神様の領域第四部 Part4 対人関係はスムーズですか

黙想49 優しく話しましょう

柔らかな答えは憤りを静める。しかし激しい言葉は怒りを引き起こす。(箴言15:1)

  心の葛藤の多くは、ピリピリした緊張状態にある対人関係から生まれます。其の緊張状態を避けて通るのは、不可能に近いことがありましから、ここで勇気を持って向き合ってみましょう。しかし、けんか腰ではなく、です。私たちはつみ深いですし、もともと弱い存在です。其の反対に、サタンは狡猾な誘惑者ですから、私たちは、時々、怒りの対決という罠にはまってしまう事があります。

  神様は、ある解決法を持ちです。それは、物柔らかに応じ、せっかん(処罰)の棒は持ち歩かないということです。私たちの性質は弱点だらけです。其の中でも特に私たちのうちにある最悪の部分を刺激するような人たちに、物やわらかく応じるというのが、神様が望んでおられることです。自己防衛をして本来ならわめき返してやりたいところなのですが、そんな時、神様は、もっといい道、平安への道を差し出してくださいます。なぜかですって?神様は私たちが興奮すると血圧も上がるということを知っていらっしゃるからです。そうなると、身体の健康は損なわれますし、精神的にも神経がすり減ってしまいます。そして、霊的な力は使い果たされてしまいます。

  しかし、物柔らかに応じるということは、簡単なことではありません。いつもそうしているというのは、なおさら不可能ですから、自分の声を静めることができるように、神様の助けを求めましょう。相手の方も、それでは、なかなか口論しにくくなるでしょうから。それでは、相手の立場に立って考えてみようかという気持ちにまで、その人の心が動かされることもあるのですから。

黙想50 いつまでも根に持たないで、赦しましょう

人に思慮があれば、怒りをおそくする。その人の光栄は、そむきを赦すことである。   箴言19:11

  「赦してあげる。でも、このことは決して忘れない」というのは、「いいや、決して赦さない」と言っているのと、単に言い方が違うだけでほとんど同じです。人を赦さないままいつまでも根に持っていては、決して平安は養あれません。それで、多くの不安熱狂者たちが、仕返しのチャンスに飛びつく霊に支配されてしまいます。

  どんなに威嚇されても動じないほどに、私たちはキリストの内にゆったりと憩う必要があります。しかし、人の足に踏みつけられるだけ踏みつけられなさいと言っているのではありません。憎悪に満ちた人たちの罵倒やひどい仕打ちに、無防備でいろと言っていろのでもありません。私たちの生涯において神様の名誉にかけて断固として立ち上がらなくてはならない状況ならば、聖書はそうすることを禁じてはいません。しかし、私たちの命を短い導火線で爆発させるようなことをしてはならないのです。不当な取り扱いを受けても、神様は、赦してあげなさいといっておられます。そうするなら、怒りの足かせから解放していただけます。http://godarea.net

黙想51 友達を大切にしましょう

ふたりはひとりよりもまさっている。ふたりが労苦すれば、良い報いがあるからだ。どちらかが倒れるとき、ひとりその仲間を起こす。倒れても起こす者のいないひとりぼっちの人はかわいそうだ。伝道者の書4:9~10

  友達は、しばしばあなたを不安から守ってくれます。しかし、問題は、私たちひとりで戦っていて、倒れるかどうかということではなく、倒れた時どうなるのかということなのです。神様は、私たちが堅固なサポートシステムを持つことを望んでおられます。そうすれば、、倒れた時に、お互いを起こし合うことができるからです。あなたには心を打ち明けられるクリスチャンの友、聖書にそった助言をしてあなたを起こ」してくれるクリスチャンの友いますか。

黙想56 重荷を負いあいましょう

互いの重荷を負いあい、その様にしてキリストの律法を全うしなさい…….人にはおのおの、負うべき自分自身の重荷があるのです。(ガラテヤ6:2~5)

  この二つの聖書箇所は、お互いに矛盾しているように見えます。しかし、ここで、使徒パウロは、それぞれ自分で背負わなければならない通常の精神的な荷(5節)を自分自身で背負うようにと、ただし、兄弟姉妹の精神的な荷がかれたに取って一時的に重過ぎるときは愛を持って助けてあげなさい(2節)、と勧めています。しかし、私たちは他の人が自分で負える荷まで、背負ってあげようとします。その結果、私たち自身がその重荷に押しつぶされてしまいます。うまく重荷を背負ってあげたとしても、相手の人にとっては何の助けにもなっていません。自分に与えられた責任を果たすことができないからです。決してその人のためになりません。しかし、一人では負いきれない一時的な重荷をできるだけ負いあうなら、その助け合う愛は、キリストの律法を全うします。

黙想59 分かち合う喜び

「ですから、あんたがたは、お互いに罪を言い表わし、お互いのために祈りなさい。いやされるためです。」 ヤコブ5:16

  人を助けること、そして、人の助けを受け入れることは、クリスチャン生活になくてはならないことです。私たちが告白し合い、祈り合う時、それまでは知らなかった新しい力が与えられます。キリストにある兄弟姉妹には、罪だけでなく、心配事や不安、恐れるや疑問も、また自分が負っている重荷ついても打ち明けることができます。告白するということは、私たちの精神的、霊的な健康のためによいことです。そうすることによって、重荷が軽くなります。また、イエス様に私たちを変えるいただけます。私たちから平安な心を奪い去ろうとする罪や悪い習慣から、イエス様は私たちを守ってくださいます。

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