神様の領域第三部 Part Three 01~07節 

01節

  これらのことばは、わたしの胸の中で、文字になる時を長いこと待っていたと言っていい。しかし、絶えずわたしの心にひとつのためらいが往来している。これまで数知れぬ賛歌と祈りが書かれてきた(そしてその多くは愛を主題とした)。しかしあまりにも浅薄な愛を持ってよしとしてしまうことがあり得るのではないか、と思わされてしまう。……そのような浅薄なものをそもそも愛と呼ぶことができるかどうかは別として。

  祈りをささげたあとしばらくは、静かに待つ時を持つべきなのではあるまいか。そして祈り求めた事柄について、心を開き、神からの声を聞きのがさないようにしたいと思う。次から次へと祈り急ぎ、心の中にささやきかける声を、「わが子よ、おまえの祈りを聞いた」という声を、聞きもらしてしまっているのではないかと、恐れる。

  わたしたちの主が愛について教えてくださったことば、また聖霊が主の弟子たちに与えて書かせてくださったことばを、祈りつつ読み、読みつつ祈る。その時わたしたちは、自分が恐ろしいほど欠けの多い者でしかあり得ないことを、痛い思いで知らされる。聖霊の光が、わたしたちの姿をわたしたち自身の目にあらわにする。そこではわたしたちは絶望に陷るしかない。あらゆる忍耐の源でありたもう神でさえ、いかにしてこのわたしを忍耐できるのか、と怪しむ。己れを二憎み、麈と灰の中でただ悔いるほかない。

  しかし光は希望を取り去るために注がれるのではない。そこには新しい出発がある。もしわたしたちが自我から解放されることを望みさえするならば……そのからみつくわな、その巧妙な誘惑、その仮面(事実それはいつわりにすぎない)、あるいはタミール人の言う「真鍮を黄金にする甘い見せかけ」などから解放されることをもし望むならば、また愛のなさを心の底から憎み、救われることを神に叫び求めるならば、その時わたしたちの神は救いの神は救いの神となってくださる。

http://godarea.net/