神様の領域第二部 Part Two  11~20節 

11節

すでに告白し、悔い改め、
そして捨ててしまったはずの罪を
もしいつまでも心に残しておくならば、
またその罪の記憶がわたくしの考えを歪め、
疑惑の目で人を見るようにさせるならば、
その時わたくしはカルバリの愛をまったく知らない。

12節

なかなか成長しない魂に対して、
もし救い主の忍耐を
持つことができないならば、
彼らの中に
キリストのかたちが創られるまでの辛苦
(まことに厳しく、痛みに満ちた)について
ほとんど知ることがないならば、
その時わたしはカルバリの愛をまったく知らない。

13節

もし人の弱さに
充分な理解を示すことができないならば、
そして十字架の道から離れ去ろうとする人に
「かわいそうな人」などと言うだけならば、
またそのような人に対して
温かく包みこむ愛、
仲間としての勇気ある励ましのことばを
与えることができないならば、
その時わたくしはカルバリの愛をまったく知らない。

14節

わたしを失望させてばかりいる人のことを、
ほかの人に話さないでいることが
もしできないならば
(その人のため、あるいはほかの人のために
語ることが必要な場合は別として)、
その時わたくしはカルバリの愛をまったく知らない。

15節

もし魂を充分に整えることをしないで、
ただ不用意に事実をそのまま語ることによって
人を傷つけてしまうならば、
そしてそんな時に、
その人が傷つく以上に
自分が傷つくということが
もしないならば
その時わたくしはカルバリの愛をまったく知らない。

16節

もし愛情を失うことを恐れ、
人から「あなたは理解してくれない」と
言われることを恐れ、
心やさしい人という評判を失うことを恐れて、
真実を語ることをしないならば、
そしてほかの人のために
最も役立つことが何かを考えるよりも、
自分自身の評判のほうを
もし大事にするならば、
その時わたくしはカルバリの愛をまったく知らない。

17節

人の傷を
ほんの少しいやすお手伝いをしただけで
満足してしまい、
平和がないのに平和、平和と
もし言うならば、
「愛には偽りがあってはならない」という
痛烈なことばを忘れて
真理の矛先を鈍らせ、
正しいことを言うかわりに
耳ざわりのいいことをもし語るならば、
その時わたくしはカルバリの愛をまったく知らない。

18節

もし多大の努力が要求されるという
それだけの理由で、
他の人の最善を考え、
努力することをためらうならば、
その時わたくしはカルバリの愛をまったく知らない。

19節

たとえ何であれ、
わたくしがそのように選びとったという
ただそれだけの理由から、
あるひとつの選択にもし固執するならば、
わたくしの個人的な好き嫌いに
左右されるならば、
その時わたくしはカルバリの愛をまったく知らない。

20節

わたくしに委ねられた務めが
忠実に遂行されることよりも、
まずわたくし自身の幸いを求めるならば、
またこの務めを与えられて
恵みを豊かに受けていながら、
もし心が弱るならば
その時わたくしはカルバリの愛をまったく知らない。

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