2008/9/28 日曜日

祝福の滝

Filed under: 感想と証しの広場 — admin @ 18:41:50

あなたは知らないのか、聞いたことはないのか。主は、とこしえにいます神、地の果てに及ぶすべてのものの造り主。倦むことなく、疲れることなく、その英知は究めがたい。 イザヤ書40:28

ある朝、祈りの時に、世界中の多く人々がしているように、私もいつでも、どこでも神と話が出来ることを感謝しました。人には決してできないことですが、神がどのようにしてすべての祈りを聞き、すべての人を心に留めて下さるのか、どのように私たちすべての人をそれぞれ知っておられるのかは分かりません。しかし、神によって不可能なことは何もないことを私は知っています。

数日経ったある夜、私は天国から地上に流れ落ちる滝の夢を見ました。水はすべての人に注がれる神の恵み、あふれ出る愛と真理、平和、喜びでした。その夢は、神がどこにでもおられること、また、神の力は聖霊によって決して終わらないことを示していました。神が私たちに祝福を注いで下さるように、私たちも思いやりと愛の行いによって、その祝福を人々に伝える通りよい管になれるよう努めます。

祈祷:力と愛の神様、あなたの限りない愛と、日々、私たちに与えて下さる祝福を感謝します。あなたの愛を伝える管になれるようお助け下さい。

今日の黙想:私たちが祝福を受けるのは、それを人に手渡すためです。

ブライアン・ガント

2008/9/27 土曜日

Filed under: お知らせ — admin @ 20:18:55

2008.09.06 ウエルカム礼拝のご案内

新松戸福音自由教会からのお知らせ

goodnews200809

2008/9/21 日曜日

決してあきらめない

Filed under: 感想と証しの広場 — admin @ 18:46:12

たゆまず善を行いましょう。飽きずに励んでいれば、時が来て、実を刈り取ることになります。  ガラテヤ書6:9

私は花が大好きです。色鮮やかで様々な種類の花々は幸せな景色を創りだします。私は園芸の達人ではありませんが、それでも花を植えては咲くのを見て楽しんでいます。植物を買う時、私は必ず植える時期や場所、水のやり方が記されているラベルの説明を読みます。ラベルにはその植物が成長してどれくらいの大きさになるか、またいつ花が咲くかということも書かれています。

しかし、きちんと指示に従っても、時期どおりに花が咲かないことがあります。それでも、私はその植物の手入れを続けますが、咲かせる望みをあきらめることもよくあります。そしてある日、全く期待していない時に、花が咲いているのを発見するのです。本来花は咲く時期に咲かなくても、問題はありません。いつで会っても花が咲けば喜びを与えてくれるからです。

そのような意味で、人々は花のようなものです。同じ速度で花を咲かせ、成長するわけではないからです。しかし、神は私たちに対して見切りをつけるべきではないでしょう。ふさわしい心配りといのりによって、私たちは皆、神の定めた時に花を咲かせることが出来るのです。

祈祷:創り主である神様、私たちの周囲にあるあなたの創造物の美しさを感謝します。あなたの言葉と愛によって私たちが成長し、あなたの恵みのうちに成長できるようお助けて下さい。アーメン。

今日の黙想:種まきをし、収穫のために神を信頼しましょう。

マリン・リトル

2008/9/14 日曜日

神の保証

Filed under: 感想と証しの広場 — admin @ 18:47:10

今日こそ主の御業の日。今日を喜び祝い。喜び躍ろう。詩篇118:24

春になると私はよく鳥のさえずりで目を覚まします。ブラインドの隙間から外をのぞくと、日が昇る前の暗闇を照らす一条の光が見えます。
鳥のさえずりは、私には新しい一日の始まりを告げる希望の賛歌のように聞こえます。小鳥たちは、それぞれ独自の方法で、生涯の旅路の新たな一日を表します。日が完全に昇るにつれ、陰が消えていくことを小鳥たちは確信しているようです。
普通、私たちは朝起きると、まずその日に果たすべき責任や問題を考えます。しかし、クリスチャンである私たちは、嵐のあ後に静けさが訪れるように、夜の後には日があると確信しているあの小鳥たちのように、一日を始めることも出来るのです。私たちの前に明けていく新しい一日ごとに、その日に何が待ち受けていようとも、眠っている間も見守っていて下さっている神が私たちのそばにおられるという確信にたつことが出来るのです。

祈祷:愛する主よ、新しい一日の始まりを喜ぶことができるように、あなたの光の中心に私たちを集めて下さい。アーメン。

今日の黙想:日が沈む時でも、神は私たちの光の源となっていて下さいます。

ルイス・アルベルト・ホネス

2008/9/7 日曜日

それほど多くの証拠

Filed under: 感想と証しの広場 — admin @ 18:48:42

私は時として、神が真実な方であると信じ難しいことがあります。これまで度々多くの証拠を見せられてきているのに、です。神は私の目を聞き、何か真理であるか示して下さいました。しかし、ふと振り返ってこう思うこともあるのです。”あれは私の思いこみからくる妄想だったかも知れない”私はそれが、弟子たちが疑ったとき(ルカ24:36−53)と同じように思えるのです。復活された後、弟子たちはイエスが本当の方か信じるために体に触れる必要がありました。

神が私を聖書に導かれる時、私はイエス・キリストは生きておられることを知らされ、イエスが私に触れて下さるのを感じるのです。その感覚は例えば私が好きだった男の子が初めて私の手を握ってくれた時のように、電気が走ったような感じです。それは例えば、生まれたばかりの赤ちゃんの頬が、そっと私の胸に触れているときのような優しさです。それは例えば、新しく出来た友人が初めて私を抱きしめてくれたときのような喜びです。私たちが今、互いにそういう挨拶を交わせるほど親しくなったことが分かります。それは例えば、母が亡くなった後、長い間疎遠になっていた兄が抱きしめてくれたときと同じ慰めです。キリストは生きておられるのです。

祈祷:愛の神様私たちの信仰を強めて下さい。私たちがいつもあなたに手を伸ばしていること思い出して下さい。あなたの霊はいつも私たちに触れるほどそこにあります。アーメン。

今日の黙想:神の愛と慰めは本物です。自分でそれを探し、見ましょう。

ステラ・バークハルター

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