社会的、道徳的幸福について、誠実な関心を寄せる人も少なかった。

近代日曜学校運動の歴史の中で、重要な人物として、ロバート・レイクス(1736~1811)の名前が挙げられ、しばしば、「近代日曜学校の創設者」と呼ばれる。レイクスは、英国はグロスターに住む、評判の良い中流階級に属する両親から生まれた。彼自身は、若い頃から、町の新聞の編集者として、豊かな良い生活を享受していたけれども、レイクスは、大勢の貧しく字の読めない子供たちの霊的、社会的状態に、強い関心を抱くようになった。金持ちを除けば、教育を受けていない子供たちが、全体の五分の四もいた。子供の労働者は、恥ずかしいほど、搾取されていた。思春期に達した子供でふつうの健康状態を持つ子供はまれであった。人々の大部分は貧しく、教会の評判の良い人々がお上品に彼らから分離したままでいる間に、道徳的にひどく堕落していた。このような状況のただ中で、レイクスは、街角から子供たちを連れてきて、読み書きを教えると同時に、聖書の真理を教え始めた。 後に、ジョン・ウェスレーとチャールズ・ウェスレーの弟子たちで、メソジストと呼ばれる人々は、英国で最初に、日曜学校を始めた。当時、英国は、革命戦争の直後であった。さらに後になって、日曜学校運動は、1824年に、アメリカ日曜学校連盟が設立されるにおよんで、一層、促された。子供たちに関する働きがこのように進展し、キリスト教の指導者たちに、子供たちの働きに、音楽は、ぴったりの道具であることが分かった。多くの子供たちが、音楽活動に直ちに反応したからです。フィリップ・ブリスや、アイラ・サンキー、ジョージ・ルート、チャールズ・ガブリエル、ファニー・クロスビーといった福音音楽家たちが、子供たちが楽しむことの出来る、やさしい歌をたくさん書き始めた。適切な歌を通して、子供たちに手をさしのべ、教え、キリストへと導こうというこの願いは、19世紀後半の福音賛美歌運動の隆盛を導く重要な要因の一つであった。

フィリップ・ブリスは、1838年7月9日、ペンシルベニア州のクリアフィールド地方に生まれた。彼は、若い頃を、製材業を営む集落の農家で過ごした。彼は、子供時代を赤貧の時代と表現している。彼は、大きかったので、不格好な育ちすぎの少年として知られていた。1850年に、彼は、キリストを自分の救い主として受け入れ、その後まもなく、ペンシルベニア州ティオガ地方にあるチェリー・フラッツ・バプテスト教会に通うようになった。若い頃から、ブリスは、音楽の非凡な才能があった。短い訓練を受けて、彼はシカゴへ転居し、そこで、10年ほどの間、西部のあちこちで、音楽専門学校を経営し、集会の指揮をしていたジョージ・ルート博士と知り合いになった。1874年、ブリスは、伝道者D.L.ムーディとダニエル・W・ホィットル少佐によって、彼らといっしょに、フルタイム伝道をしないかと誘われた。この時から、死に至るまでの2年間、ブリスの個人的な賛美と賛美指導は、以前彼が行ってきたどんな奉仕よりも、いつも、際だって優れたものであった。クリスマス・シーズンに、彼とその妻は列車で、ペンシルベニアからシカゴへと行く途中、二人の乗った列車が横転し、18メートル下の渓谷に落下し、100名の乗客と共に、あまりにも早い死を迎えた。

ブリスは、堂々とした体格と、人々に強い印象を与える人物として知られていただけではなく、仲間の音楽家たちから、非常に尊敬された人でもあった。当時、福音賛美歌作者として有名であったジョージ・C・ステビンスは、次のように書いている:「彼が生きていた時代からこの方、彼のように、福音の根本的な真理を理解して詩を書く人はいなかったし、福音の根本的な真理に、詩的で、歌いやすい言葉を与えた人もいなかった。」 ブリスは、「ああ、いかにイエスを愛するか」という賛美歌が繰り返し繰り返し歌われた集会から帰ってきた後で、「神のお子のイエス様」を作詞、作曲した。ブリスの心に、「私のイエス様に対する、貧しい愛について何度も歌ったとするなら、イエス様の私に対する偉大な愛をもっと歌うべきではないだろうか?」という考えが浮かんだ。この強い思いに促されて、フィリップ・ブリスは、この賛美歌を作り、後に、いつの時代にも愛される、子供賛美歌の一つとなった。この賛美歌は、アメリカばかりでなく、英国においても、あっという間に人気が出た。この賛美歌が最初に発表されたのは、ブリスの「日曜学校の魅力 (1871)」の中においてであった。

フィリップ・P・ブリスによって作られたそのほかの賛美歌には、「われいのちを(聖歌157番)」、「たえなるいのちの(聖歌196番)」、「十字架のうえにて(聖歌440番)」、「きよいふみは教える(聖歌459番)」、「やすけさは川のごとく(聖歌476番)」、「とうだいははるか(聖歌523番)」、「しんずるものは何びとも(聖歌734番)」などがある。

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