神様の領域クリスマスの思い出 

六歳のクリスマス

クリスマスになると、家に馬小屋を飾ったり、クリスマスカードやプレゼントを交換したことを思い出す。が、両親がよく話してくれたのは、プレゼント交換よりももっと大切な神様が、神でありながら人間という小さな存在になってくださったということであった。それによって、すべての人が救われたという。六歳の私にはなかなかピンとこなかったが、ある日、祖母から聞いた話によって、はっきりと理解することができた。

それは、数十年前のこと。ハワイ諸島にも、ハンセン病の患者がいたが、ハワイ政府は彼らをモロカイ島に移住させた。この島に入った者は、死ぬまで出ることはなかった。毎月一度、ハワイ島から大きな船がモロカイ島の近くまで来て、食料をた積んだボートを降ろすと戻って行った。島の患者たちは、岸までこのボートを漕いで行かねばならなかった。この患者たちは、社会と家族から見捨てられ、肉体的にも精神的にも、どん底の状態だった。

患者の中には多くのカトリック信者がおり、彼らはハワイの司教に司祭を送ってほしいと手紙を出した。ある日、司教は、司祭たち集まっているところでこの手紙を読んだ。すると一週間後、ダミアンという神父が自分をモロカイ島に派遣してほしい、と司教に願い出た。ダミアン神父の将来に期待をかけていた司教は、その言葉を聞いて驚き、感心したが、当時に心を痛めた。彼はモロカイの人々に奪われたくなかったのである。しかし、ダミアン神父が神からの呼びかけを受けていることを知り、涙をのんで彼を派遣することにした。

「ダミアン神父、行きなさい。行って、モロカイの兄弟たちに希望をもたらしなさい。神様の祝福があるように」

やがて、大きな船から降ろされた一艘のボートがモロカイ島に近づいた。そのボートには、白いス―タンを着た司祭が乗っていた。ダミアン神父であった。彼のボートは岸辺に着いたが、患者たちは健康なダミアン神父に近づくことを恐れて、遠くから彼を眺めていた。その夜、ダミアン神父はひとり樫の木の下に寝た。

しだいに患者たちとの交わりができ、ダミアン神父は、家を建てたり畑を耕したりして、彼らに働き喜びと生きる希望を与えた。また、教会も建てた。患者さんには多くの患者たちが参加した。しかし、ダミアン神父は説教のとき、患者たちとの間に隔たりがあるのを感じていた。「患者であるあなた方は……」と言わねばならなかったからである。

ある日、ダミアン神父は足に湯をぼしても熱さを感じず、手首に黒い斑点が現れたのを見て、ハンセン病のしるしだと思った。翌朝、彼は心から喜びにあふれて「患者である私たちは……」と、ミサの説教で皆に語りかけた.

ダミアン神父十六年の間、モロカイ島のハンセン病患者たちに光と希望と神の愛を与え続け、自らのハンセン病で四十九歳で世を去った。

私はこの話を聞いたとき、ここにクリスマスの意味があると悟りは私を司祭へと導いた。

神は、私たちを救うためにこの世に来られた。貧しく悲惨な生活をしていた人々の中に、同じ人間として来て下さった。ちょうどモロカイ島の人々の中にダミアン神父が来て、人々の生活を変え、希望を与えたように、私たちの生活を変え、神の子、兄弟としてくださった。これが本当のクリスマスである。金銭的、精神的に苦しみ、また人間としての権利さえ奪われている人々に、兄弟としての愛といつくしみを与え、共に生きるとき、今日もキリストは人となり給い、私たちの中にお住みになるのである。

ルイス・カンガス

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