2008/4/27 日曜日

完全な愛

Filed under: 感想と証しの広場 — admin @ 14:35:10

それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大きいなるものは、愛である。

以前、テレビで83歳の女性のインタビューを見ました。政治家としての長く波乱に満ちた人生と、その私生活について質問されていました。知的な人で、その答え方は明快でした。最後に、キリスト教信仰について質問が出ました。その人は、しばらく黙っていましたが、「信仰は私の人格の生きた部分です。信仰は私のむちであり、杖です」と言いました。そして更にこう言いました、「私の厳格な父は昔風のカルビン派で、すべてを罪深いものと考える人でした。しかし今、私が知っている主はそのような方ではありません。神は罰する神ではなく、愛と義に満ちた方です」

この言葉は、私が自分の信仰を見直すきっかけになりました。
私も信仰が希望を与えてくれているということができます。信仰がなくては、希望はありません。時には疑いを持つこともありますが、信仰が確信を与えてくれました。また、神や聖書については疑う余地はなくても、自分のことが分からなくなる時があります。私はちゃんと出来ているのか、神の愛を受ける価値がある必要はない、ということに気がつくのです。神の恵みの光の中では、私たちはそれぞれが受け入れられているからです。神の愛は私たちを取り囲み、歓迎して下さいます。

祈祷:希望と喜びの神様、ありのままの私たちを愛して下さることを感謝します。アーメン。

今日の黙想:主を信じましょう。そうすれば、主はあなたを信じてくださいます。

ライラ・ゲイツ

2008/4/24 木曜日

カルバリの愛を知っていますか (47)

Filed under: カリバリの愛を知っていますか — admin @ 0:14:50

もし「あなたはわたしのためを思って
ねたみを起しているのか。
主の民がみな、預言者となればよいのに」
ということばが、
ごく自然に私の口から
出るのでないならば、
その時私はカルバリの愛をまったく知らない。

2008/4/21 月曜日

今日という日を喜ぶ

Filed under: 感想と証しの広場 — admin @ 21:12:47

今日こそ主の御業の日。今日を喜び躍ろう。  詩篇118:24

「主よ、疲れてしまいました」私はこの数週間、毎日目覚めるたびに、気が付くとこのようなうめき声をあげていました。私は夫とともに7年以上も、高齢で寝たきりの夫の母介護をしてきました。介護という重荷がいつしか私にのしかかっていたのです。

ある朝、目が覚めると、詩篇118:24が心に浮かんできました。私は窓の外に目をやると、外には雪が積もっているのが見えました。私は雪の中をとぼとぼ歩くのは好きではありませんでしたが、その雪景色は確かに美しいものでした。「今日こそ主の御業の日」と私は着替えて鶏に餌をやるために外に出ました。私の毎朝のつぶやきが、創造物の美しさに対する神への讃美に変ったのです。喜びという神からの贈物が私の気持ちを宥め、その日にするべき仕事に向かう私の思いと心に平安を与えてくれました。

祈祷:父よ、私が祈る時、私たちに喜ぶことを思い出させ、喜び力を与えて下さることを感謝します。アーメン。

今日の黙想:今日の黙想:神にある喜びを選び取るならば、その日一日の見方が変ります。
マリー・E・ディスブロー

2008/4/20 日曜日

カルバリの愛を知っていますか (46)

Filed under: カリバリの愛を知っていますか — admin @ 7:25:52

個人的な成功といった
ささいなことは忘れ去り、
それが心を決してよぎることがないように
もししないならば、
またふとして
その誘惑が頭をもたげる時
ただちに心から消し去るのでないならば、
もし霊的な賞賛の杯が
私の唇に甘いのであるならば、
その時私はカルバリの愛をまったく知らない。

2008/4/19 土曜日

神を求めて

Filed under: 感想と証しの広場 — admin @ 8:58:17

しかしあなたたちは、その所からあなたの神、主を尋ね求めればならない。心を尽くし、魂を尽くしもとめるならば、あなたは神に出会うであろう。

ある日曜日の説教の終わり頃、牧師は「出て行って、神を捜し求めなさい」という課題を私たちに与えました。私は「どうすれば神を見出せるのかしら」と思いました。私は聖人でも学者でもなく、また、常に神の御心を理解しているわけでもありません。神はあまりに偉いな気高い方で、私の手に届きそうもありません。

それでも、その週、目と耳を働かせた私は、毎日、身近なところで神の臨在を見出すことができました。巣作りをしているマネシツグミの愛らしい歌声を聞きました。生まれたばかりの赤ちゃんの柔らかい肌や労働者の節くれだった手を見て、神の存在を感じました。冬を越して最初に咲いた花や、飼っている犬の優しく賢い目の中にも神を見出しました。神はどこにでもおられ、いつも一緒にいて下さいました。私は新しい形で神を理解しました。

祈祷:愛する天の父よ、日々の生活の中であなたの素晴らしい祝福に気づかせてください。お祈りします。アーメン。

今日の黙想:神は常に、全創造物と共に、あまねくおられます。

ナンシー・J・ストーファー

2008/4/15 火曜日

批判しない目

Filed under: 感想と証しの広場 — admin @ 23:35:45

私たちの人生は心配するか、批判するかです。弱い者は心配し、強い者は批判します。主は心配せずに神の義と神の国を求めなさいと語りました。神の国と神の義を求める具体的な適用は礼拝と共同体に属することです。共同体に入ると人間関係に問題が表れ始めます。人によって信仰の種類が異なり、測りが異なるので、問題のない共同体はありません。親子の間ですら問題が生じるのですから、教会の中に、牧場の中に、問題が生じないわけがありません。チャールズ・スウィンドルは批判してはならない七つ理由を次のように述べました。
まず、私たちはすべての事実をみな知らない。
二番目、私たちはその動機を完全に理解できない。
三番目、私たちは完全に客観的な考えをすることができない。
四番目、その状況にいなければ正確に知ることはできない。
五番目、私たちには見えない部分がある。
六番目、私たちには偏見があり、視野が薄れることがある。
七番目、私たちは不完全で、一貫性がない。

キム・ヤンジュ

2008/4/12 土曜日

聖なる日

Filed under: 信仰生活, 感想と証しの広場 — admin @ 21:03:39

主の家に行こう、と人々が言ったとき、わたくしはうれしかった。(詩篇122:1)

ある日曜日の朝、夫が教会へ行こうと誘ってくれたとき、私にはその気がありませんでした。多くの仕事を抱えていたのです。レポートを提出する期限が過ぎていたのです。日曜日は、私が家で静かにレポートが書ける唯一の日だったのです。しかし、行かないと決めた途端に私の心がちくちく痛みました。私は神の家へ行き、他の信者たちと共に礼拝すべきだと気づきました。

悩んだあげく、私は教会行き、レポートは晩までお預けにすることに決めました。牧師の説教のには勇気づけられました。まるで私のために用意されたようでした。説教の題は「優先順位を正しく保つ」でした。まさに私が悩まされていたことそのものでした。朝、主は私を祝福して下さり、その晩には、所定の時間までにレポートを書き上げることが出来ました。

日曜日は、私たちの多くの者にとって、神と共にいる時を持つ聖なる日というよりも、体を休める日になってきています。しかし、私たちがこの日を神の栄光のために守るならば、私たちは祝福を受けるのです。

祈祷:主よ、週の初めの日を祝福し、清めて下さることを感謝します。私たちがこの日を清くし、あなたを讃美し、祈るために用いるようお助け下さい。アーメン。

今日の黙想:雇用者は私たちに休日をくれますが、神は聖日を下さいます。

ポラミラ・バルカターキ

2008/4/8 火曜日

カルバリの愛を知っていますか (45)

Filed under: カリバリの愛を知っていますか — admin @ 21:58:09

すでにその正しさが
誰の目にも明らかにされていることを
実践する者として
人に知られることをもし望むならば、
あるいはまた、
そのことを提唱した人間として
知られることをもし望むならば、
その時私はカルバリの愛をまったく知らない。

2008/4/6 日曜日

Filed under: お知らせ — admin @ 20:29:40

2008.04.05 ウエルカム礼拝のご案内

新松戸福音自由教会からのお知らせ

goodnews200804

2008/4/5 土曜日

王族

Filed under: 感想と証しの広場 — admin @ 8:47:29

しかし、あなたがたは、選ばれた種族、祭司の国、聖なる国民、神につける民である。それによって、暗やみから驚くべきみ光に招き入れて下さったかたのみわざを、あなたがたが語り伝えるためである。 ペテロ第一の手紙2章9節

イギリス王室は大家族です。王女の子供たちは生まれながらに特権を持っていますが、同時に大きな責任も負っています。王族の人々は常にマスコミの目にさらされ、すべての行動に注目が集まります。どこに行ってもカメラマンが待ち構えています。悪いことをすればすぐにたたかれ、王室全体の不名誉となります。

神の家族に生まれた者である私は、どんな王国の王子や王女が王国に対して待つより、もっと大きな特権を与えられ、神をほめたたえて生きる大きな責任を負っています。私の人生は常に人々の目にさらされ、それが神への讃美となるか不名誉になるかは、私の行いにかかっているのです。

この世で、王室の一員として生きることは重荷でしょうか。イギリス王室の子供たちにとっては、そうかもしれません。王室の一員といってもただの人間であり、正直、私自身そのような立場になりたいとは思いません。しかし、すべてのクリスチャンには、キリストによって、神に栄光を帰するような人生を送る恵みと能力と与えられているので。

祈祷:聖なる神様、今日、光の子として歩み、出会うすべての人にあなたの光を分け与えることができるように、私たちにあなたの恵みを与えて下さい。イエスの御名によって祈ります。アーメン。

マリアン・ターンブル

2008/4/4 金曜日

カリバリの愛を知っていますか(44)

Filed under: カリバリの愛を知っていますか — admin @ 13:29:15

囚われた魂が解放されることを求めて
ひたすら心をくだくことよりも、
自由へ道を指示する者として
このわたしがどのように活動するかに
心を奪われているならば、
そして失敗した時にも、
ほかの人に解放のことばが与えることを
まず望むよりも、
自分への失望感にいつまでも
悩まされてしまうようであるならば、
その時私はカルバリの愛をまったく知らない。

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