聖歌232番 つみとがをゆるされ
作詞;ファニー・J・クロスビー(1820-1915)
作曲;ポイベ・P・ナップ(1839-1908)
「そのようなわけで、私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。」ヘブル10:22
キリスト教賛美歌の重要な形式としてのゴスペルミュージックは、19世紀の後半から始まり、ムーディー、サンキー、ブリス、そして、フランシス・ジェーン・クロスビーといった有名な人々と関連が深い。おそらく、クロスビーは、他の作者以上に、アメリカのゴスペル・ソング運動の精神をしっかりと捉えていたであろう。ひとりの作者は次のように書いている。
福音賛美歌は、アメリカが、キリスト教音楽に、独特の貢献をした特別な分野です。福音賛美歌は、踏み固められて硬くなった心の表面を耕して掘り起こしてきた。そのわかりやすい歌詞が、福音賛美歌の力であった。それは、民衆の音楽なのです。
─ロバート・M・スティーブンソン「プロテスタント教会音楽の形態」─
ファニー・クロスビーがその生涯に書いた福音賛美歌詞の数は、8,000以上にものぼると推定されている。彼女の作詞した賛美歌は、今なお、他の福音賛美歌作者が書いたどの詞よりも、歌われ続けている。彼女の傑作の多くが、過去100年にわたって、福音的な集会の重要な一部分となってきた。
それが誰であれ、驚くべきことではあるが、ことさら、目の見えない人が、かくも多様な霊的真理と体験を、どんどん書き続けることが出来たと言うことは、実に驚くべき事である。彼女の生涯のある時期、音楽出版社と契約していた期間であるが、彼女は、毎週三冊の新しい賛美歌集を書いた。彼女は、自分の名前以外に、200以上のペンネームを使っていた。彼女の作った詩の多くは、未だに発見されていないが、きっと、近い将来、出版されるだろう。彼女の作る賛美歌の主題は、しばしば、特別な主題の新しい賛美歌を必要として訪れた牧師たちによって提案された。他の場合には、音楽家の友人たちが、最初にメロディーを作って、ファニー・クロスビーに、詩をつけてくれるように頼んだ。
それが、「つみとがをゆるされ」という賛美歌が出来た由来でもある。この賛美歌のメロディーは、ジョセフ・ナップ夫人によって作曲された。彼女は、アマチュアの音楽家で、メトロポリタン生命保険会社の創立者夫人であり、ファニー・クロスビーの非常に親しい友人でもあった。ある日、ナップ夫人は、このメロディーを盲目の詩人に演奏して聴かせ、「この曲は何と言っている?」と尋ねた。ファニーはすぐさま、「あら、その曲は、‘イエスは私のものという素晴らしい確信’と言っているわ。」と答えた。ナップ夫人は、彼女自身、500曲以上の福音賛美歌を出版しており、その中には、「神殿の門よ開け」という有名な福音賛美歌の古典とも言うべき作品がある。
ファニー・クロスビーは、95歳で天に召された。永遠の世界においてのみ、彼女の多くの賛美歌の歌詞を通して、イエス・キリストを信じ救われ、あるいは、霊的に豊かにされた大勢の人々が明らかにされるであろう。
ファニー・J・クロスビーが葬られたコネチカット州ブリッジポートの墓石には、ラザロの姉妹マリヤが主に高価な香油を注いだ後、主がマリヤに対して語られた言葉が刻まれている。
「彼女は出来る限りのことをしたのだ。」
このほか、聖歌に収録されたファニー・J・クロスビーの作品は、396番、404番、407番、419番、434 番、435番、444番、468番、479番、484番、495番、505番、506番、526番、540番、590番、591番、599番、610番、 616番、640番、646番、728番の23曲に及ぶ(訳者解説)。