180番 はとのごとく降る
■原作者Simon Browne(1680頃―1732)は,イギリス讃美歌の父Isaac Wattsと同時代の人である。セプトン・マレットで生まれ、独立伝道者としての訓練を受けた後、初めはポーツマスの、後にはロンドンの独立派の教会を僕した。彼の讃美歌は“A Supplement to Dr. Watts、1720”に収められており、それらはかって広く用いられていたけれども、今では次第に忘れられつつある。ただこの歌だけは今でも一般に使用されている。しかし、そのテクストは歌集によってかなりに相違し、現在用いられているものは原作から遠いものである。
■日本の讃美歌では、この讃美歌には、George Hews(1806-1873 米国人)の曲名“Holley”が配されている。ロウエル・メイスン(下記参照)と同時代の人で、ボストンでピアノ製造業を営みながら、テナー独唱者、音楽教師、オルガニスト等をしていた。又、ボストンのHandel and Haydn Societyの重要な会員として、同協会の発展に貢献した。
“Holley”はロウエル・メイスンの出版したThe Handel and Haydn Society Collection of Church Music(この聖歌集は16版を重ね非常に好評であった。)の1835年版に始めて収録されたが、米国人の好みに合致し、広く全米で歌われている。
■ロウエル・メイスン(Lowell Mason-1792-1872)は,全く独学で音楽を勉強し,音楽教育に力を注ぎ後にボストン音楽学校を設立した。アメリカで最初の「音楽博士」である。メイスンは,英国におけるジョン・B・ダイクス(1823-1876),或はそれ以上に,米国の讃美歌史上に重要な人物である。彼の曲のスタイルは,どこまでも大衆的,民謡的且つ米国的であり欧州の曲をたくさん編曲しているが,ときには原曲の姿が判らないほどに手を加え,これを米国的な,メイスン的な姿に変えてしまった。それが米国人の好みにぴったり合致し全米に広がる要因ともなった。