2007/8/31 金曜日

見えないで信ずるものは、幸いである。

Filed under: 荒野の泉 — admin @ 12:25:57

「見えないで信ずるものは、幸いである。」ヨハネ20:29

 見えないもののわなはいかに強いことよ。そして神が私たちを見えないものの中に保って下さることがどんなに大切であろう。もし、ペテロが水の上を歩むべきであったならばどこまで歩まねばならぬ。泳ぐべきであったならばぢこまでも泳がねばならぬ。だか両方を一緒にすることはできない。もし鳥が空を飛びかけるべきであれば、恒や樹木から離れてその浮揚する翼に信頼の範囲で飛ぼうとすればそれはまことに貧弱な飛び方である。
 
 神はアブラハムをその自力の極点まで連れてゆく必要があった。彼は自分の肉体の力では何ごともできないことを知るべきであった。彼は自分の肉体は死んだものと同じであることを深く思うべきであった。そうしてこそ彼は神を全面的に信ずることが出来たのである。彼が自分から目を離して神のみに確信させられた。神は私たちを激励するところの結果から目を離させ、ただご自身に信頼することを学ばせたもうのである。私たちの信仰のごとくに、その御言葉を現実にすることを喜びなさる。
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2007/8/30 木曜日

誠実を選びなさい

Filed under: オウサン工房, 霊想書・黙想 — admin @ 12:42:42

 誰も見ていない時あなたは何をしますか?仕事の出張先でどんなテレビ番組を見ますか?一人で旅行するとき、乗り継ぎの飛行機を待つ間、あなたはどんな雑誌を読みますか?こういった質問に対する答えが、その人の心がどれだけ誠実かを表わします。なぜなら、神様が見ておられるとき、あなたがどういう人あるかによって、あなたがどんなに誠実であるかが決まるからです。

 誠実でない人は、誰も見ていなければ自分の罪を隠せると思い、自分を騙します。しかし、本当に気を使うべき方は、いつも私たとぉ見ておられ、その真理は変わりません。その方は眠らず、私たちの罪が見えなくなるほど遠くへも行かれません。私たちの人生の中で行われるすべての事を、神は見逃さず見ておられます。

 誠実であることより大切なことはありません。永遠の安全と救いへの確信は自分の心の中を点検することからくるのです。私たちの心が誠実でないことに気づいたとき、私たちは御前に出て行き、悔い改めなければなりません。ほんの小さいな罪だからと無視してはいけません。小さな罪は首にできた引っ掻き傷のようにどんな大きくなり、やがては私たちのいのちを脅すすものとなるからです。どんなに些細な罪であっても、私たちはすべての罪を神の前に持って行き、解決しなければならないです。

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2007/8/29 水曜日

とりかえた十字架

Filed under: 荒野の泉, オウサン工房 — admin @ 20:34:54

イエスはみずから十字架を背負って、されこうべという場所に出て行かれた。   ヨハネ福音書19:17

 「とりかえた十字架」という詩がある。これは彼女の十字架が、その周囲の人たちのそれより確かに重いと考えていた、一人の疲れた婦人を表わしたもので、彼女は自分の十字架の代わりに他の十字架を選びたいと考えてた。彼女は眠った。その夢の中で沢山の十字架がおかれてある場所に導かれた。その十字架はさまざまな形と、大きさとをもっていた。そこに見るからに麗しい、小さな十字架があった。それに宝石と黄金とがはまっていた。「ああ、これならば喜んで負える」と彼女言った。彼女の弱い身体はその下によろめいた。宝石と黄金とは麗しかった。しかし、それは彼女にはあまりにも重かった。

 つぎに彼女は周囲に彫刻があってそれに麗しい花をちりばめた愛らしい十字架を見た。確かにこれは自分のだと思った。彼女はこれを取り上げたが、花の下にはとげがあって、それが彼女の身体を傷つけた。

 とうとう彼女は一本のそまつな十字架の所に来た。宝石もなく、彫刻もなく、ただその上にわずばかり愛の言葉が記してあった。彼女はこれを取り上げたが、それはどれよりも軽いもので、負うのに一番たやすかった。彼女は天からくる輝きの下にこれを下にこれを眺めたが、それは彼女自身の古い十字架であった。彼女は再びこれを発見したのである。そしてそれは最善のものであり、また一番軽いものであった。

 とうとう彼女は一本のそまつな十字架の所に来た。宝石もなく、彫刻もなく、ただその上にわずばかり愛の言葉が記してあった。彼女はこれを取り上げたが、それはどれよりも軽いもので、負うのに一番たやすかった。彼女は天からくる輝きの下にこれを下にこれを眺めたが、それは彼女自身の古い十字架であった。彼女は再びこれを発見したのである。そしてそれは最善のものであり、また一番軽いものであった。

神は私たちが負うべき最善の十字架を知りたもう。私たちは他人の十字架がどの程度重いかをよくは知らない。私たちは富める人を羨んだ。彼の十字架は、宝石をちりばめた金の十字架である。だが私たちはそれがどの位重いかわからない。ここにまた、その人の生活がきわめて愛らしく見えるものがある。彼女は花をちりばめた十字架を負っている。もし私たちがその人の十字架を負って見るならば、その中どれ一つとして自分の十字架のように自分にふきわしくはないことを発見する。
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2007/8/28 火曜日

落ちてしまいそうな時に

Filed under: 霊想書・黙想, 励ましの言葉 — admin @ 12:40:24

わしがどのようにして翼を用いるようになるかをご存じでしょうか。ごらんなさい、はるかかなたに海面から100mもあろうかと思われる断崖がそびえています。高いところに岩棚があり、そこにわしの巣があって、親わしの宝物である2羽のひながおります。ごらんなさい、母わしが来ます。巣をゆすぶります。そのくちばしでひなたちを絶壁の所に押しやります。ああ、ひなたちは両翼をばたばたさせながら、まっ逆さまに落ちて行きます。ごらんなさい、母わしは「その子の上に舞かけり、その羽を広げて彼らを乗せ、そのつばさの上にこれを負う」のです(申命記32:11)。ひなたちが母わしの翼の上に乗りますと、母わしは彼らを安全な場所へと運びます。そして、また同じことを繰り返します。何度も絶壁から放り出し、翼に乗せて助けるのです。そのように「主はただひとりで彼を導かれ」ました。母わしのひなを訓練するこの本能は、神から与えられたものです。全能なる方が、その民がわしの翼をもって飛翔するようになるために訓練されるありさまが、わずかならがうかがわれます。神はあなたの巣を揺り動かされます。あなたの希望を失望に変えられます。あなたの確信を引き下ろされます。あなたを恐れさせ、震えさせられます。あなたの力は全身から抜けてゆきます。あなたは全く疲れ果て、望みを失います。そしてその間中、神の力ある翼はあなたの上に張り広げられて、あなたに安息を与えようと構えているのです。その永遠の創造者の御力は、あなたの内に働くために提供されています。彼が求めておられることはただ一つ、あなたがさらに低く下り、疲れ、弱って、神を待ち望むことです。そして、あなたがその全能の御翼に乗り、神がエホバとしての御力をもって、あなたを運んで下さるのにお任せすることです。

愛する神の子よ、どうか目を上げてあなたの神を見まつるように!「弱ることもなく、また疲れることもない」と言われる神のみことばを聞きなさい。神はあなたにもまた、弱ることも疲れることもないと約束しておられます。神の求められることはただ一つ、神を待ち望むことです。このような神、このように力あり、このように忠実で、このように心の優しい神がおられるのですから、次のような言葉をあなたの答えとしなさい。

わが魂よ、なんじただ神を待ち望め!

■出典:「神を待ち望め」アンドリュー・マーレー/小出忍訳、いのちのことば社、pp101−102

2007/8/27 月曜日

真の人生観を持っていますか

Filed under: 平安を得るためのヒント — admin @ 12:30:58

マタイの福音書6章25〜34節

 だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。

人生の雑多なことに、すっかり心を奪われてしまうことがあります。この世の世界観や生き方に全く捕えられてしまっているため、真の人生観を見失うことがあります。迷路のような道を、私たちは鼠のようにせかせかと走り回っています。

 人生の真のよさは、片田舎の人里離れたところで見つかったりするものです。そのよさとは、何のことでしょう。それはシンプルさです。

 これこそ、混乱している生活の足かせをはず秘密の鍵です。また、混乱と言えば、人生のほとんどは混乱に満ちています。時には、ほとんど大混乱に近い状態に陷ることもあります。
 
 この箇所にある主のことばの飾りけのない、それでいて美しい言い回しに注目してください。主は弟子たちに彼らの信仰に問題があることを指摘されました。その問題とは、人生に起こることのすべてを見局極めようとしたことです。かれらはには新しい視点が必要でした。それは、シンプルで、幼子のような信仰です。http://godarea.net/

2007/8/26 日曜日

悟る

Filed under: 荒野の泉 — admin @ 9:00:03

淵は言う,「私の中にはそれはない。 」

ある夏のことであった。わたしは「海にゆく必要がある」といって海に行った。だか海は「わたしの中にはない」というようにきこえた。海がしてくれるだろうとわたしが思ったことを海はしてくれなかったのだ。そこでわたしは「山がわたしを休ませるだろう」と言って山に行った。

 わたしが目覚めた時、見ようと願った山がその偉容を現わした。しかし、その山は「わたしの中にはない」と言った。山は私を満足させなかった。ああ、私は神の愛の大海とその中に神の真理を蔵する高い山が必要だったのである。もろもろの淵はその中に知恵を持たないと言ったのである。この知恵は黄金、宝石、または貴い石と比較することのできないものである。キリストこそ知恵、また私たちの要するものである。私たちの中なる不安は、彼との友情、また私たちに対する愛の啓示によってのみ除去される。

 あなたがたには、どのようにしても森の中にわしを引き止めることはできない。うるわしい鳥の合唱や、素晴らしい松の止まり木を用意し、あるいは仲間をよび集めるの使者を頼むことができても、それらをを見向きもせずに、偉大な翼を張りひろげて、アルプスの高い峰を目指し、彼らの先祖たちが飛び翔った山々と岩のはざま、暴風と瀑布のあらあらしい音楽の中を飛びかけるであろう。

 人の魂も、その持っているわしの翼をもって永遠の岩以外のものにむかっては飛び翔らない。その先祖の大広間は天の大広間である。岩のはざ間は神の諸徳である。その雄大な飛翔は永遠のそれである。「主、よ、なんじは世々われらの住家なり」

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2007/8/24 金曜日

暗い場所に咲く花

Filed under: 荒野の泉 — admin @ 13:40:35

わたしは、すべての物を受けてあり余るほどである。ピリ4:18

 わたしの園芸書の中に、はなはだ興味深い題のついた一章がある。それは「暗い場所に咲く花」というので、少しも日光のはいらない場所を取り扱ったものである。この案内書は、うす暗い隅を恐れない花のことを物語っている。しかも、しれはおしれないばかりか、むしろ好んでそこに繁茂する。同様のことが霊界にもある。彼らは物質的な環境が厳しくなってくる時に成長する。彼らは暗い所に成育する。わたくしたちは使徒パウロの経験のいくつかを他の方法によっては説明できない。

 彼らはローマで捕われの身となった。彼の生涯の大目的は破壊されたように見える。それなのに、その花は、この打ち倒そうとする暗さの中に輝いて人目をひく姿をあらわし始める。彼らはかつて順境の時にこれらの花が咲いていたのを見たかもしれないが、それらの花は今や、比較のできない力と美とをもって現れた。約束の言葉は以前に見たことのない宝を出したのである。

 この宝の中に、キリストの恩寵、キリストの愛、キリストの歓喜と平安、といった驚くべきものがあった。そしてそれには「豊かにする暗さ」が必要であった。それがこの宝とその内的な栄光をひき出した。
 
 とにかく暗い世界が啓示の家になり、パウロは霊的嗣業の連峻と富を以前よりもあざやかに見ることができた。あなたがたは、暗黒と孤独にかこまれた人々が、力と希望を上衣のようにまとった姿を見たことがあるか。このような人々をどこにでもあなたがたの好きな場所に閉じ込めることができたとしても、それは彼らのもつ宝と一緒に閉じ込めるの同じである。あなたがたは彼らのもっているものを荒廃させようとするだろうが、「荒野とうるおいなき地とは楽しみ、砂漠は喜びて花咲く」のである。

 「最も麗しい花であっても、日の光に揺れる時にはその下に蔭を持つ」

  多くの光ある所には、また多くの蔭がある。http://godarea.net/

2007/8/23 木曜日

希望をなくさないで

Filed under: 平安を得るためのヒント — admin @ 23:44:41

わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。?主の御告げ。?それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。エレミヤ書29:11

神様は私たちひとりひとりに計画を持っておられます。これは、本当に素晴らしい真理です。私たちは物事の全体をそれも一度に見渡すことができませんし、神様がすべてを知っておられることさえも忘れてしまいます。ですから、私たちは物事が順調に運ばないと、悪いほうに考えてしまいます。そして、たいていその考えは、神様が望んでおられることから遠くかけ離れています。神様は、私たちのために持っておられる計画を必ず成し遂げてくださいます。そして、神様に信頼することです。目に見えない将来のことを心配しないで、心安らかでいることなのです。http://godarea.net/

2007/8/17 金曜日

罪の自覚

Filed under: 平安を得るためのヒント — admin @ 11:54:52

罪びとたちはシオンでわななき、神を敬わないものは恐怖に取り付かれる。 (イザヤ書33:14)

健全な恐れというのがあります。それは、恐れというよりも、神様への畏敬といったほうがよいかもしれません。クリスチャンが肉的な生き方に流されてしまうときはいつでも、その結果として、両親のとがめに苦しみますが、それは、神様から来る私たちの魂への警告です。この罪の自覚に働きかける神様の警告をなおざりにしておくと、必ずと言っていいほど苦しみが増し、ついにはまったく平安のに世界へ迷い込んでしまいます。

しかし、神様の霊の促しに従うならば、苦しみから解放され、真の自由が訪れます。罪を犯した瞬間から背負ってきた重荷は、消え去ります。神様の許しの愛によって不安に支配された罪の鎖から取り外されたときに、初めて本当の喜びが生まれます。http://godarea.net/

弱い

Filed under: 霊想書・黙想 — admin @ 11:53:03

神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。詩篇139:23‐24

人は誰でも、人に知られたくない部分を心の中にもっています。人に知られたくないのは、そんな部分を持っている自分を他の人は受け入れてくれないと思うからです。そういう意味で、それは自分自身にとっても受け止めることが難しいものです。自分の最も弱い部分です。ダビデは、「心の奥底を調べて下さい。私の思い煩いを知ってください」と祈りました。自分の最も弱い部分、人に知られたくない部分を受け入れてくださる神様がいることを知っていたからです。知ることは、赦すことです。私たちの全てを知り、そして赦し、受け入れてくださる神様がおられます。そして赦すだけでなく、堅く閉ざした私たちの心に光を照らし、私たちを輝かせ、永遠の道に導いてくださるのです。
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2007/8/16 木曜日

たて琴

Filed under: 荒野の泉 — admin @ 13:06:56

人はみんな、ぴんとはられたたて琴です。
それぞれの弦は、きしきしと音を立てます。
力強い音楽家である神が
それぞれの固有の音色を見出すまでは。

すべてが調律されるのは、なみ大抵ではない。
神はなんと熟練し
忍耐深くなければならないことか。
多数のきしきしと音を立てる音色を、
最も美しい天の調和に移し変えるのには。

われらの天の父の懲らしめの苦痛を
数えてはなりません。
むしろ思いやりのある天の父の手に、
あなたのすべてを明け渡すのです。
緊張、試練、労苦、変転などを
天の歌声の中でわれらは理解するでしょう。

人間の力はすべてを修得することはできません。
たて琴の音域の広さは
非常にすばらしいものです。
突き刺されたキリストのみ手と神のみ手だけが
たて琴の賛美をすばらしいものとします。http://godarea.net/

2007/8/15 水曜日

現実逃避していませんか

Filed under: 平安を得るためのヒント — admin @ 11:47:41

恐れとおののきが私に臨み、戦慄が私を包みました。そこで私は言いました。「私にはとのように翼があったなら。そうしたら、飛び去って、休むものを。」 (詩篇55:5,6)

  学校を無断欠席したくなったり、仕事に行くのがいやになったりしたことがないでしょうか。全てのことから逃げて、どこかほかの場所でまったく新しい人生をはじめてみたいような、そんな気持ちになったことがないでしょうか。私たちはしばしば重圧から逃れたいという思いに駆られますが、縄抜けの名人、フ−ディニのように鮮やかに逃れる人はまれです。隣の芝生は青く見えるでしょうが、その場所でもまた、新たな落とし穴があるものなのです。人生の試練に立ち向かい、その中で成長していくことのほうが、よほどいいのです。私たちのために、神様学ぶべき教訓を用意しておられ、そしてそれは、避けられるものではありません。神様からのチャレンジを受け入れることによって、私たちは、賢く生きるための道具を身に備えたものに変えられていきます。
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