2007/9/30 日曜日

カルバリの愛を知っていますか (1)

Filed under: カリバリの愛を知っていますか — admin @ 14:05:04

わたしを透きとおる空気にしてください。
どんな色をも通して、
歪めることのない空気にしてください。
あってないわたくしという空気を通して、
神の愛の美しさが輝きますように。

神の愛の力強い栄光、
神の御心の深い憐れみ、
絶えることのない愛の光が、
この世に射しこみ、
このあなたの世界に満ち溢れますように。

第?部

ふとして、愛の力に満たされた何かが、わたくしたちの人生に入りこんでくることがある。そしてひととき、永遠の世界を垣間見せてくれる。いや少なくとも”永遠なるもの”の一面を示してくれる・・・・・・そういう時がある。そしてこれらのうち最もすぐれているものは、愛である。

それはわたしたちの上に、あるいはわたくしたちのかかわる事柄の中に、やわらかく、そっと触れてくる何かであるかもしれない。木々の葉を夜明けの風がそよがせるような軽やかさで触れてくる何か、人にはとらえることのできない、またことばで人に語ることのできない何か・・・・・・。

けれどもわたくしたちは知っている、それはわたくしたちの主だと。そしてその時おそらくは、わたくしたちのいる部屋家具と書物と花が存在しているよりもさらに身ちかいな存在感をもって、主が臨在してくださる。そして心はあの古い賛美歌が歌うような甘美な世界の中に引き入れられる。

イエスの愛のとうとうさは、
愛されし者のはか知ることを得じ。

あるいはまた、わたしたちのまわりの人々の愛が、夏の海のようにわたくしたちを侵し、ゆったり安らわせてくれる時がある。事実仲間の愛のすばらしさに、わたしは感嘆の声をあげて、止むない。そして突然気がつく。その人たちの中に、主がおられると。わたしの上に惜しみなく注がれるのは、主の愛にほかならない。おお、あなたの愛する者の中に示される神の愛よ。わたしたちはあなたを礼拝します。

あるいは時に(ごくまれに、と言うべきかもしれない。ここでは黙然としているほうがわたくしたちにとって有益であろうと思われるから。けれども、主がまことに恵み深くあられるゆえに、時として)晴れ渡る空を見上げるように、神の愛を見ることが許されることもある。だがしkし、結局のところ、なんとわずかしかわたしたちには見ることができないのだろう。

「あなたがたが、すべての聖徒とともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、人知をはるかに超えたキリストの愛を知ることができますように。」

これらのことばをわたくしたちは充分にとらえることができない。そもそもわたくしたちは何を理解しているのか、何を知っていると言えるのか。栄光輝く愛、十字架に示された愛の前で、わたくしたちはあわれてふためき、うなだれて、岩なるキリストの陰にかくれ、廛の中にだだ伏すことしかできないではないか。

そしての時、ひとつの間いがわたしたちの心を刺しつらぬく。カルバリの愛の何を、わたしは知っているか。

※作者はエミーカーマイケルです。彼女はアイルランド人でインドの南部に宣教師として働いた人です。主にこどものために働いた人です(1900年代はじめです)年をとって動かけなくなっても恵みであると本を書いたり、祈る生活をしていったそうです。

2007/9/29 土曜日

新規コーナー

Filed under: お知らせ — admin @ 12:22:36

2007.09.29 キリスト教用語解説

イエス・キリスト
聖霊
三位一体
聖書(せいしょ、Bible)
十字架(じゅうじか、Cross)
教会(きょうかい、Church)
福音(ふくいん、Gospel)
・・・

2007.09.26 365 DEVOTIONS 
Nothing More, Nothing Less
・・・

2007.09.16 キリスト教に関する質問
なんのために?
聖書について(9)
教会について(17)
キリスト教について(13)
その他(27)

2007.09.16 恵みの証しの
恵みの証し、大募集!
聖書と出会い
父の臨在
心尽くす人生
受洗証し

2007/9/28 金曜日

感謝、人生のまことの基礎

Filed under: 霊想書・黙想 — admin @ 12:16:08

詩篇 30
1 主よ。私はあなたをあがめます。あなたが私を引き上げ、私の敵を喜ばせることはされなかったからです。
2 私の神、主よ。私があなたに叫び求めると、あなたは私を、いやされました。
3 主よ。あなたは私のたましいをよみから引き上げ、私が穴に下って行かないように、私を生かしておかれました。
4 聖徒たちよ。主をほめ歌え。その聖なる御名に感謝せよ。
5 夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある。
6 私が栄えたときに、私はこう言った。「私は決してゆるがされない。」
7 主よ。あなたはご恩寵のうちに、私の山を強く立たせてくださいました。あなたが御
11 あなたは私のために、嘆きを踊りに変えてくださいました。
あなたは私の荒布を解き、喜びを私に着せてくださいました。
12 私のたましいがあなたをほめ歌い、黙っていることがないために。私の神、主よ。私はとこしえまでも、あなたに感謝します。

いのちによって答えられる神(30:1〜5)

ダ ビデは自分が高慢だったときの苦しみを振り返り(6〜10節)、そのような自分を救われ、敵を喜ばせられなかった神をあがめます。彼が、自分の栄えを神に 帰していたなら、よみにまで下る苦しみには遭わなかったでしょう。神の中で生きるときに繁栄がありますが、人は腹が満たされ、太り出すと、神から遠ざかる ものです。ですから、神の人は繁栄のために祈りよりも、”謙遜”のために、また高ぶらないように祈らなければなりません。ダビデは、再び神に泣き叫んで立 ち返り、神は謙遜に神を求めるダビデに”いのち”によって答えてくださいました(2〜3節)。謙遜に罪を告白する者に、神はいのちと健康を下さいます。 「まことに、御怒りはつかの間、いのちは恩寵のうちにある」(5節)

主にとこしえまでも感謝します(30:6〜12)

ダ ビデは栄えていたとき、高慢な心で自分の人生は「決してゆるがされない」(6節)と言いました。しかし、人は繁栄によってではなく、「ご恩寵」(7節)に よってゆるがされないのです。順境の中では神の御声をきかないのが「人習慣」(エレ22:21)です。ですから、神の民はいつも”高ぶり”を警戒しなけれ ばなりません。ひいては、霊的な豊かさも高ぶりを生むものです(?コリ2:7)。私たちはいつでも弱さを認め、全能る神の憐みと助けを求めなければなりま せん。神の助けに頼る人だけが、その悲しみが喜びに変わる恵みを経験できるのです。ですから、私たちは「決してゆるがされない」ことを自ら誓うのではな く、神に「とこしえまでも感謝」して生きなければなりません。
http://godarea.net

2007/9/27 木曜日

あなたにくださった神のビジョンは何ですか

Filed under: 霊想書・黙想 — admin @ 12:48:24

神様があなたにくださった火が何ですか。
あなたにくださった神のビジョンは何ですか。

神の働きをする人々は、 特別に聖霊による分別力が必要です。神は一時私たちを用いられますが、用いられないときもあります。働きを任せられるときもありますが、その働きを取り 去っていかれるときもあるのです。このようなとき、必要なのは聖霊による分別力です。それがなければ、神が閉ざしておられるにも関わらず、イエスの名に よって、聖霊の御力によって、進んでいた道を続けて進もうとします。これは、その人が失敗をしたり、罪を犯したからではなく、ただ、神の偉大な計画を悟れ ないために生じる問題です。

時に、私たちの中には、そのような状態になっても悟れない人がいます。神は他のところへ導いておられるのに、 気づいてないのです。自分の夢、自分の幻、自分のビジョン、自分の理想、このようなことに没頭するあまり、神の御心を悟るよりも、「これを必ずやり遂げな ければならない」という思いに囚われているからです。

あなたの働きをやり続けることも悪くはないでしょう。しかしそれが本当に神様の願われる道ですか。ただ、自分の野望や欲、自尊心や体面のために続けているのではありませんか。このようなとき、葛藤しながらも意地を張り続けるなら、信仰生活にも疲れてしまいます。
http://godarea.net/

2007/9/26 水曜日

Nothing More, Nothing Less

Filed under: 365 DEVOTIONS — admin @ 15:50:42

Now, Lord, consider their threats and enable your servants to speak your word with great boldness (Acts 4:29, New International Version).

Sripture: Acts 4:23−31                 

Song: “Have Thine Own Way, Lord”

    For such a brief prayer, it was packed with tremendous meaning. Bobby Richardson, former second baseman, delivered it for the New York Yankees at a Fellowship of Christian Athletes gathering. “Your will Lord-nothing more, nothing less, and nothing else.”

     How often do our prayers stray from God’s will to our wants? Jesus Himself demonstrated in the Garden of Gthsemane that anyone canface this same struggle. Yet even though he knew God’s will involved terrible suffering, Jesus’ prayerful struggle concluded with: “Now my will but your be done.

     The believers in Acts faced constant persecution if they continued proclaiming the gospel. To their credit, they understood God’s will and prayed for enablemaent to keep speaking with boldness. And such a prayer unleashes the power of Gld, Not only was their meeting place shaken; their request was granted as they courageously proclaimed the Word of God.  

有精卵と無精卵の違い

Filed under: 霊想書・黙想 — admin @ 12:25:41

卵であるからといって、すべてが同じなわけではありません。卵にも有精卵と無精卵があります。雌鶏だけで産まれるものが無精卵であり、雌鶏と雄鶏の受精によって産まれたものが有精卵です。卵を温めたり、雄鶏が胸にた抱けばすべてひよこになるのではなく、有精卵が孵化した時によこになります。

無精卵は抱いていればかえって腐ってしまいます。表面的には無精卵が有精卵よりも大きい時がありますが、大きさがひよこの孵化を決定するのではありません。

このように、私たちも表面的にはみな同じように立派な人間です。キリストを信じない人の方がキリストを信じている人よりももっと賢い、教養があり、もっと道徳的であることもあります。しかし、だからといってその人が天の御国へ行けるのではありません。有精卵だけがひよこに変わるように、キリストにあるいのちを持つ人だけが天の御国へ行けるのです。キリストを受け入れる瞬間、神のいのちがその人の中に生まれるのです。

http://godarea.net/

2007/9/25 火曜日

あなたのために用意されていた贈り物

Filed under: 霊想書・黙想, 感想と証しの広場 — admin @ 12:30:13

お父さんの手紙

一人の父親が子どもが生まれてすぐ、遠い国で過ごすことになりました。父親は切実な思いで子どもをちゃんと育ててくれる養父母に預け、毎月子どものために生活費を送りました。あまりにも幼い子どもと離れなければならなかったので、父親は子どものために、愛情をたっばり込めた手紙を書き残しました。その手紙に、どのようにその子が生まれ、どれほどかわいがり、愛していたか、それいも関わらず、離れて暮らさなければならない事情などを細かく書き込みました。そして、今その子のために頑張って働いて、跡で必ず迎えに来るという約束も書いておきました。

やがてこどもは字が読めるぐらい成長し、お父さんの手紙を読みました。しかし、時が過ぎ、一人で孤独と戦うときは、離れているお父さんに文句を言いたくなりました。その度に子どもはお父さんの手紙を読み返し、自分へのお父さんの愛をもう一度確認しながら、希望を持って待っていたのです。いつか素敵な所に連れていくために自分を迎えに来るお父さんを・・・

完全な天国が来る前の過渡期を生きて私たちは、時に神が見えないため落胆したりします。しかし聖書は、神が私たちにくださったお父さんから手紙です。一度も会ったことのないお父さんがどんな方よくわかる一番確実な道なのでs。私たちが聖書を読み、愛するのは、宿題だから、または義務だからではなく、私たちに向けられた神の愛がこもった手紙だからです。
http://godarea.net/

2007/9/24 月曜日

切り倒されない美

Filed under: 霊想書・黙想, 感想と証しの広場 — admin @ 12:50:41

ある時、南西部ワシントンで開かれる夫婦の修養会で説教したことがあります。そこに行く途中、「木の国」と呼ばれる広大な植樹林を通過します。この植樹林の所々に、鮮明な痕跡を残す伐採開発地がありました。地面にくっきりと痕跡を残す伐採は、実に見苦しいものです。しかし、幹線道路を運転しながら、また別の伐採地を通過したとき、ある光景が私の視線を釘けにし、あやうく道からはみ出そそうになりました。驚いたことに、ぼろ布のような荒地に、秋の色に染まった、1本美しく紅葉した木が立っていたのです。伐採人たちが切り忘れたのでしょう。

荒地と鮮やかなコントラストによって、その木はなおさら美しく見えました。美しいものに囲まれている美は、時間がたてば陳腐になりますが、無秩序なものや、みすぼらしいものの中にある美は壮観なものです。そういう美は、私たちの視線を釘付けにします。荒れ果てた殺風景な土地の残骸の中で、この木は私の想像力をとりこにしました。荒れ果
傷ついた土地に立つ、一本の栄光の木は、神の崇高な真理を宣言していました。

心の奥底で私たちは、このような「切り倒されない美しさ」をきりに望んでいるのだと私は信じています。人々が自己中心的な生き方をし、残酷な事件が頻發し、罪の広がりは止まるところを知らず、連日、暴力な犠牲者が絶えない世の中で、私たちは、切り倒されない美しさを示すことができるのです。それは、神の国をまず求める、他の人たちを優先する、へりくだった生き方です。それは、あらゆる時代の教会を輝かせてきた美しさでもあるのです。http://godarea.net/

2007/9/23 日曜日

近道を知っている人

Filed under: 霊想書・黙想 — admin @ 12:30:39

ある人は正しいことを言いますが、人々を怒らせます。それは伝える知恵がないからです。その人の言葉は正しいのですが、それを言い表す 方法が未熟で、知恵が足りず、人を傷つけるのです。しかし、ある人はうまく話し、人を傷つけもしないで激励しながら問題を解決して行きます。

こ のように祈ってください。「主よ、聖霊によって私に霊的な洞察力と正しく確かな知恵を与えてください。そして、私が行くところで、すべての人に神の祝福と 神の御力を示すことができるようにさせてください。」近道を知っている人は時間を無駄に使いません。お金とエネルギーを無駄に使いません、このような人は この世を明るく健康に造ることのできる神の人です。

http://godarea.net/

2007/9/22 土曜日

信仰、人格を守ること

Filed under: 霊想書・黙想, 感想と証しの広場 — admin @ 11:28:48

私は、「アラバマ物語」という映画が好きです。1930年体初期を舞台にしたこの映画の主人公は、アラバマの弁護士アティカス・フィンチという(俳優:グレゴリー・ペック)人物で、彼は当時白人の女性を強姦した疑いで訴えられた、ある黒人弁護をすることになります。フィンチがこの事件を引き受けたことで、周囲の人々は破廉恥な黒人の弁護をするのかと彼を非難し、あざ笑いました。訴えられた黒人は潔白で、フィンチは彼の無罪を立証あいますが、陪審員団は有罪判決を下しました。

裁判の時、フィンチ弁護士の二人の子供たちも法廷にいました。下の階には席がなく、バルコニーで町の黒人牧師の隣に座ることになりました。判事が席を立つと、法廷にいっぱいだった人々も一人二人と出て行きました。フィンチ弁護士の娘、スカウトは父親の顔をじっと見つめていました。彼は誰もいない法廷に一人残って書類を鞄に入れ、上着を着て中央通路を通り扉へと歩いていきました。裁判で負けても、彼の精神はそれに屈しませんでした。その時、誰かがスカウトの肩に手を触れました。振り向いて見ると、先程までバルコニーで裁判を見ていた人たちが皆立っていました。そして、黒人牧師は彼女の肩をもう一度叩いてから、「立って敬意を表してください。お父様が通られます」と言ったのです。

バルコニーにいた人たちは、フィンチ弁護士の人格に大きく感動しました。私たちは生きていく中で人に非難されたり、あざ笑われたり、また騙されたりすることがあります。けれどもしっかりと信仰的な人格と信念を守り抜けば、いつかは人々が私たちに敬意をわ表すでしょう。
http://godarea.net/

2007/9/20 木曜日

教会を探している人のために

Filed under: 霊想書・黙想 — admin @ 11:57:11

神がハガルの目を開かれたので、彼女は水のある井戸を見つけた。
創世記21:19

私はまた泣き出しました。私は夫の仕事のため、仕事や子供、孫、親しい友人や教会の人々から4,000キロ以上離れた場所にやって来たのです。夫は新しい役目が与えられて喜んでいかしたが、私は寂しく、何もする気になれず、つらかったのです。

窓の外を見ると、教会の高い塔が見えましt。電話帳を開き、幾つか電話おかけた後、女性のための聖書研究会や夫婦で参加できるプログラムのある教会がみつかりました。教会へ初めて行った時、神が私たちをそこに置いて下さったことを知りました。私は神の愛の滋養に富んだ泉に深く根を下ろし、成長し始めました。

神は生ける水を私たちに備えておられあす。失望の時、与えられいる泉が見えるように眼を開いてください、と私は神に願います。私の問題の解決となる人や答えが見つかったり、心の変化が起きたりしまうが、いつも泉はみつかります。窓の外を眺めて、教会の塔を見るたびに、私はこの真理を思い出しています。

2007/9/19 水曜日

知恵を用いて

Filed under: 霊想書・黙想 — admin @ 12:47:47

わが子よ、確かな知恵と、慎みとを守って、
それをあなたの目から離してはならない。
それはあなたの魂の命となり あなたの首の飾りとなる。
こうして、あなたは安らかに自分の道を行き、
あなたの足はつまずくことがない。
あなたは座しているとき、恐れることはなく、
伏すとき、あなたの眠りはここちよい。
あなたはにわかに起る恐慌を恐れることなく、
悪しき者の滅びが来ても、それを恐れることはない。
これは、主があなたの信頼する者であり、
あなたの足を守って、 わなに捕われさせられないからである。
(箴言3:21〜24)

知恵について、何か大切なこととわかっていても、多くの人はそれを絶対に必要なこととは思っていないのではないでしょうか。それは、知恵についてそれが何かを知らないからです。知恵は尊い宝石であり、神様から与えられます。しかし、神様を礼拝するという敬虔な思いがなければ、与えられません。また、それは実際に用いるなら、不安な心に平安訪れ、夜も安らかに寝眠れるようになります。このように、知恵を実際に用いることによって、平安の道を一歩一歩進んでいけます。この貴重な宝を見つけ出し、どんどん用いてみましょう。

次のページ »

Copyright(C)2004.1.1 Wang.Mc Pure Service All Rights Reserved.