2007/11/29 木曜日

カルバリの愛を知っていますか(27)

Filed under: カリバリの愛を知っていますか — admin @ 17:07:58

友との関係において、
疑わしい点は善意に解釈するということを
もししないならば、
語られたことば、なされた行為から
最善のものを引き出そうとする努力を
もし怠るならば、
その時わたくしはカルバリの愛をまったく知らない。

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2007/11/28 水曜日

你当默然依靠耶和华,耐性等候他

Filed under: 荒野の泉 — admin @ 15:56:06

诗篇叁十七篇7节

有没有祷告了又祷告,等候了又等候,而仍旧没有效果呢?
你看见没有效果,觉得厌倦么?你正想放弃么?你或许要想你等候错了。如果你这样想,就会叫你离开正路??离开神所能遇见你的地方了。
“忍耐等候。”(罗马书八章二十五节)。忍耐能挪去愁烦。若是主所他要来,他的应许就等于他的同在。忍耐也能擦去你的眼泪。为什么难过沮丧呢?他比你自己更加知道你的需要,他等候的目的,乃是要使你得到更荣耀,更丰富的祝福。忍耐也能挪去自己的工作。主所要求的工作乃是“信”(约翰福音六章二十九节)。当你相信的时侯,你就会知道一切都已经成功了。忍耐也能挪去一切的欲,你切望得到你所要的欲,也许远胜过完成神的旨意。
忍耐也能挪去一切的软弱。忍耐不是懒惰,也不是虚度光阴。你既知道神在预备更荣耀,更丰富的祝福给你,你自己也必须预备去接受。忍耐也能挪去一切的飘摇无定,“扶我站起来”(但以理书八章十八节)。神的根基是顶稳固的;我们有他的忍耐在里面,我们等候的时侯也稳固了。忍耐有赞美和快乐。赞美的忍耐??“欢欢喜喜的忍耐”(歌罗西书一章十一节)??是最美丽的忍耐。“但愿忍耐成功”(雅各书一章四节直译),叫我们在等候中得到神丰富的恩典。

荒漠甘泉2.21

2007/11/27 火曜日

必要を知っておられる方

Filed under: 平安を得るためのヒント — admin @ 17:40:59

私の神は……あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。(ピリピ4:19)

この聖句は、私たちにとって神様からの約束であり、チャンレンジでもあります。このことが神様からの約束であることは明らかです。神様は与える方であり、私たちを守りとおしてくださる方です。さらに、幹線中田です。私たちの必要なものは何でも与えてくださいます。この約束を思い出すなら、不安は和らぎます。この箇所は私たちにとってのチャレンジでもあると言いましたが、これは、私たちの信仰を試す間接的なテストであると言うことです。ですから、先ず私たちがしなければならないことは次のように問うことです。「神様、必要なものはすべて備えられるということを信じることが、私にはできるでしょうか」と。

2007/11/26 月曜日

カルバリの愛を知っていますか(26)

Filed under: カリバリの愛を知っていますか — admin @ 17:06:54

もし「わたくしにつまずかない者は幸いである」
というみことばを忘れるならば、
そして”理性を超えた方”の
足もとにひれ伏して、
心安らかにしていることができないならば、
あるいはまた、
どれほど小さな誤解の影であろうと
自分がそれを持つのを許して平静でいるならば、
その時わたくしはカルバリの愛をまったく知らない。

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2007/11/24 土曜日

人生のまことの逆転

Filed under: 神様の領域 — admin @ 6:06:20

詩篇37:12〜20
12:悪しき者は正しい者にむかってはかりごとをめぐらし、これにむかって歯がみする。
13:しかし主は悪しき者を笑われる、彼の日の来るのを見られるからである。
14:悪しき者はつるぎを抜き、弓を張って、貧しい者と乏しい者とを倒し、直く歩む者を殺そうとする。
15:しかしそのつるぎはおのが胸を刺し、その弓は折られる。
16:正しい人の持ち物の少ないのは、多くの悪しきの者の豊かなのにまさる。
17:悪しき者の腕は折られるが、 主は正しい者を助けささえられるからである。
18:主は全き者のもろもろの日を知られる。 彼らの嗣業はとこしえに続く。
19:彼らは災の時にも恥をこうむらず、ききんの日にも飽き足りる。
20:しかし、悪しき者は滅び、主の敵は牧場の栄えの枯れるように消え、 煙のように消えうせる。

要約
悪者が剣と弓で義人を攻撃し、貧しい者を倒そうとしても、その剣と弓が、かえって悪者の心臓を刺すことになります。これは、主が義人をささえておられるからです。

悪者の結果(詩篇37:12〜17)
詩人は、悪者がどのように義人に害を加えるかに対して、より詳細に描写しています。”その日”(13節)は悪者の最後の日ですが、神はその日を 知っておられるだけではなく、その日定められます。神は悪者が自分の最後も知らずに高ぶる姿をご覧になり、笑われるしかあえいません(13節)。それは、 猛烈な怒りへと続きます。罪のない人を殺そうとする悪者の剣は、結局自分の心臓を貰く道具となり、彼らの弓は折られ、役に立たなくなります(15節)。こ のように、神は悪者の腕は平安の中でささえられます(17節)。まことのいのちは、所有の豊かさにはありません。むしろ全能の神の腕に頼って生きる、義人 の少ない所有が、悪者の豊かさよりもまさる祝福なのです(16節)。
最近、最もよく考え、心を占めていることは何ですか。所有の多く少ないに心を奪われていませんか。

義人の繁栄を覚えよ(詩篇37:18〜20)
義人の結末は繁栄で終りますが、悪者は滅びます。神が「全き人の日々」(18節)を知っておられるという肯定的な意味をこめています。また、彼ら の相続地は永遠に残るといわれましたが(18節)、ここには繁栄と安全さという意味があります。”艱難のとき”や”飢饉の日”(19節)は「全き人の日 々」に含まれ他日で、苦難の時にも神は彼らをさせられ、守られます。彼らは艱難の日にも満ち足ります。また、災難が臨むときにも、決して恥を見ません。悪 者が繁栄を味わうように見え、正しいものが彼らの手によって苦しんでいるようでも、結局は神と正しい関係を結んでいる人だけが生き残るのです。
艱難の時や、ききんの日にも、真実に神のいつくしみを信じていますか。神との正しい関係を保つためにどのような価値観で生きていますか。

今日の祈り
覆われている私の目を開いてくださり、時に悔しい、悪が勝利しているかのように見える光景の中でも、神様の御手を見て、神様の時に期待できますように。

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2007/11/22 木曜日

憐れみ深い神様

Filed under: 平安を得るためのヒント — admin @ 17:35:19

主の憐れみは尽きない。(哀歌3:22)

神様は本当に憐れみ深い方です。それなのに、私たちは神様の憐れみをそのまま受け入れることができないで入る時があります。特に、同じ失敗を重ねた時など、思わずこんなふに言ってしまいます。「これでもうおしまいだ。今回こそ神様も私のことを赦してくださらない」と。しかし、神様がご自分の子供たちを見限ってしまうことなど決してありません。それは、神様が憐れみ深い方だからです。

人からひどいことをされた時に私たちはその人をなかなか赦すことができません。ですから、私たちが同じように神様対して罪を犯した時も神様が赦してくださるということを受け入れことが困難なのです。自分の受ける感情をそのまま神様にもあてはめているからです。ここに問題があります。そして、これほど真実からかけ離れている考えはないでしょう。確かに、私たちが罪を犯せば、神様は懲らしめをお与えになります。しかし、それには、私たちが成長するという神様の意図があってのことです。

神様は私たちを決して「捨て去り」ません。心の緊張を解いて、神様の尽きない憐れみを喜び、もし神様から懲らしめがきたとしても、そのことを感謝しましょう。

2007/11/21 水曜日

カルバリの愛を知っていますか(25)

Filed under: カリバリの愛を知っていますか — admin @ 17:06:12

他の人たちの見出し得なかったものを
もしかしてわたくしが発見した時、
深い所に隠されている真理を
啓示して下さる方、
暗闇の中にあるものを知って、
それを示してくださる方を
もし忘れるならば、
その光のひと筋を
まことにふつつかなしもべに
与えてくださったのは
主にほかならないことを
もし忘れるならば、
その時わたくしはカルバリの愛をまったく知らない。

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2007/11/20 火曜日

助け主

Filed under: 平安を得るためのヒント — admin @ 17:33:34

しかし、助け主、すなわち、かみが私の名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたくしがあなたがたに話したすべてのことを思いおこさせてくださいます。(ヨハネ14:26)
幼子が傷ついた時に慰めを求めて信頼する親のもとへ走っていくように、私たちも神様のもとへ走っていけます。

神様は、今までに何度も、傷ついている私たちのほうへご自身から走り寄ってくださるのでしょうか。神様の助けは、助け主、聖霊を通してきます。この方については学ぶべきことがたくさんあります。聖霊は私たちの先生であり、イエス様について教えてくださいます。また、イエス様のような生き方ができるように私たちを整えてくださいます。さらに、助け主である聖霊をとおして、私たちがクリスチャンとして生きていくのに必要なもののすべてを神様は与えてくださいます。このことを知ればしるほど私たちは揺れるぎない安らぎを覚えます。

2007/11/19 月曜日

カルバリの愛を知っていますか(24)

Filed under: カリバリの愛を知っていますか — admin @ 17:03:39

わたくしが何かを考えようとする時、
利己主義の影が
いささかなりともよぎるその瞬間に、
心のその扉を閉じることをもししないならば、
そしてわたしたちの中に働いて願いを起こし、
行動させてくださる方の力により、
その扉を閉じたままにしておくのでないならば、
その時わたくしはカルバリの愛をまったく知らない。

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信……是未见之事的确据

Filed under: 荒野の泉 — admin @ 12:47:55

真信心把信件投在邮箱里以后,就让它去了。不信把信件放在邮箱口,执住一角,不肯脱手;同时又诧异回信还没有来。在我的书桌里有好几封写就了好久的信,到今天还没有发出去,因为我不确知地址有否错误。它们对于我和我的亲友还没有发生什么关系。它们也永远不会发生什么,除非我把它们投在邮箱里,完全信托邮局。
真信心就是这样。它把事情交给神以后,就让它去了。神就成全。诗篇37篇5节说得顶好:“当将你的事交托耶和华,并倚靠他,他就必成全。”但是我们不交托,神就不成全。信就是接受,或更准确一点,领取,神所预备的礼物。让我们前来相信,交托,接受,在我们以顺从的态度,开始接受之前,我们是不会完全认识我们所得的祝福。??译自《在地上的天上生活》(Days of Heaven upon Earth)
贝逊博士在他年轻的时候,遇到一位老妇人。她焦心忧虑她的儿子。贝逊写信给这位老妇人说:“你过于为你的儿子担心了。你已经为他祈祷,把他交付给神,还不应当安心吗?”神命令我们不要为任何事情担心,这是没有限度的,所谓把一切忧虑卸给神,用意即在于此。如果我们已把肩上的重担交给了别人,我们岂非完全轻松了吗?如果再从神那里取了回来,显然就没有交给神。在我自己,常常把下面这个原则来测验我的祷告;倘使把任何事情交给了神,我就可以轻松地离开,心中再无半点悲哀,苦痛或焦虑,这可以证明我们的祈祷是出于信心;如果再把负担放在自己的肩头,就证明我们的信心不够,没有发生作用。

荒漠甘泉4.24

2007/11/17 土曜日

貧しい者の祈りと望み

Filed under: 神様の領域 — admin @ 6:06:52

詩篇34:1〜10
1:わたしは常に主をほめまつる。そのさんびはわたしの口に絶えない。
2:わが魂は主によって誇る。苦しむ者はこれを聞いて喜ぶであろう。
3:わたしと共に主をあがめよ、われらは共にみ名をほめたたえよう。
4:わたしが主に求めたとき、主はわたしに答え、   すべての恐れからわたしを助け出された。
5:主を仰ぎ見て、光を得よ、   そうすれば、あなたがたは、恥じて顔を赤くすることはない。
6:この苦しむ者が呼ばわったとき、主は聞いて、すべての悩みから救い出された。
7:主の使は主を恐れる者のまわりに/陣をしいて彼らを助けられる。
8:主の恵みふかきことを味わい知れ、主に寄り頼む人はさいわいである。
9:主の聖徒よ、主を恐れよ、主を恐れる者には乏しいことがないからである。
10:若きししは乏しくなって飢えることがある。   しかし主を求める者は良き物に欠けることはない。

要約
ダビデは神を賛美します。これは彼が 難の中で祈ったとき、神が答えられたからです。 難から救われたダビデは、聖徒も自分のように主の助けを求め、恐れるように進めます。

すべての恐れから救われた主(詩篇34:1〜6)
詩篇34篇はダビデがアビメレクに前から気が違ったふりをして追われたときに作った詩です(?サム21:10〜15)。恐れのあまり、よだれを流 して気が違ったぐりをすることは、想像しただけでも恥ずかしいことです。この時、ダビデは、サウルを避けて逃げたものの、仕方なく敵の地に戻ってきた状況 でした。ですから、ダビデにとってこの時ほど”残酷な”時はありませんでした。自分の身分を正直に明かせず、その瞬間を逃れるために屈辱的な演技をするし かなかったのです。そのような状況でも、彼が切に頼り求めたのは、ただ主だけでした。神は”悩む者”の祈りを聞かれ、彼をすべての恐れと 難しいから救わ れました(6節)。このようなダビデの経験は、”貧しい者”の望みとなります(2節)。
侮辱されて恥ずかしい思いをし、卑屈になっていませんか。その時が後に、悩む者を理解し、助けるための備えであることを知っていますか。

主に身を避けなさい(詩篇34:7〜10)
ダビデが得た結論は、すべての状況が目に見える人々によって動かされているのではないということです。彼は背後で起こる霊的戦いを悟りました。神 を恐れる者には天の軍隊である”主の使者”を送ってくださいます。主の使者たちが、彼を中心に陣営を張り、敵の手から救ってくれるのです。ダビダは”主を 恐れる”ことの大切さを悟ります。彼はどれだけ恐ろしい状況でも、他のどんなことよりも、そして、他のでれよりも、主を”恐れる”ことが、主を求める者の 正しい態度であることを学びました。ダビデは主を恐れる者は、乏しいことがないことをはっきりと体験したため、「主を恐れよ。その聖徒たちよ。彼を恐れる 者には乏しいことはないからだ」(9節)と叫びます。
あなたは他のどんなよりも主を恐れていますか。主を恐れる者は”良いもの”に何一つ欠けることがないことを信じて生きていますか。

今日の祈り
この世のどんなものより主を愛します。どんな苦しみや試練にあっても変わらないことを願います。主を恐れることが私の力であると告白させてください。

http://godarea.net/

2007/11/16 金曜日

憐れみ深い神様

Filed under: 平安を得るためのヒント — admin @ 14:00:10

主の憐れみは尽きない。(哀歌3:22)

神様は本当に憐れみ深い方です。それなのに、私たちは神様の憐れみをそのまま受け入れることができないで入る時があります。特に、同じ失敗を重ねた時など、思わずこんなふに言ってしまいます。「これでもうおしまいだ。今回こそ神様も私のことを赦してくださらない」と。しかし、神様がご自分の子供たちを見限ってしまうことなど決してありません。それは、神様が憐れみ深い方だからです。

人からひどいことをされた時に私たちはその人をなかなか赦すことができません。ですから、私たちが同じように神様対して罪を犯した時も神様が赦してくださるということを受け入れことが困難なのです。自分の受ける感情をそのまま神様にもあてはめているからです。ここに問題があります。そして、これほど真実からかけ離れている考えはないでしょう。確かに、私たちが罪を犯せば、神様は懲らしめをお与えになります。しかし、それには、私たちが成長するという神様の意図があってのことです。

神様は私たちを決して「捨て去り」ません。心の緊張を解いて、神様の尽きない憐れみを喜び、もし神様から懲らしめがきたとしても、そのことを感謝しましょう

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