2007/10/30 火曜日

神様の愛

Filed under: 霊想書・黙想 — admin @ 21:20:56

聖書は時間をかけてたくさんの人によって書かれています。しかし、その内容は一貫しており、全体を通して神様の愛が示されています。

世界には、神様と呼ばれるものがたくさんあります。人は、本当の神様を見失うと、神様とは違うもの(偶像)を拝んでしまいます。本当の神様というのは、この世界を造った御方で、最も偉大な御方であります。さらに、この偉大な御方は、私達一人一人を愛して下さっています。

ル カによる福音書14章の放蕩息子の話を読むと、この息子は財産の分け前をもらって自由が与えられたことが書かれています。息子は自分の判断で、お父さんか ら財産の分け前をもらって遠い国に行き、湯水のようにそれを使ってしまいました。その息子が悔い改めて帰ってきた時、お父さんはそのことについては何も言 わずに喜んで彼を迎え、一番良い着物を彼に着せました。

私達にも、この息子と同じように自分の人生を選択する自由が与えられます。しか し、私達が神様のところに帰った時、神様はこのお父さんのように喜んで迎えて下さるのです。また、私達は罪人であって、神様の前に出られるような着物を 持っておりません。神様の前に出るためには、神様の与えて下さったイエス・キリストを着なければなりません。(神様がキリストという一番良い着物を与えて 下さるのです)

私達は皆罪人なので、良い行いによっては天国にゆくことはできませんが、神様はこのような私達を愛して下さって、愛するひ とり子、主イエス様を、私達の代わりに十字架の上でさばくことによって、私達に救いの道を用意して下さいました。信じる者は誰でも、この救いを受けること ができます。

神様から与えられる愛は、どんな人にも与えられる無条件の愛です。

2007/10/29 月曜日

カルバリの愛を知っていますか(17)

Filed under: カリバリの愛を知っていますか — admin @ 19:30:03

人の傷を
ほんの少しいやすお手伝いをしただけで
満足してしまい、
平和がないのに平和、平和と
もし言うならば、
「愛には偽りがあってはならない」という
痛烈なことばを忘れて
真理の矛先を鈍らせ、
正しいことを言うかわりに
耳ざわりのいいことをもし語るならば、
その時わたくしはカルバリの愛をまったく知らない。

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2007/10/27 土曜日

賛美によって世を目覚めさせよ

Filed under: 神様の領域 — admin @ 6:00:40

ローマ人への手紙11:33〜36
33: ああ深いかな、神の知恵と知識との富は。そのさばきは窮めがたく、その道は測りがたい。
34: 「だれが、主の心を知っていたか。だれが、主の計画にあずかったか。
35: また、だれが、まず主に与えて、/その報いを受けるであろうか」。
36: 万物は、神からいで、神によって成り、神に帰するのである。栄光がとこしえに神にあるように、アァメン。

要約
パウロは神の知恵と知識の豊かさを賛美します。誰も神様の裁きを知ることはできず、そのみこころと計画を知ることはできません。すべての存在の有無が神にかかているからです。パウロはこの神に栄光が永遠にあるように祈りませ。

神の知恵の偉大さを賛美せよ!11:33〜34
1〜11章でパウロはユダや人と異邦人の救いのために、神の深い計画と主権的な恵みを論証しました。彼は今や長い論証を終えながら、胸に迫る感激 を注ぎ出します。まず、救いの計画とその過程で現われた神の知恵と知識の偉大さを賛美します。「ああ、神の知恵と知識との富は、何と底知れず深いことで しょう」(33節)。神の計画は私たちは私たちの理解を超越しており、私たちが理解できず、私たちの知識では説明できないという理由で、無限なる神の救い の真理をあざ笑い、拒否することは、本当に無謀で幼稚なことです。事実、神の救いの真理が信じられ、告白されるという自体が驚くべき恵みを受けた証拠で す。
理論と理性ではできない聖書の真理が信じられることが神の恵みであり、選ばれた者の特権です。

神の主権の偉大さを賛美せよ!11:35〜36
パウロは神がヨブに投げられた挑戦的な質問を思い出させ、神の主権的統治の偉大さを賛美します。「誰がわたくしにささげたのか、わたくしのもの だ」(ヨブ41:11)。神が私たちに借りがあり。その代価として救いの恵みを下さったのではありません。神は万物の根源であられ、創造者であられ、実行 者であられ、最終的な目的であれます(36節)。この真理を悟った者なら、誰でも感激し、大胆に神に栄光の賛美を歌うしかありません。「この神、栄光がと こしえにありますように。アーメン。」パウロは救われた聖徒の最後の結論として、神への栄光の賛美をささげ。教理に対する陳述(1〜11章)を締めくくっ ています。
万物を創造し、治められる神の子どもになった喜びに満ちていますか。その神に栄光と尊厳と賛美をささげましょう。

今日の祈り
時に結果ばかりに捉える挫折してしまいます。人生においてどんなことが起こっても、神様の計画とみこころができるようにしてください。

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2007/10/26 金曜日

カルバリの愛を知っていますか (16)

Filed under: カリバリの愛を知っていますか — admin @ 22:25:56

もし愛情を失うことを恐れ、
人から「あなたは理解してくれない」と
言われることを恐れ、
心やさしい人という評判を失うことを恐れて、
真実を語ることをしないならば、
そしてほかの人のために
最も役立つことが何かを考えるよりも、
自分自身の評判のほうを
もし大事にするならば、
その時わたくしはカルバリの愛をまったく知らない。

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2007/10/25 木曜日

神様の祈りにかなった助け

Filed under: 平安を得るためのヒント — admin @ 20:38:38

恐れてはいけない。しっかり立って、きょう、あなたがたのために行なわれる主の救いを見なさい。(出エジプト記14:13)

これは、神様が紅海を奇跡的に分けられる直前に、モーセがイスラエルの民に言ったことばです。彼らは非常に困難な状況におかれていました。こちら側には強力なエジプトの軍隊が押し寄せていましたし、向こう側には激しい荒れ狂っている紅海がありました。動きがとれない状態にいますから、民の心は恐怖に満たされていました。死への罠に見えるような状況に導いたモーセに対して怒りにもえるたのも無理もないことでしょう。そこに神様は突然、それも普通では考えられないような不思議な方法で、御手を差し伸べられました。

時に恐怖感は静めることができなくなるほど大きくなります。私たちは、思いがけない恐れに備えて、普段から神様に期待することを学ぶ必要があります。しばしば神様の救助作業は、私たちが祈り求めるより先にもうすでに始まっていることがあります。そして、私たちは困難な状況を奇跡的に乗り越えた後に、どうして神様を疑ったりしたのかと思ってしまいます。神様のとられる方法を私たちが予知することは不可能です。いったいどのように助けてくださるのか、全く見当もつきません。いつも神様には驚かされます。神様はいつだって必ず助けに来るくださいます。神様からのたすけを確信をもって期待しましょう。

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2007/10/23 火曜日

カルバリの愛を知っていますか (15)

Filed under: カリバリの愛を知っていますか — admin @ 21:35:50

もし魂を充分に整えることをしないで、
ただ不用意に事実をそのまま語ることによって
人を傷つけてしまうならば、
そしてそんな時に、
その人が傷つく以上に
自分が傷つくということが
もしないならば
その時わたくしはカルバリの愛をまったく知らない。

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2007/10/22 月曜日

自己憐憫

Filed under: 平安を得るためのヒント — admin @ 12:35:47

139:1 主よ。あなたは私を探り、私を知っておられます。
139:2 あなたこそは私のすわるのも、立つのも知っておられ、私の思いを遠くから読み取られます。
139:3 あなたは私の歩みと私の伏すのを見守り、私の道をことごとく知っておられます。
139:4 ことばが私の舌にのぼる前に、なんと主よ、あなたはそれをことごとく知っておられます。
139:5 あなたは前からうしろから私を取り囲み、御手を私の上に置かれました。
139:6 そのような知識は私にとってあまりにも不思議、あまりにも高くて、及びもつきません。

あなたは今、自分は愛されていない、取るに足らない人間だ、と思っていないでしょうか。もしそうなら、この詩篇の根底に流れる真理を探しってみましょう。神様は、あなたのことを、そして、あなたの人生におけるほんのささいなことまで限りなく関心を寄せておられます。そして、あなたはそのような測り知れないほどの愛に包まれているのです。私たちは感染に理解できませんが、このことは素晴らしすぎるほど真実です。コンピューターで探り当てようとするなら、その容量をはるかに越えるほどの神秘なのです。それは「なぜ」ということばが神様には存在しないからです。

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2007/10/20 土曜日

最新情報

Filed under: お知らせ — admin @ 5:10:51

2007.10.20 讃美歌特集 140曲
子どもさんびか
レイズ&ワーシップ
リビングプレイズ
日本で愛唱歌として親しまれてきた讃美歌

2007.10.14 賛美の広場の追加 1668曲
少しでも多くの方が讃美歌に触れ親しみ、
また讃美歌の練習にお役に立てていただければ幸いに思います。

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2007/10/19 金曜日

人生は競争よりも忍耐だ

Filed under: 霊想書・黙想 — admin @ 23:59:52

詩篇37:1〜11
37:1 悪を行なう者に対して腹を立てるな。不正を行なう者に対してねたみを起こすな。
37:2 彼らは草のようにたちまちしおれ、青草のように枯れるのだ。
37:3 主に信頼して善を行なえ。地に住み、誠実を養え。
37:4 主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。
37:5 あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。
37:6 主は、あなたの義を光のように、あなたのさばきを真昼のように輝かされる。
37:7 主の前に静まり、耐え忍んで主を待て。おのれの道の栄える者に対して、悪意を遂げようとする人に対して、腹を立てるな。
37:8 怒ることをやめ、憤りを捨てよ。腹を立てるな。それはただ悪への道だ。
37:9 悪を行なう者は断ち切られる。しかし主を待ち望む者、彼らは地を受け継ごう。
37:10 ただしばらくの間だけで、悪者はいなくなる。あなたが彼の居所を調べても、彼はそこにはいないだろう。
37:11 しかし、貧しい人は地を受け継ごう。また、豊かな繁栄をおのれの喜びとしよう。

悪者に腹を立てるな(詩篇37:1〜7)
1〜2節によく表れているこの詩全体のテーマは、悪者によって怒ったり、ねたむなということです。
3〜4節は、悪を行う者が周囲にいる時、むしろ神を全的に信頼することを勧めます。
5〜6節も”主に信頼せよ”というメッセージを繰り返します。
7節には1節と同じように”耐え忍んで待て”というメッセージが繰り返されます。”忍耐”の徳目は聖霊の9つの実にも入るほど、実に尊い品性です (ガラ5:22〜23、?テモ1:5〜7)。大部分の人々が失敗する理由は、”瞬間的に”忍耐できないからです。悪を行う者が、私たちの周りを行き来する とき、その悪者の栄える姿を見るとき、彼をうらやんだり、ねたむ必要はありません。ただ忍耐をもって、信頼によって主を見上げてください。 忍耐は苦いが、その実は甘いということを知っていますか。きょう、あなたが神の前で静かに待ち、沈黙すべき問題は何ですか。

耐えて待ちなさい(詩篇37:8〜11)
9節 悪者に対して忍耐できずに憤るなら、結局は罪を犯すことなります。悪者に対して私ちたが自ら解決する必要がない理由は、悪者は神のさばきによって断ち切られるからです。
10節神にゆだねて待ってください。時が来れば、彼らを見つけ出すことはできなくなります。
11節しかし、神を期待する柔和な者は地を受け継ぎます。忍耐という人格は簡単に鍛錬されるものではありません。種を植えた農夫は実を期待し、雑 草を抜き、害虫を除去し、秋を来るのを待ちます。秋を来れば、彼は必ず実を収穫します。このような原理は霊的なことにも同じように適用されます。待つこと は祈りの生活にも必要です。神の応答が来る時まで、祈って待つことは、まことのクリスチャンの姿です。
祈りの答えが待つずに不安になることがありませんか。祈りの課題の中で、焦らずに神のまつべきものは何ですか。

今日の祈り
待つ時であることを知っていながら、神様が優しさを喜ばれることを知っていながら、弱い私を見ます。自分との戦いに勝利できるようしてください。

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2007/10/18 木曜日

カルバリの愛を知っていますか (14)

Filed under: カリバリの愛を知っていますか — admin @ 12:30:26

わたしを失望させてばかりいる人のことを、
ほかの人に話さないでいることが
もしできないならば
(その人のため、あるいはほかのひとのために
語ることが必要な場合は別として)、
その時わたくしはカルバリの愛をまったく知らない。

2007/10/17 水曜日

柔和は平和な謙遜な本心から来るのです。

Filed under: 霊想書・黙想 — admin @ 12:24:05

イエスは人々に教えて言われた。「こう書いてあるではないか。『わたしの家は、すべての国の人の祈りの家と呼ばれるべきである。』ところが、あなたたちはそれを強盗巣にしてしまった。」 (マルコ福音書11:17)

多くの人は、イエスがどうして説得力があり力を持っていて、なお柔和であられたのか、理解に苦しんでいます。私はある日、事務所に行くためにエレベーター乗ろうとして、一人の女性が話しているのを小耳に挟みました。友達がいくじなしで、自尊心のかけらもない、と言うのです。私は目的の階で下りたとき、「柔和な人々は幸いである、その人たちは地を受け継ぐ(マタイ5:5)」という山上の説教の聖句を思い出しました。

今日の社会で、私たちは柔和と、勇気と自尊心のなさとを混同していることがあります。けれども、柔和は聖書の中では強烈な深い意味を持っています。柔和とは私たちの力を神の支配のもとに置くことです。神へ献身と謙遜によって成長し、心の平和に至るものです。イエスは私たちにこの柔和を求めておられるのです。その一方で、私たちは大胆になるべきときもあります。特に私たちの信仰を言い表すときはそうです。

イエスは、神殿の境内から商人を追い出したとき、恐れや弱気などどのかけらも見せられませんでした。イエスは恐らく勇気や自尊心も持っておられたのです。イエスは神の前には柔和で謙遜な方でしたが、神の真理を語るときは大胆だったのです。

祈祷:神様私たちが柔和であっても弱くならないよう、そして大胆であっても尊大にならないようお導き下さい。アーメン。

2007/10/16 火曜日

カルバリの愛を知っていますか (13)

Filed under: カリバリの愛を知っていますか — admin @ 12:22:33

もし人の弱さに
充分な理解を示すことができないならば、
そして十字架の道から離れ去ろうとする人に
「かわいそうな人」などと言うだけならば、
またそのような人に対して
温かく包みこむ愛、
仲間としての勇気ある励ましのことばを
与えることができないならば、
その時わたくしはカルバリの愛をまったく知らない。

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