神様の領域第二部 Part Two  01~10節 

01節

主がわたくしを憐れんでくださったと同じように
わたしの同労者を思いやることが
もしできないならば、
その時わたしはカルバリの愛をまったくしらない。

わたくしが仕えるようにと与えられた人々を
もしわたしが軽んじるならば、
そしてその人たちの弱点を
わたしの長所かもしれないものとくらべて
語ったりするならば、
また人を見下す態度をとって、
「いったいだれが、あなたをすぐれた者と
認めるのですか。あなたには、何か、
もらったものでないのがあるのですか」
ということばをもし忘れるならば、
その時わたしはカルバリの愛をまったく知らない。

☆カルバリがエルサレムに接する土地の名前であること、
そこで神の御子、主イエス・キリストが十字架にかけられたことを知っているであろう。

02節

もし誰かの欠点や過ちを
軽はずみな思いで話題にしたりするならば、
それがたとえ子どもの失敗であろうとも、
おもしろがってそのことを人に語るならば、
その時わたくしはカルバリの愛をまったく知らない。

もし人の失敗を軽々しく考えて、
「彼はいつもああなのだ」
「もちろん彼女はそういう言い方をする。
彼ならそういう行動をとるにきまっている」
などと無責任な言い方をするならば、
その時わたしはカルバリの愛をまったく知らない。

03節

ほかの人を傷つけるような冗談を
もしおもしろがるならば、
たとえどんなことであれ
人を軽んじる言い方をするならば、
いやそういう考えが
少しでも心をよぎるならば、
その時わたくしはカルバリの愛をまったく知らない。

04節

もし不親切なことを文字にし、
不親切なことばを口にし、
不親切なことを頭で考えるならば、そして何の悲しみも恥も、
その時わたしはカルバリの愛をまったく知らない。

何かめんどうな問題が起こった時、
もし思い悩む自分自身にすっかりとらわれて、
苦難に会われた救い主のことを
考えることができないならば、
その時わたくしはカルバリの愛をまったく知らない。

05節

もし主の憐れみを
身にしみて知ることがないならば
(主は振り向いてペテロを見つめられた)、
また、へりくだり悔い改め者に対する
主の大胆な期待を
身にしみて知ることがないならば
(イエスは彼に言われた
わたしはの小羊を飼いなさい)、
その時わたくしはカルバリの愛をまったく知らない。

もし人の過ちに対処しようとする時の
わたしの動機が
「主の右の手には輝く火(律法)があった。
まことに主は民を愛された」
というみことばに示される真理と
同じものでないならば、
自らに痛みを感じることなしに
人を非難するならば、
その時わたしはカルバリの愛をまったく知らない。

06節

人のためにせいいっぱい尽くし、
そして何の答えもないような時に、
もしそのつらさに疲れ果て、
早く重荷から逃れたいと考えてしまうならば、
その時わたしはカルバリの愛をまったく知らない。

遠い国にいることの厳しさを
子のため
あえて和らげようとはしなかった父親の勇気を
もし持つことができないならば、
神の法(「罪人の道は滅びである」)の通り
行われるのは見るに忍びないと考えて
その法が無視されることをもし願うならば、
その時わたくはカルバリの愛をまったく知らない。

07節

わたくに責任が委ねられている魂のために
ひたすら努力を傾け、
それにもかかわらず誤解を受け
非難を浴びせられた時に、
もし動揺してしまうならば、
そしてゲツセマネと十字架を偲びつつ
一切委ねて平安と沈黙のうちに
生きることができないならば、
その時わたくはカルバリの愛を知らない。

08節

雨が降り出すよりもはるか以前に
「激しい大雨の音」を
もしとらえることができないならば、
できる限り神のみそばに近い魂の山頂で
ひざまずき
ひざの間に顔をうずめて
ひたすら待つという信仰を
もし持つことができないならば、
6たび、いや60たび
「何のしるしも見えない」と言われ続けつつ、
遂に「小さな雲が海から上っている」と
告げられるまで
もしまつことができないならば、
その時わたしはカルバリの愛をまったく知らない。

09節

たとえわずかなきざしであろうとも、
まわりの人たちすべての中に
新しい出発の萌芽を見出し
希望と期待をもって彼らにを見ることを
もししないならば
自分たちのうち誰がいちばん偉いかと
争っていた弟子たちを叱りつけた主がなお
「あなたがたこそ、わたしのさまざまの試練の
時にも、わたしについて来てくれた人たち」と
やさしいことばをかけられたことを
もしわすれるならば、
その時わたしはカルバリの愛をまったく知らない。

10節

誰かのために
失望を味わうようなことがあった時に、
なお信頼し続けることをしないで、
もし恐れに身を委ねてしまうならば、
また誰かが失敗した時に、
「やはり心配していた通りだ」などと
もし言うならば、
その時わたくしはカルバリの愛をまったく知らない。

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