02節
わたしたちの心が疲れ果て、絶望し、そして主に向かい、「わたしのすべてを支配してください」と呼びかけるのを、神の愛はどれほどの切ない思いで待っていることか……。夜見るいかなる幻もそれを示すことはできない。どんなことばもそれを語ることはできない。
神の愛がわたしたちの心を満たすようにと、懇願する必要はない、まるでそのことを神が願っておられないかのように。そうではない。神は願っておられる。
光の輝きを迎えようと開け放たれた部屋に、光の洪水が押し寄せるように、乾ききった川底に、奔流が押し寄せるように、神はわたしたちを満たそうとしておられる。
愛はまるで空気のようにわたしたちのまわり全体に押し寄せるいるではないか。あらがうことを止めるさえすれば、その時すぐにも愛をわたしたちのうちにあふれる。
15世紀の時、「いあkなる愛のゆえにおまえはうなだれるのか」が歌うように、
おまえのあこがれ、おまえの愛は
高さの極めに来ることがない。
おまえの愛に、はるかにまさって
わたしはおまえを愛するではないか。
わたしたちの愛にまさって、その通り、はるかにまさって。主の赦しの豊かさを充分に語ることばをわたしたちは持たない。同じように、主の愛の豊かさを人は表現できない。それは°東が西から遠く離れているように遠く、天が地上はるかに高いように高い。
だか、いずれにせよ、ここでことばはむなしい。愛はそれらすべてを、はるかに超える。自分自身を見る時、絶望に襲われざるを得ない。だか神はほむべきかな。十字架の血をもって、きよめてくださる。
汝けがれしならば、我汝をきよめん。
汝病に悩めるならば、我汝にいやしを与えん。
かくも深き愛、汝いずこに見るや。
主よ、あなたをおいてほかのどこにも、見ることはできません。とこにも。