神様の領域第二部 Part Two  51~61節 

51節

もしほかの人の働きに対して
冷たい関心しか持てないならば、
自分の特別な務めという見方からしか
物ごとを考えることができないならば、
他の人の重荷をわたくしの重荷、彼らの喜びを
わたくしの喜びとするのでないならば、
その時わたくしはカルバリの愛をまったく知らない。

52節

ひたすらな思いでささげた祈りに
思いがけない答えが与えられた時、
それから逃げ出したいときと
もし思うならば、
主が私に負わせようとなさる重荷が
私の心の求める重荷と違うために
いら立ちを覚え、
主の御旨に喜んで従うことが
もしできないならば、
その時わたくしはカルバリの愛をまったく知らない。

53節

わたしの人生を
根底から揺るがすような試練には あいあたくないともし思うならば、
ひどい仕打ちを受けること、
孤立すること、
不快な状況に置かれること、
理解できない試みに会うことを
もし避けようとするならば、
その時わたくしはカルバリの愛をまったく知らない。

54節

なぜわたくしにこの試練が
与えられるのかといぶかしみ
それが取り去られることだけを
もし祈り求めるならば、
そしていかなる失望をも
落ち着いた心で受け止めるつつ、
どんな晴れ間の中にあっても
平安を持ち続けることが
もしできないならば、
その時わたくしはカルバリの愛をまったく知らない。

55節

もし与えられた試練にすっかり心をとらわれ、
自分に対してはひそかに、
他の人にはそれとなくわかるように、
その試練を大げさに騒ぎ立てるならば、
またその時ような時、
以前のことをひたすら偲んで、
思い出の脇道にいつまでもかかずらい、
そのために他の人を助ける力が弱まるならば、
その時わたくしはカルバリの愛をまったく知らない。

56節

「あらゆる重荷を軽く感じさせ、
荒れ狂う波風の中で平静を与える」のは
愛しかないことを知りながら、
もしかないことを知りながら、
本気になって求めることをしないならば、
その時わたくしはカルバリの愛をまったく知らない。

57節

地に落ちて死ぬ
(かつて生きた世界の
すべてのものに別れを告げる)
……そういう一粒の麦となることを
もし拒否するならば、
その時わたくしはカルバリの愛をまったく知らない。

58節

試練の中から救い出されて
主の栄光を讃美することをではなく、
試練そのものから免れることをもし求めるならば、
十字架の道は十字架に導くのであって
花咲き乱れる土手道に導くのでないことを
もし忘れるならば、
そしてそのような生き方を、
また無意識のうちにそのような考え方を続け、
道が険しくなると
驚きあわせてふためくようであるならば
(みことばは「試練を驚き怪しむことなく、
この上ない喜びと思いなさい」とあるにもかかわらず)、
その時わたくしはカルバリの愛をまったく知らない。

59節

もし最も根本的なこと、
最も困難なことを、
わたくしには求めることができないと
人が感じるようであるならば、
もし仲間がわたくしに求めることをためらって
誰かほかの人のもとに行くようであるならば、
その時わたくしはカルバリの愛をまったく知らない。

60節

十字架の下の塵をほかにして
もしこの地上の何ものかを
得んことを渇望するならば、
その時わたくしはカルバリの愛をまったく知らない。

61節

おお、主よ、わが神よ、
わたしの知らないものを
教えて下さい。

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