2008/4/12 土曜日

聖なる日

Filed under: 信仰生活, 感想と証しの広場 — admin @ 21:03:39

主の家に行こう、と人々が言ったとき、わたくしはうれしかった。(詩篇122:1)

ある日曜日の朝、夫が教会へ行こうと誘ってくれたとき、私にはその気がありませんでした。多くの仕事を抱えていたのです。レポートを提出する期限が過ぎていたのです。日曜日は、私が家で静かにレポートが書ける唯一の日だったのです。しかし、行かないと決めた途端に私の心がちくちく痛みました。私は神の家へ行き、他の信者たちと共に礼拝すべきだと気づきました。

悩んだあげく、私は教会行き、レポートは晩までお預けにすることに決めました。牧師の説教のには勇気づけられました。まるで私のために用意されたようでした。説教の題は「優先順位を正しく保つ」でした。まさに私が悩まされていたことそのものでした。朝、主は私を祝福して下さり、その晩には、所定の時間までにレポートを書き上げることが出来ました。

日曜日は、私たちの多くの者にとって、神と共にいる時を持つ聖なる日というよりも、体を休める日になってきています。しかし、私たちがこの日を神の栄光のために守るならば、私たちは祝福を受けるのです。

祈祷:主よ、週の初めの日を祝福し、清めて下さることを感謝します。私たちがこの日を清くし、あなたを讃美し、祈るために用いるようお助け下さい。アーメン。

今日の黙想:雇用者は私たちに休日をくれますが、神は聖日を下さいます。

ポラミラ・バルカターキ

2007/9/18 火曜日

傲慢という遺伝病

Filed under: 信仰生活, 霊想書・黙想 — admin @ 12:30:11

1982年の夏、私はスイスのラブリで一ヶ月ほど過ごしたことがあります。当時フランシス・ジェーファー博士は癌治療を受けながら闇病生活をしていました。それから随分時を経ちましたが、今でも私はあるアメリカの青年の質問と博士の答えを忘れることができません。青年はこう尋ねました。「イエス様は私たちが他の人のために奉仕し、自らを犠牲にすることを望んでおられます。ならば、私たちが目標を立て、全力を尽くし、自分のやりたいことをするのは利自的な罪となるでしょうか?」ジェーファー博士はこう答えました。「人を堕落する前はそんな葛藤は存在しなかったでしょう。しかし人を堕落してからその心が腐敗し、自己成就と奉仕が葛藤する関係になったのです。・・・私は他の人に仕えるために本を書きは始めたのですが、本を出版されいろんな人たちに読まれるようになり、満足感を覚えるのも事実です。」

人間が堕落する前は「傲慢」が人類を病ませることはありませんでした。劣等感や自己卑下で自分を成就虐げることもありませんでした。良い意味で自分自身に対して自信とプライドを持つことは、明るく豊かな実を結ぶ人生を生きるための必要な条件だと言えるでしょう。ですが「傲慢」という人類の遺伝病は、私たちを霊的も盲人にします。私たちがイエスを信じ、生まれ変わったと言っても、この自己中心の柵から出るのは難しいので。だから私たちには自分の傲慢さを認め、神の前で正直に告白し、神の助けを求める誠実な態度が必要なのです。

2007/9/1 土曜日

祈り、最も強い武器

Filed under: 信仰生活, 霊想書・黙想 — admin @ 12:23:24

 私は一時、祈り始めたかと思うと、居眠りしてしまうことがありました、どんなによく眠った日でも祈り始めると、必ず居眠りしてしまうのです。

私はこれを克服するために、あらゆる方法を試してみましたが、無駄でした。もっと問題なのは、睡眠時間が少ない日に勉強していても全く平気なのに、祈り出すと、10分もたたないうちに居眠りしてしまうのです。

私は1年間この問題お取っ組合ました。すると、主がこの問題の原因を示して下さいました。サタンは私が祈ることより、むしろ、説教したり勉強したりすることを望んでいるのです。彼が最も嫌うことは祈ることでした。ですから、サタンは私の祈りを妨害するために「居眠り」というずる賢い攻撃の手段を使ったのです。
このようにさたんが最も恐れるのは、私たちが祈りという霊的戦いをすることです。

サタンにとって祈りほど恐ろしいものはありません。まことの霊的戦いは、私たちがひざまずく時に始まることを、さたんはよく知っています。祈りはさたんが最も恐れる武器であるため、私たちの祈りの生活を妨害するのです。

私たちがまともにサタンの攻撃に直面するのも、ひざまずく時であり、最も素晴らしい結果を生み出す時も、やはり、ひざまずくときなのです。

祈りの答えの奥義/ チャールズ・スタンレー

2007/7/27 金曜日

人生の選択

Filed under: オウサン工房, 信仰生活 — admin @ 12:30:21

あなたたちはだから、主を畏れ、真心を込め真実をもって彼に仕え…もし主に仕えたくないというならば、川の向こう側にいたあなたたちの先祖が仕えていた神々でも、あるいは今、あなたたちが住んでいる土地のアモリ人の神々でも、仕えたいと思うものを、今日、自分で選びなさい。ただし、わたしとわたしの家は主に仕えます。ヨシュア記24:14-15

  基本的に、私たちは神によって選ばられるが、神を選ぶことができない。しかし、神が私たちをお選びにならないかつ私たちが神を選ぼうとしない限り、私たちは神の中に属することができない、また神のご意志は私たちの中に成就することもできない。

  放浪息子が父の家から離れ、父と一緒にいることを選ばなかったから、父は彼を呼び止めることができなかった。

  人生はいろんなときに選択をしなければなりません。仕事、結婚、品行…..全て選択です。その中で、神のために奉仕しようという選択は一番偉大です!なぜなら神が私たちの中にいると私たちは重心、方向、目的、支え、勇気、力を有することができるようになるからである。そして、私たちは、勇敢に足を踏み出せる、空振りのない、ストレスの感じない、失敗することもなくなります。

  ヨシュアの選択は神に仕えることだった。神は彼に「強くあれ、雄雄しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行くどことでも、あなたとともにあるからである。」と命じた。そして、ヨシュアは晩年のときに「主が、あなた方について約束した全ての良いことがひとつもたがわなかったことを。それは、ひとつもたがわず、みな、あなた方に実現した。」と証をしたのである。賛美感謝。

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2007/7/3 火曜日

主は、私たちのためにお選びになる。

Filed under: オウサン工房, 信仰生活 — admin @ 12:30:00

主は、私たちのためにお選びになる。私たちの受け継ぐ地を。主の愛するヤコブの誉れを(詩篇47編4節)

  世の人は自分の利益が最大にできるような事業を選ぶ。このような事業は大体利害関係がある。アブラハムのおいロトこのような一例:
裏の災いも気づかず利益だけを目前にし、ソドムの近くの平野を自分の事業として選んだ過ち。
  信仰を持つ人は、先ず神の奉仕を考え、神様に自分の事業を委ねる。神様が選んでくれた事業は高尚で、将来の災いもなく、美しくバックアップされたたものです。この事業によって私たちは掲げられ、人格的に誉れが与えられ、子孫にも栄光を残すこともできる。このような事業は汚すことも、壊すこのも、衰えることもできない、天の事業発展の基礎として残せるものです。
  私たち持っている全ては神様が選んでくれたものであるように。私たちがそれを心から感謝して受け留められるように。このようであれば、私たちは安らかな喜びを感じることができる。なぜなら、それらは私たちが強奪、搾取、詐欺をして得たものではなく、私たちがそれらを用いて人々に潤いを分けて、幸福を社会にもたらさなければならないからです。神様が用意してくれたものは末世に現れる救いである。

祈祷:神様感謝致します。私たちの糧を毎日与えてくださって。主よ、私たちに人を愛する心を与えてください。また、私たちに神様が用意してくださった事業を受け継ぐことのできる心お与えください。イエス・キリストの御名によってお祈り致します。アーメン。
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2007/4/1 日曜日

新しい旅を始める

Filed under: オウサン工房, 信仰生活 — admin @ 22:36:37

何か新しいことに挑戦し、新たな解決を求め、新たな信仰の旅路に踏み出し、私に示されたかすかな光を信頼し、心から同意したとき、私は喜びに満たされました。

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