06節
愛する主は、いつわりのない唇から出る祈りを聞き入れて下さる。そして主を愛する者が”宝”を受け継ぐことができるようにしてくださると書かれていることばが、わたしたいを慰める。恵に代えて恵みというすばらしい宝、全き神から尽きることない賜物がわたしたちに与えられる。
この恵みは、単なる”非人格的な”宝ではない、神が私たちを通して働いてくださることにほかならない。わたしたちの思いと願いの源において、主が働いてくださる。神は愛である。それゆえわたしたちにとって、子たちが受け継ぐこの祝福の宝もまた、愛である。ここでもまた川を考えてといいだろう。乾いて川床が高みから流れる水を”受け継ぐ”。それは水をつくり出したりしない。ただ受けるだけ。そして川に水が満たされ、ついにはあふれ出して土地をよみがえらせ、祝福を与える。
わたしたちにも同じことが言えより。時というわたしたちの川が、週と日と時間と分秒をなみなみとたたえるわたしたちの年月が押し寄せて来る宝で満たされる……少しでも他の人たちの役に立つことができるようになるために。愛という名を持つ方以外の誰が、そのような喜びをわたしたちのために用意することができたろう。
「どうか、私たちのうちに働く力によって、私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできる方に……栄光……とこしえまでありますように。」