03節
過去の過ちに心苦しめられ、あるいはまた顔を再びエルサレムに向けようとして、これから襲うかもしれない失敗を恐れ、思い悩むことがある。そのような時、みことばがまたとない助けを与えてくれる。よく知っている聖書のことばが、新しい意味をもって私たちの存在の一部分となる。
わたしにとってそれは「恵の上にさらに恵を」ということばだった。モウル監督の古い小さな本を読んだ時に、その意味がわたくしに聞かれたのだった。(その時までわたしはそれを理解していなかった。)
「の上に」は「の代わり」を意味すると彼は言う。「ここにあるのは、必要なものが絶えず供給され続けるというイメージである。」足りないものがあればすぐ補充され、必要と要求が変化し続けて止むことがない。
われわれの前にあるのは川の姿である、川岸に立ち、水の流れを眺めるがいい。時が流れる。そしてなお同じ川であるのか。その通り。だか同じ水であろうか、いや、そうではない。つい今しがたあなたの前を通り過ぎた水は、今同じ川の別の部分を流れている。そして新しい水が古い水にとって代わってた。”水の代わりに水”。そして何時間も、何年も、そう何世紀も、このプロセスは続く。
ひとつの川。代わり続ける水。生きていて、よどむことのない水。常に大きなひとつの川であり続けるものの中に、絶えることのない変化が存在する。恵みが恵にとって代わる(愛が愛にとって代わる)。……絶えず新しく、常に古く、いつも同じでありつつ、絶えず新鮮で、何時間も、何年も、キリストによって。」