2011/10/21 金曜日

真實的基督徒 (屬靈前輩)

Filed under: オウサン工房, 感想と証しの広場, 神様の領域 — admin @ 22:22:58

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有一天,兒子問我:’媽媽你最受影響和敬仰的人是誰呀?’我不加思索地說:’那當然是主耶穌了’,’那除了主耶穌以外呢?’。看似很簡單的問題,確讓我花了很長時間去思考。歷時歷代多少信心的偉人:亞伯納罕、摩西、大衛、褓羅等等,他們的裡程非常可歌可泣。但是在我生長的時代裡,確有三位已故的基督徒深深地影響著我的人生。

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一、雙目失明的裴叔叔 −最有神的眼睛

我的童年時代

裴叔叔不是生來就瞎眼的,聽說他年輕時,有一位典雅美貌的富家小姐,在聽他布道時,因為他智慧的眼神,拋棄家業而追求他的故事傳為美話佳談。我第一次見到他時,他已是從監獄裡釋放出來雙目失明的老人了,而他的妻子卻有一雙美麗的大眼睛。他的眼睛是怎樣瞎的,誰也不知道,因為他從來不提監獄裡的事,而是說這是神給他的冠冕和最珍貴的禮物。童年的我根本不能明白和理解這些。每周媽媽帶著我去探訪他,在他家裡敬拜神,偶爾他面向我時,那雙能看透我心靈深處的眼睛,連同他送給我的聖句,滋潤撫育我成長,得到從神那兒的智慧和力量。媽媽常說:’他的眼神透出耶穌基督的光芒’。那個時代,沒有盲人用的聖經,也沒有媒體的幫助,他能一句不錯地送給我聖句,是奇跡,也是他愛神話語的表現。

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二、雙肢癱瘓的鄭姑姑 −最美的女人

我的求學時代

我16歲,離開父母,進而去上海讀書。媽媽再三的囑咐:’去看鄭姑姑,她是很美的女人’。為了能看到最美麗的女人,我還記得自己穿上新潮的服裝,第一次去拜訪她的情景。見到她時卻讓我大吃一驚。一間樓梯下的小屋裡,僅只容一張單人床的空間,雙膝癱瘓,臉容浮腫,頭發斑白,她坐在邂澱罅8勤圈づ姑姑一生未嫁,褓持童身,沒兒沒女,沒有家。平反出獄後,一位周弟兄夫婦,以義子的名義接她到自己家裡居住。我看不出她的美麗,只看到她的不幸。隨著每次的看訪,我漸漸被她從內心發出的感謝贊美的歌聲中,以及忍不住流露出的喜I従霖罅ぐ貅)一次地被打動。那種與神同在的幸福,如同少女般泛著紅暈的臉頰裡漫溢出來,實在很美很美。

鄭姑姑雖然蒙受不白之冤,為了對主耶穌基督的信仰,吃了許多苦,但她對主忠心,對人有愛心,靠上帝的大能大力和恩典,站立住了,作出了美好的見證。無論在什麼情況下,她都能感謝贊美神,以聖經上神的話為自己的食糧,滿有喜樂。以愛心幫助人,幫助過許多基督徒大學生。也幫助和安慰一起落難的修女和信徒。從不怨天尤人,總是感謝神在修理自己,煉淨自己,能夠合乎主用。許多來看望她的人,原是為了安慰她;可反而得到她的勸勉和激勵。

我想 ”我是一只關在籠中的小鳥”這首蓋恩夫人的詩歌,可以把鄭姑姑的景況表現的一覽無余。

我是一只關在籠中小鳥
遠離青蔥花草佳美田郊
為禰被囚 我心何等高興
終日向禰歌唱 吐露柔情

禰愛捆綁我的浪漫翅膀
俯首細聽我的幽靜歌唱
甜美的愛 激勵何等深沉
甘作囚奴 不願高飛遠遁

誰能識透此中鐵窗風味
因神旨意竟變祝福恩惠
哦主 我愛禰所定的道路
願萬有向禰贊美到永古

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三、雙手貧窮的親媽媽 −最窮的錢包

我的成年時代

我30歲那年,70歲的媽媽走完了她的一生,回了天家。媽媽的遺物中,有一個自己縫制的破舊錢包,其中裝有幾毛錢和幾個零幣,這是她一生的遺產。沒有人相信,40多年的婦科醫生,會這樣的貧窮。在她的葬禮上,從早到晚,三天三夜,四面八方湧來的弟兄姊妹絡繹不絕。追思禮拜一場接著一場。在他們的述說中,我才知道母親一生中,默默所作的事跡。她的雙手不僅養育了我們5兄妹,還醫治周濟不計其數貧困人,為的是領他們信主。正像她生前教導我們說:’你施舍的時候,不要叫左手知道右手作的。馬太6:3 ’施比受更有福。使徒20:35’我明白了穿著發白的還打著補丁的衣服來幼兒園接我的,讓我在小朋友面前含羞丟人的老土媽媽,沒有一樣金銀首飾也從來不化妝的媽媽;我明白了當我把她的破舊家具偷偷扔掉換成新家具時,對女兒悲傷失望的媽媽。

媽媽,對不起你!

媽媽你知道嗎?摩西將來要像你一樣,延續你醫療傳道的事業。這是他的理想。

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四、美好的榜樣,屬靈產業,

以上三位長輩,他們渡過了滿載風暴的人生,面對過狂風駭浪,忍受過試煉的煎熬,嘗受過許多的憂傷;盡管如此,他們還能褓存純真的信仰,沒有自怨自艾,反而饒恕並祝福傷害過他們的人。他們對神執著忠誠的愛,活化在點點滴滴的生活中。他們活出了基督的樣式,活出了神的道,活出了神的愛。他們將基督的平安、喜樂、安慰和豐富,如同滿帶芳香、滋潤的花雨,澆灌在我干渴的心靈裡。

在我過去的歲月中,多是遠離神的日子,在迷失中,斐叔叔的眼睛總望著我,讓我回想起他送給我的一句一句神的話語,指明方向,引導我走回義路。

在我傷心痛苦中,鄭姑姑溫柔美麗的微笑,鼓勵我,激勵我,再爬起來背起自己的十字架繼續向前走,她熱切地期望我得到天國福分。

在功名利祿的誘惑中,媽媽的右手左手讓我知道一個基督徒的人生觀、價值觀的重要,因而不偏離神的規範。做出合乎神心意的抉擇。

他們雖已不在世上,但留下來價值非凡的屬靈遺產,卻支撐著我一生一世去追隨神,歸向神。

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五、信仰的承續 , 福杯滿溢

19世紀末,一位英國傳教士把福音傳到了中國河南省安陽縣的一個小村莊。一位滿面愁容,9度流產的瘦弱婦人,因信耶穌基督蒙恩得救,順利產下一女嬰,那就是我的母親。由於祖父祖母是基督徒,沒有男尊女卑的思想,送女兒以至於到了外省就學。我的父母結婚較晚,生了5個孩子,我是家中最小的。記事以來,就常在爸媽的膝上聽聖經故事,小聲唱聖歌,偷偷去做家庭禮拜。

13歲那年受洗。從媽媽,斐叔叔,鄭姑姑長輩關愛為止,我基本沒有偏離神的道。但成人以後,漸漸變得冷淡,凡事自我作主,直到有一天,神狠狠地破碎了我所苦苦營建的一切。面對一堆破碎的夢,才發現這一切毫無價值。慈愛的天父重新塑造我心,他呼召我,並領我到新的天地,恢復了教會生活,工作和神學兩立。

2005年,父親來日本參加我神學院的畢業典禮,那無比喜樂的神情,讓我回想起,當我願意陪媽媽去教會禮拜時,她興奮地告訴別人,’這是我小閨女來聚會了’ 那無比喜樂的神情。那比我給他們說,得到名譽地位、物質利益、功成名就等等時的表情要美好燦爛的多。我一直為還沒有盡孝心,他們就離開我了而懊悔莫及,唯一讓我心裡好受一點的就是,父母親的這兩次喜E表情。父親說:’到摩西為止,我們4代基督徒的家庭,終於出了一個傳道人。’

2010年,我來美國,再度進修神學,很慚愧的說,我還沒有邁出傳道人這一步。 ’自己拙口笨舌,又是女人,孩子上學,經濟生活,無法接受獻金,甚至喜歡自己的專業’等等理由猶豫著,害怕著,但神的手不離開我,他把我能依靠的資本一點一點拿去,讓我無路可走跟著他,我知道這是神特別的愛。他看的起我,才揀選我,磨練我,他耐心等了我10多年,還沒有放棄我,用他的愛燃起我傳福音的熱誠,吸引我跟隨他而無怨無悔。

御代榮天
2011.10.21

2011/10/16 日曜日

真実なクリスチャン

Filed under: オウサン工房, 感想と証しの広場, 神様の領域 — admin @ 16:16:47

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ある日、息子(モーセ)は私に質問して「お母さん、あなたが最も尊敬した人と影響を受けた人は誰ですか?」、 私は何も考えずに答えました「イエスさまよ」。「主イエス以外は?」。とても簡単な問題に思えましたが、確かに私は長時間考えさせられました。歴史上の偉大な人物であるアブラハム、モーセ、ダビデ、パウロなどは、彼らの信仰は非常に壮大で素晴らしいのですが、ただ私の成長時期に身近にいた三人のクリスチャンの先輩達が深く私の人生に影響を与えてくれました。

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一、両目が盲目の裴おじさん−最も生き生きした目
私の幼少時代
裴おじさんは生まれた時は盲人ではありませんでした。彼の若い頃、あるお金持ちの家の美しい娘さんが、彼の説教を聴いて、彼の知恵のまなざしに一目惚れしました。彼女は家の財産をすべて放棄して裴おじさんを追いかけました。 これは美しい物語りとしてみんなに語り告がれました。その後、彼は迫害され刑務所で20年間過ごしました。 私は始めて彼に会った時、彼は刑務所から釈放されたばかり、もう両目が失明していた老人でした。けれども、かえって彼の妻は美しい大きい目を持っていました。なぜ彼は失明したのか?誰も理由を知らないのです。彼は刑務所内の事を何も話してくれないのです。彼はこう言いました「これは神様から与えられた冠と最も貴重な贈り物です。」 幼少期の私に全然わからない、理解もできなかったです。 毎週、母は私を連れて、彼の家に礼拝すること続いていた。彼が私に向いた時、深みの目は私の心の奥までを見えるようで、聖書のことばを潤い語り、知恵と力を与えてくれました。私のいのちを育てて、成長しました。母親常に言った「 彼のまなざしはイエス・キリストの光ようです」。
あの時代は、盲人が使える聖書は無くメディアもなかったのです、でも、彼が私に教えた御言葉のひとつひとつが間違い無く、すばらしい奇跡で彼の心の中に神の御言葉を刻み込まれていました。

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二、両足が不自由の鄭おばさん−最も美しい女性
私の学生時代
16歳の時、親元を離れて上海の大学へ行きました。 母親からに再三言われた事は「鄭おばさんを会いに行って、彼女はとても美しい女性よ。」 美人に会いに行くと思って、私は綺麗な洋服を着て行きました。彼女を最初に訪問した場面今でもはっきり覚えています。予想外で驚きました。 地下の小さくて暗い部屋の中に、シングルベッドがただ一つありました。その上に両足が不自由で、顔が腫れた白髪の彼女がいました。 鄭おばさんは、一生未婚で、家族、家もありませんでした。裴おじさんと同じように刑務所に入れられていました。釈放されて以来、若いクリスチャンの夫婦は、養子の名義で彼女を継いで自分の家に迎えました。 私はとても彼女を美しい女性としてみる事ができませんでした、ただ彼女の不幸しか見えませんでした。けれども、週に一回彼女のもとに行くことになって。彼女の説教はやさしく、暖かくて、彼女の賛美の声は私の心の底まで届きました。彼女の敬虔、謙遜な姿勢は私の模範になりました。神様が共におられる幸福感が彼女の聖潔な顔に溢れて、ピカピカに輝く。確かに誰も比べなれないほどの美しさでした。
彼女はたとえ無実の罪を背負っても、イエスキリストの信仰のために、苦痛を受けて、ただ主に忠実に、人を愛する。神様の力と恵みよって、しっかり立って、美しい証しができました。どんな状況でも神に感謝と賛美をもって、神の御言葉を自分の食糧として、喜びに溢れる。彼女はキリストの愛によって多くのクリスチャンの大学生を助け、 同じように困難に遭う伝道師と信者をたすけ慰めました。鄭おばさんは嘆きの声一つ出さずに、苦難は神様に仕える器なるための訓練と思っていました。彼女を慰めるため来る人は、結局彼女に励まされました。
Jeanne Guyonジーン・ギュイヨン夫人が書いた詩「箱の若鳥」ように、鄭おばさんの生涯にぴったりだと思います。

A little bird I am

Shut from the fields of air;
Yet in my cage I sit and sing
To Him who placed me there;
Well pleased a prisoner to be,
Because, my God, it pleases Thee.
Nought have I else to do
I sing the whole day long;
And He whom most I love to please,
Doth listen to my song;
He caught and bound my wandering wing
But still He bends to hear me sing.
My cage confines me round;
Abroad I cannot fly;
But though my wing is closely bound,
My heart’s at liberty,
My prison walls cannot control
The flight, the freedom of the soul.
Ah! it is good to soar
These bolts and bar above,
To Him whose purpose I adore,
Whose Providence I love;
And in Thy mighty will to find
The joy, the freedom of the mind.”

十字架の恵みが溢れて?牢は神を閉め出さず

私を取り囲む壁は堅く、私は一日中閉じ込められている。
しかし、わたしを縛るこの壁は、私を神から閉め出さない。
この私の地下牢こそ、麗しい場所。
私の愛する神が、ここにおられるゆえ
私を圧迫する彼らは知っている。
一人でいることはつらいことだと。
しかし彼らは知らない。私を祝福するお方を。
錠や石を通って来られる方を。
神は私のこの暗い牢を明るいものとし、
私の心を喜びで満たしてくださる。
神よ、あたなの愛は、私のため息や涙を賛美に変えてくださる。
魂の深みからあなをあがめ、それは時間や場所を忘れさせます。
良いか悪いか私は求めません。ただあなたのきよいみこころとの一致以外は。
それこそは私の宝となり、わたしの益をもたらすものです。
悲しみを喜びに変え、痛みから喜びを刈り取るのです。
何が起ころうとも、それは十分です。
神こそすべてのすべてであることを知ることこそ。

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三、両手が貧しい母親−最も貧乏な財布
私の成年時代
私の30歳の時に、70歳の母親が天に召されました。 母親の形見の中で、5センチ四方の白色の布切れで作った手作りの財布があった。中に幾かの小銭があった。これは母親一生の財産でした。40年超えて働いた産婦人科医なのに、こんな惨めに貧しいとは、誰も思えなかった。母親の葬式追悼礼拝は朝から晩まで、三日間絶えることなく続いた。礼拝に参加するために四方から来る兄弟姉妹が絶えませんでした。彼らの証により、私はやっと母親の人生観と価値観を知った。黙々と人のために仕える母親の姿勢を理解できました。母親でその両手で私たち5人の子どもを育て、また、数え切れない経済的に恵まれない患者さんを助け、病気を治療し、生活の援助までしました。彼らに神様を信じさせるためだった。「マタイ福音書6:3 施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。」,「使徒20:35 受けるよりも与えるほうが幸いである。」母親は聖書の教え通り人生を生きました。
幼稚園に来て私を迎えてくれるお母さんは、いつも一着しか持っていない古い洋服を着ていて、化粧とアクセサリーもしなかった。私はいつも友達の前で母親のことを恥ずかしく思いました。まだ、私が無理やり母親の古い家具を捨て、新しい家具に換えるときに、私に向かって失望と悲しい母の目。それらのことを思い出すと、胸に悔いがいっぱいでした。
お母さん、ごめんなさい! お母さん、あなたの孫? モーセがあなたの足跡につき、医学を志すことに決意しました。将来、あなたような医者になって、体と心が病んでいる人に神様のこと伝えたいと願っています。

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四、美しい模範、霊的な遺産
以上の3人の先輩は、暴風雨の満載する人生を過ごし、激しい風と波に直面し、試煉の苦しみを忍耐し、多くの憂え悲しみを経験しました。それでも、彼らは純粋な信仰を保ち、嘆きと恨むことなく、逆に、彼らを害した人々をゆるし、祝福しました。彼らの忠実、執着した神に対する愛は、彼らの生活に現れました。キリストのように生き、御言葉の通りに生き、神の愛を生きることができました。 彼らはキリストの平安、喜び、慰め、豊富を、溢れる芳香、潤いのある花雨ように、私の渇く心に流し込み、注ぎました。
過去の私は神から遠く離れたこともありました。見失うときに、斐のおじの目は私を見守った。彼が私を送り届けようと思い立つ一つ一つの御言葉が、方向を示し、私を義の道に帰ることを導きました。
苦しいときに、鄭おばさんのやさしい笑みは私を励ましました。再び起き立ち上り、自分の十字架を背負って前に歩むことができました。彼女は切に私が天国の幸せの得ることをねがいました。
お金、地位の誘惑に遭ったときに、母親の右手と左手が私にクリスチャンの人生観、価値観の重要性を教えました。キリストの道から離れることなく、 神様の御心に合う選択をしました。
彼らはもうこの世にいない。けれども、残ったかけがえのない霊的な遺産は、私が一生神に求め、ついて行くことを支えています。

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五、信仰の継承、祝福が満溢れる
19世紀の末は、1人のイギリス宣教師は中国河南省安陽県の小さい村に福音を伝えました。1人の悲しい、弱々しい、9度も流産した婦人は神様を信じた後、御恵みによって女の子を産みました。この嬰は私の母親でした。 祖父祖母はクリスチャンで、男尊女卑の思想がなく、女の子の私の母親を大学まで送りました。 私の親の結婚は遅かった。5人の子供の中、私は末子でした。小さい頃、常に両親のひざの上で聖書の話を聴き、賛美をし、家庭教会で礼拝しました。
13歳で洗礼を授けられました。 母親、斐のおじさん、鄭おばさんの先輩から多大な影響を受けました。その間に、私は神様から離れませんでした。しかし、成人になった後、だんだん神様を中心とする生活からずれて、すべてを自分で決めるようになってしまいました。大学、仕事、家庭は全部自分で選択したものでした。至るまで或る日、神は私の心尽くして営んだものをすべて壊しました。欠片になったそれらを目の前にして、なんの価値もないことだと気がついた。憐れみ深い天の父様は再び私の心を造り、私を呼びかけ選び、新しい環境を与え、教会生活の復帰を導き、仕事と神学校の両立をさせました。
2005年、父親が来日し、私の神学の卒業式に出席しました。あの喜びとうれしい表情は、私の思い出の中にある母親との表情が重なりました。私が母親に付き添って教会へ行って礼拝するときに、母親は姉妹たちの前に、「ほら、うちのかわいい娘が教会に来たよ」とあの喜びとうれしい表情だった。 私はまったく親孝行をしてあげられことなく、両親が居なくなった。後悔ばかりの私は、少し慰められるのは両親のこの表情でした。父親はこう言った「モーセまで、4代のクリスチャンファミリは、やっと一人の伝道者を出すことができる」。
それから、2010年、私はアメリカに来て再度神学校に入り。しかし、神に対して申し訳ない気持ちがあっても、いまだに宣教の道を踏み出せない。「 私は口と舌の重い人、女性だし、息子は学生だし、経済生活はどうなるか、献金を受け取ることができないし、自分の専門を好きだし…」等々のような理由で言い訳ばかりでした。でも、神様は私の手を離さない、私が頼るものを少しずつ持って行かれて、自分の道がなくなった私が神に従順するようにと、これは神様の特別な愛であると知らされました。
神は私を愛するこそ、私を選んで、私を鍛練し、神は10年もの間に、私を忍耐し待ち続け、私をあきらめなかった。神の愛が私の情熱を燃やし、福音を伝える道を導いて行きます。
1人の田舎の婦人の信仰によって、4代家族は祝福され。無名の山村からアメリカのUCLAまで、この素晴らしい恩恵みは祖母が想像もできなかったでしょう。

御代荣天
2011.10.16

2011/10/1 土曜日

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