神様の領域第三部 Part Three 01~07節 

04節

  わたしたちを結びつけてひとつの群れとし、またわたしたちのの働きに力を与えるものとして、この愛の力にまさるものはほかにない。まことに愛がなければわたしたちは、「やかましいどらや、うるさいシンバル」にすぎない。そしてそれゆえ、愛に対して加えられる攻撃も止むことがない。

  だからこそ、愛の人生を生きることを願う者は、しばしば神の御霊に心を探られ、潔められることを求めざるを得ないのであろう。まず自分の心の奥深いところで(事実そのことを体験する人は多い)、ついで仲間と共に、そのことを求める。そして恵みに満ちたもう神がどれほど豊かに答えて下さるか、私たちは知る。そのゆえ、「自分はすでにそれを捕らえたなどと考えてはいません」と常に告白しつつ、なお主の御力にすがって、ひつら前のものに向かって進み続ける。

  敵対する者が愛に対して攻撃を加える理由h、ほかにもある。次のことを考えて頂きたい。

  人の心の奥深いところで育てられてきたもの、その人の本当の姿が日々の生活のふとしたできごとに、はしなくも映し出されたりする。そのはまさにわたしの体験と言っていい。おそらくは、ことはによって、また行いとして、明確に表されたことはなかったであろう。目はそれをみなかった。耳はそれをきかなかった。けれども見ることなく聞くことのないこところで、わたしの魂はさざ波を立てる。わたしの中の冷たい無関心が、あるいはこれまで考えてきた愛の特質のほんのひとつでも欠けていることが、ど黒い影を少しずつ広がらせる。それがやがてある時、心弱る魂をとりこにする。そしておそらくは取り返しのつかない傷をつけてしまうことになる。

  おお主よ、御赦し下さい。あなたは常に恵み深くある方です。あなたに助けられることの慰めをもう一度お与えください。わたしを救うことをよしとされますように、おお主よ、私の神よ。

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