2013/11/18 月曜日

馨香之祭

Filed under: モーセ, オウサン工房, 神様の領域 — admin @ 23:23:20

一封母親的信

goodnews201109

摩西,我至愛的兒子!
我知道你6歲時,當神把“醫療傳道”這崇高偉大的理想,種植在你幼年的心田時,他就一直呵護褓守,看顧成長。今年你26歲了,20個年頭過去了,你的志向一直不變,我不得不感慨神的手在你身上。
你給過媽媽無數的驚奇和感動,日語,英語的演講比賽,不只是獎杯,而是通過你的文章所表達的思想,你的受洗,教會侍奉,與神之間的親密關系等通過UCLA畢業典禮,只有你一個在萬人面前高舉神的名,稱祂為阿爸父,一切的榮耀感謝全歸於神時,媽媽是在流喜樂的淚水。你成長的這樣出類拔萃,我知道是神親自栽培你,教導你的結果,你是他可喜E果子。
每走過一段,回頭看的時候,不得不說超越了想像和能力、超越了現實和環境,是超乎所求所想的。你為了說服媽媽,來接受你的決定花了不少的心思和時間,我雖然知道你的決定是為了遵行神的旨意,可我畢竟是只有一個獨生子的寡母,離開媽媽你要去美國留學,我哭了3個月,擦傷了眼簾,你還記得那個樣子嗎? 無法付學費,憑著信心也要上加州大學,遠超孤兒寡母的能力範圍;為了能成為醫生,實現醫療傳道的理想,更為了支撐母親的海外宣教,你把自己的生命放上了祭壇,亞伯拉罕獻以撒被稱為義,你呢,是跑上祭壇獻自已,逼著御代榮天來稱義。請原諒媽媽雖然是個傳道人,但兒行千里母擔憂是親情呀。可是正因為你堅定在神面前的決定,和耐心的說服工作,提升了媽媽的信心和與神的關係,所以媽媽要謝謝孩兒!

下面是媽媽對你新生活,新舞台的祝福
耶利米書1章5節指出
神說,你從起初就屬於我
我未將你造在腹中 我已曉得你
我揀選你,將你分別為聖,…我要與你同在。
神在寶座上,祂對你的人生有偉大的計劃,
所以你立志行事、都是神在你心裏運行、為要成就他的美意。腓利比書2:13
懷抱遠大夢想 對未來充滿期盼。
你有那麼多潛能
你有那麼多才華,想法,創意和潛力
你受造不是要庸庸碌碌,得過且過,永遠在奮力掙扎
你受造是要作首,不作尾,申命記28:14
你是至高神的兒女 你身上有偉大的種子
你受造是要卓越超群 生命豐盛。
神預備了新的山峰要你攀登 新的疆界要你探索
祂為你預備精彩未來
別讓過往的困難奪去夢想
別讓他人待你的方式 破壞你的人生
擺脫這一切,提升期望的層次
懷抱理想,堅定信心,大膽期待祈求,
你看見神打開機會之門 超乎你的想像。

媽媽 於2013.11.18落筆

2011/10/21 金曜日

真實的基督徒 (屬靈前輩)

Filed under: オウサン工房, 感想と証しの広場, 神様の領域 — admin @ 22:22:58

chrit

有一天,兒子問我:’媽媽你最受影響和敬仰的人是誰呀?’我不加思索地說:’那當然是主耶穌了’,’那除了主耶穌以外呢?’。看似很簡單的問題,確讓我花了很長時間去思考。歷時歷代多少信心的偉人:亞伯納罕、摩西、大衛、褓羅等等,他們的裡程非常可歌可泣。但是在我生長的時代裡,確有三位已故的基督徒深深地影響著我的人生。

chrit

一、雙目失明的裴叔叔 −最有神的眼睛

我的童年時代

裴叔叔不是生來就瞎眼的,聽說他年輕時,有一位典雅美貌的富家小姐,在聽他布道時,因為他智慧的眼神,拋棄家業而追求他的故事傳為美話佳談。我第一次見到他時,他已是從監獄裡釋放出來雙目失明的老人了,而他的妻子卻有一雙美麗的大眼睛。他的眼睛是怎樣瞎的,誰也不知道,因為他從來不提監獄裡的事,而是說這是神給他的冠冕和最珍貴的禮物。童年的我根本不能明白和理解這些。每周媽媽帶著我去探訪他,在他家裡敬拜神,偶爾他面向我時,那雙能看透我心靈深處的眼睛,連同他送給我的聖句,滋潤撫育我成長,得到從神那兒的智慧和力量。媽媽常說:’他的眼神透出耶穌基督的光芒’。那個時代,沒有盲人用的聖經,也沒有媒體的幫助,他能一句不錯地送給我聖句,是奇跡,也是他愛神話語的表現。

chrit

二、雙肢癱瘓的鄭姑姑 −最美的女人

我的求學時代

我16歲,離開父母,進而去上海讀書。媽媽再三的囑咐:’去看鄭姑姑,她是很美的女人’。為了能看到最美麗的女人,我還記得自己穿上新潮的服裝,第一次去拜訪她的情景。見到她時卻讓我大吃一驚。一間樓梯下的小屋裡,僅只容一張單人床的空間,雙膝癱瘓,臉容浮腫,頭發斑白,她坐在邂澱罅8勤圈づ姑姑一生未嫁,褓持童身,沒兒沒女,沒有家。平反出獄後,一位周弟兄夫婦,以義子的名義接她到自己家裡居住。我看不出她的美麗,只看到她的不幸。隨著每次的看訪,我漸漸被她從內心發出的感謝贊美的歌聲中,以及忍不住流露出的喜I従霖罅ぐ貅)一次地被打動。那種與神同在的幸福,如同少女般泛著紅暈的臉頰裡漫溢出來,實在很美很美。

鄭姑姑雖然蒙受不白之冤,為了對主耶穌基督的信仰,吃了許多苦,但她對主忠心,對人有愛心,靠上帝的大能大力和恩典,站立住了,作出了美好的見證。無論在什麼情況下,她都能感謝贊美神,以聖經上神的話為自己的食糧,滿有喜樂。以愛心幫助人,幫助過許多基督徒大學生。也幫助和安慰一起落難的修女和信徒。從不怨天尤人,總是感謝神在修理自己,煉淨自己,能夠合乎主用。許多來看望她的人,原是為了安慰她;可反而得到她的勸勉和激勵。

我想 ”我是一只關在籠中的小鳥”這首蓋恩夫人的詩歌,可以把鄭姑姑的景況表現的一覽無余。

我是一只關在籠中小鳥
遠離青蔥花草佳美田郊
為禰被囚 我心何等高興
終日向禰歌唱 吐露柔情

禰愛捆綁我的浪漫翅膀
俯首細聽我的幽靜歌唱
甜美的愛 激勵何等深沉
甘作囚奴 不願高飛遠遁

誰能識透此中鐵窗風味
因神旨意竟變祝福恩惠
哦主 我愛禰所定的道路
願萬有向禰贊美到永古

chrit

三、雙手貧窮的親媽媽 −最窮的錢包

我的成年時代

我30歲那年,70歲的媽媽走完了她的一生,回了天家。媽媽的遺物中,有一個自己縫制的破舊錢包,其中裝有幾毛錢和幾個零幣,這是她一生的遺產。沒有人相信,40多年的婦科醫生,會這樣的貧窮。在她的葬禮上,從早到晚,三天三夜,四面八方湧來的弟兄姊妹絡繹不絕。追思禮拜一場接著一場。在他們的述說中,我才知道母親一生中,默默所作的事跡。她的雙手不僅養育了我們5兄妹,還醫治周濟不計其數貧困人,為的是領他們信主。正像她生前教導我們說:’你施舍的時候,不要叫左手知道右手作的。馬太6:3 ’施比受更有福。使徒20:35’我明白了穿著發白的還打著補丁的衣服來幼兒園接我的,讓我在小朋友面前含羞丟人的老土媽媽,沒有一樣金銀首飾也從來不化妝的媽媽;我明白了當我把她的破舊家具偷偷扔掉換成新家具時,對女兒悲傷失望的媽媽。

媽媽,對不起你!

媽媽你知道嗎?摩西將來要像你一樣,延續你醫療傳道的事業。這是他的理想。

chrit

四、美好的榜樣,屬靈產業,

以上三位長輩,他們渡過了滿載風暴的人生,面對過狂風駭浪,忍受過試煉的煎熬,嘗受過許多的憂傷;盡管如此,他們還能褓存純真的信仰,沒有自怨自艾,反而饒恕並祝福傷害過他們的人。他們對神執著忠誠的愛,活化在點點滴滴的生活中。他們活出了基督的樣式,活出了神的道,活出了神的愛。他們將基督的平安、喜樂、安慰和豐富,如同滿帶芳香、滋潤的花雨,澆灌在我干渴的心靈裡。

在我過去的歲月中,多是遠離神的日子,在迷失中,斐叔叔的眼睛總望著我,讓我回想起他送給我的一句一句神的話語,指明方向,引導我走回義路。

在我傷心痛苦中,鄭姑姑溫柔美麗的微笑,鼓勵我,激勵我,再爬起來背起自己的十字架繼續向前走,她熱切地期望我得到天國福分。

在功名利祿的誘惑中,媽媽的右手左手讓我知道一個基督徒的人生觀、價值觀的重要,因而不偏離神的規範。做出合乎神心意的抉擇。

他們雖已不在世上,但留下來價值非凡的屬靈遺產,卻支撐著我一生一世去追隨神,歸向神。

chrit

五、信仰的承續 , 福杯滿溢

19世紀末,一位英國傳教士把福音傳到了中國河南省安陽縣的一個小村莊。一位滿面愁容,9度流產的瘦弱婦人,因信耶穌基督蒙恩得救,順利產下一女嬰,那就是我的母親。由於祖父祖母是基督徒,沒有男尊女卑的思想,送女兒以至於到了外省就學。我的父母結婚較晚,生了5個孩子,我是家中最小的。記事以來,就常在爸媽的膝上聽聖經故事,小聲唱聖歌,偷偷去做家庭禮拜。

13歲那年受洗。從媽媽,斐叔叔,鄭姑姑長輩關愛為止,我基本沒有偏離神的道。但成人以後,漸漸變得冷淡,凡事自我作主,直到有一天,神狠狠地破碎了我所苦苦營建的一切。面對一堆破碎的夢,才發現這一切毫無價值。慈愛的天父重新塑造我心,他呼召我,並領我到新的天地,恢復了教會生活,工作和神學兩立。

2005年,父親來日本參加我神學院的畢業典禮,那無比喜樂的神情,讓我回想起,當我願意陪媽媽去教會禮拜時,她興奮地告訴別人,’這是我小閨女來聚會了’ 那無比喜樂的神情。那比我給他們說,得到名譽地位、物質利益、功成名就等等時的表情要美好燦爛的多。我一直為還沒有盡孝心,他們就離開我了而懊悔莫及,唯一讓我心裡好受一點的就是,父母親的這兩次喜E表情。父親說:’到摩西為止,我們4代基督徒的家庭,終於出了一個傳道人。’

2010年,我來美國,再度進修神學,很慚愧的說,我還沒有邁出傳道人這一步。 ’自己拙口笨舌,又是女人,孩子上學,經濟生活,無法接受獻金,甚至喜歡自己的專業’等等理由猶豫著,害怕著,但神的手不離開我,他把我能依靠的資本一點一點拿去,讓我無路可走跟著他,我知道這是神特別的愛。他看的起我,才揀選我,磨練我,他耐心等了我10多年,還沒有放棄我,用他的愛燃起我傳福音的熱誠,吸引我跟隨他而無怨無悔。

御代榮天
2011.10.21

2011/10/16 日曜日

真実なクリスチャン

Filed under: オウサン工房, 感想と証しの広場, 神様の領域 — admin @ 16:16:47

chrit

ある日、息子(モーセ)は私に質問して「お母さん、あなたが最も尊敬した人と影響を受けた人は誰ですか?」、 私は何も考えずに答えました「イエスさまよ」。「主イエス以外は?」。とても簡単な問題に思えましたが、確かに私は長時間考えさせられました。歴史上の偉大な人物であるアブラハム、モーセ、ダビデ、パウロなどは、彼らの信仰は非常に壮大で素晴らしいのですが、ただ私の成長時期に身近にいた三人のクリスチャンの先輩達が深く私の人生に影響を与えてくれました。

chrit

一、両目が盲目の裴おじさん−最も生き生きした目
私の幼少時代
裴おじさんは生まれた時は盲人ではありませんでした。彼の若い頃、あるお金持ちの家の美しい娘さんが、彼の説教を聴いて、彼の知恵のまなざしに一目惚れしました。彼女は家の財産をすべて放棄して裴おじさんを追いかけました。 これは美しい物語りとしてみんなに語り告がれました。その後、彼は迫害され刑務所で20年間過ごしました。 私は始めて彼に会った時、彼は刑務所から釈放されたばかり、もう両目が失明していた老人でした。けれども、かえって彼の妻は美しい大きい目を持っていました。なぜ彼は失明したのか?誰も理由を知らないのです。彼は刑務所内の事を何も話してくれないのです。彼はこう言いました「これは神様から与えられた冠と最も貴重な贈り物です。」 幼少期の私に全然わからない、理解もできなかったです。 毎週、母は私を連れて、彼の家に礼拝すること続いていた。彼が私に向いた時、深みの目は私の心の奥までを見えるようで、聖書のことばを潤い語り、知恵と力を与えてくれました。私のいのちを育てて、成長しました。母親常に言った「 彼のまなざしはイエス・キリストの光ようです」。
あの時代は、盲人が使える聖書は無くメディアもなかったのです、でも、彼が私に教えた御言葉のひとつひとつが間違い無く、すばらしい奇跡で彼の心の中に神の御言葉を刻み込まれていました。

chrit

二、両足が不自由の鄭おばさん−最も美しい女性
私の学生時代
16歳の時、親元を離れて上海の大学へ行きました。 母親からに再三言われた事は「鄭おばさんを会いに行って、彼女はとても美しい女性よ。」 美人に会いに行くと思って、私は綺麗な洋服を着て行きました。彼女を最初に訪問した場面今でもはっきり覚えています。予想外で驚きました。 地下の小さくて暗い部屋の中に、シングルベッドがただ一つありました。その上に両足が不自由で、顔が腫れた白髪の彼女がいました。 鄭おばさんは、一生未婚で、家族、家もありませんでした。裴おじさんと同じように刑務所に入れられていました。釈放されて以来、若いクリスチャンの夫婦は、養子の名義で彼女を継いで自分の家に迎えました。 私はとても彼女を美しい女性としてみる事ができませんでした、ただ彼女の不幸しか見えませんでした。けれども、週に一回彼女のもとに行くことになって。彼女の説教はやさしく、暖かくて、彼女の賛美の声は私の心の底まで届きました。彼女の敬虔、謙遜な姿勢は私の模範になりました。神様が共におられる幸福感が彼女の聖潔な顔に溢れて、ピカピカに輝く。確かに誰も比べなれないほどの美しさでした。
彼女はたとえ無実の罪を背負っても、イエスキリストの信仰のために、苦痛を受けて、ただ主に忠実に、人を愛する。神様の力と恵みよって、しっかり立って、美しい証しができました。どんな状況でも神に感謝と賛美をもって、神の御言葉を自分の食糧として、喜びに溢れる。彼女はキリストの愛によって多くのクリスチャンの大学生を助け、 同じように困難に遭う伝道師と信者をたすけ慰めました。鄭おばさんは嘆きの声一つ出さずに、苦難は神様に仕える器なるための訓練と思っていました。彼女を慰めるため来る人は、結局彼女に励まされました。
Jeanne Guyonジーン・ギュイヨン夫人が書いた詩「箱の若鳥」ように、鄭おばさんの生涯にぴったりだと思います。

A little bird I am

Shut from the fields of air;
Yet in my cage I sit and sing
To Him who placed me there;
Well pleased a prisoner to be,
Because, my God, it pleases Thee.
Nought have I else to do
I sing the whole day long;
And He whom most I love to please,
Doth listen to my song;
He caught and bound my wandering wing
But still He bends to hear me sing.
My cage confines me round;
Abroad I cannot fly;
But though my wing is closely bound,
My heart’s at liberty,
My prison walls cannot control
The flight, the freedom of the soul.
Ah! it is good to soar
These bolts and bar above,
To Him whose purpose I adore,
Whose Providence I love;
And in Thy mighty will to find
The joy, the freedom of the mind.”

十字架の恵みが溢れて?牢は神を閉め出さず

私を取り囲む壁は堅く、私は一日中閉じ込められている。
しかし、わたしを縛るこの壁は、私を神から閉め出さない。
この私の地下牢こそ、麗しい場所。
私の愛する神が、ここにおられるゆえ
私を圧迫する彼らは知っている。
一人でいることはつらいことだと。
しかし彼らは知らない。私を祝福するお方を。
錠や石を通って来られる方を。
神は私のこの暗い牢を明るいものとし、
私の心を喜びで満たしてくださる。
神よ、あたなの愛は、私のため息や涙を賛美に変えてくださる。
魂の深みからあなをあがめ、それは時間や場所を忘れさせます。
良いか悪いか私は求めません。ただあなたのきよいみこころとの一致以外は。
それこそは私の宝となり、わたしの益をもたらすものです。
悲しみを喜びに変え、痛みから喜びを刈り取るのです。
何が起ころうとも、それは十分です。
神こそすべてのすべてであることを知ることこそ。

chrit

三、両手が貧しい母親−最も貧乏な財布
私の成年時代
私の30歳の時に、70歳の母親が天に召されました。 母親の形見の中で、5センチ四方の白色の布切れで作った手作りの財布があった。中に幾かの小銭があった。これは母親一生の財産でした。40年超えて働いた産婦人科医なのに、こんな惨めに貧しいとは、誰も思えなかった。母親の葬式追悼礼拝は朝から晩まで、三日間絶えることなく続いた。礼拝に参加するために四方から来る兄弟姉妹が絶えませんでした。彼らの証により、私はやっと母親の人生観と価値観を知った。黙々と人のために仕える母親の姿勢を理解できました。母親でその両手で私たち5人の子どもを育て、また、数え切れない経済的に恵まれない患者さんを助け、病気を治療し、生活の援助までしました。彼らに神様を信じさせるためだった。「マタイ福音書6:3 施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。」,「使徒20:35 受けるよりも与えるほうが幸いである。」母親は聖書の教え通り人生を生きました。
幼稚園に来て私を迎えてくれるお母さんは、いつも一着しか持っていない古い洋服を着ていて、化粧とアクセサリーもしなかった。私はいつも友達の前で母親のことを恥ずかしく思いました。まだ、私が無理やり母親の古い家具を捨て、新しい家具に換えるときに、私に向かって失望と悲しい母の目。それらのことを思い出すと、胸に悔いがいっぱいでした。
お母さん、ごめんなさい! お母さん、あなたの孫? モーセがあなたの足跡につき、医学を志すことに決意しました。将来、あなたような医者になって、体と心が病んでいる人に神様のこと伝えたいと願っています。

chrit

四、美しい模範、霊的な遺産
以上の3人の先輩は、暴風雨の満載する人生を過ごし、激しい風と波に直面し、試煉の苦しみを忍耐し、多くの憂え悲しみを経験しました。それでも、彼らは純粋な信仰を保ち、嘆きと恨むことなく、逆に、彼らを害した人々をゆるし、祝福しました。彼らの忠実、執着した神に対する愛は、彼らの生活に現れました。キリストのように生き、御言葉の通りに生き、神の愛を生きることができました。 彼らはキリストの平安、喜び、慰め、豊富を、溢れる芳香、潤いのある花雨ように、私の渇く心に流し込み、注ぎました。
過去の私は神から遠く離れたこともありました。見失うときに、斐のおじの目は私を見守った。彼が私を送り届けようと思い立つ一つ一つの御言葉が、方向を示し、私を義の道に帰ることを導きました。
苦しいときに、鄭おばさんのやさしい笑みは私を励ましました。再び起き立ち上り、自分の十字架を背負って前に歩むことができました。彼女は切に私が天国の幸せの得ることをねがいました。
お金、地位の誘惑に遭ったときに、母親の右手と左手が私にクリスチャンの人生観、価値観の重要性を教えました。キリストの道から離れることなく、 神様の御心に合う選択をしました。
彼らはもうこの世にいない。けれども、残ったかけがえのない霊的な遺産は、私が一生神に求め、ついて行くことを支えています。

chrit

五、信仰の継承、祝福が満溢れる
19世紀の末は、1人のイギリス宣教師は中国河南省安陽県の小さい村に福音を伝えました。1人の悲しい、弱々しい、9度も流産した婦人は神様を信じた後、御恵みによって女の子を産みました。この嬰は私の母親でした。 祖父祖母はクリスチャンで、男尊女卑の思想がなく、女の子の私の母親を大学まで送りました。 私の親の結婚は遅かった。5人の子供の中、私は末子でした。小さい頃、常に両親のひざの上で聖書の話を聴き、賛美をし、家庭教会で礼拝しました。
13歳で洗礼を授けられました。 母親、斐のおじさん、鄭おばさんの先輩から多大な影響を受けました。その間に、私は神様から離れませんでした。しかし、成人になった後、だんだん神様を中心とする生活からずれて、すべてを自分で決めるようになってしまいました。大学、仕事、家庭は全部自分で選択したものでした。至るまで或る日、神は私の心尽くして営んだものをすべて壊しました。欠片になったそれらを目の前にして、なんの価値もないことだと気がついた。憐れみ深い天の父様は再び私の心を造り、私を呼びかけ選び、新しい環境を与え、教会生活の復帰を導き、仕事と神学校の両立をさせました。
2005年、父親が来日し、私の神学の卒業式に出席しました。あの喜びとうれしい表情は、私の思い出の中にある母親との表情が重なりました。私が母親に付き添って教会へ行って礼拝するときに、母親は姉妹たちの前に、「ほら、うちのかわいい娘が教会に来たよ」とあの喜びとうれしい表情だった。 私はまったく親孝行をしてあげられことなく、両親が居なくなった。後悔ばかりの私は、少し慰められるのは両親のこの表情でした。父親はこう言った「モーセまで、4代のクリスチャンファミリは、やっと一人の伝道者を出すことができる」。
それから、2010年、私はアメリカに来て再度神学校に入り。しかし、神に対して申し訳ない気持ちがあっても、いまだに宣教の道を踏み出せない。「 私は口と舌の重い人、女性だし、息子は学生だし、経済生活はどうなるか、献金を受け取ることができないし、自分の専門を好きだし…」等々のような理由で言い訳ばかりでした。でも、神様は私の手を離さない、私が頼るものを少しずつ持って行かれて、自分の道がなくなった私が神に従順するようにと、これは神様の特別な愛であると知らされました。
神は私を愛するこそ、私を選んで、私を鍛練し、神は10年もの間に、私を忍耐し待ち続け、私をあきらめなかった。神の愛が私の情熱を燃やし、福音を伝える道を導いて行きます。
1人の田舎の婦人の信仰によって、4代家族は祝福され。無名の山村からアメリカのUCLAまで、この素晴らしい恩恵みは祖母が想像もできなかったでしょう。

御代荣天
2011.10.16

2011/8/2 火曜日

証し

Filed under: モーセ, オウサン工房, 神様の領域 — admin @ 6:34:23

父親

皆さんにとって父親はどんなイメージですか?ネットでいろいろな意見を調べたら、「一家の主、絶対権力を持つ人」、「家のために稼ぐ人」、「大きな 存在」って思う人がいれば、父親はただの「家でテレビ以外何もしない人」とか「お母さんの言いなり」なんて思う人もいます。それらは全ての父親にありえる イメージですね。ところで、父親の愛というとぱっと来ない人もたくさんいます。例えば、「母の日」と比較すると「父の日」の存在感が非常に薄いって思った ことありませんか。なぜなら、父親の愛は、母親の愛よりも目に見え、形に表われることが少ないからかも知れません。子供にとって、母親の愛は直感的に感じ ることができても、父親の愛を愛として理解するには時間がかかります。

父親のいない家庭は母子家庭といいます。今の世間おいて「母子家庭=不良」とか「母子家庭=貧乏」と 認識します。 ヤンキーではないのに、母子家庭なだけで友達辞めろと言ってきた親御さんもいたりします。更に大事なのは どんなことが起こっても守ってくれる人がいると いう安全感はその子供に与えられないことです。このように育った子供が父親になると満足に自分の子供を愛せないことが多くあります。なぜなら、父として見 本がいなかったからです。

お父さん論みたいなこといっぱい話してしまいましたが、自分の証を話したいと思います。

僕はその母子家庭で育ちました。父の愛がなくなったのは僕が10歳のころでした。そして、十三歳のときに母と日本に引っ越して、それ以来父親との連絡 が途絶えました。現在に至ってはもう11年間父と会っていません。この十一年間は僕が成長する大事な時期でした。いわゆる思春期と青年期です。この時期に 関しては子供にとって父親の愛情と見本がとっても大切です。誘惑に負けないように厳しく叱ってもらったり。女の子の前でどうやって男らしく振舞うのを教え てもらったり。将来の夢はどう決めればいいかを相談に乗ってもらったり。失敗したときの励ましてくれたり。父親はこの時期とっても大事な役を演じているん です。

父親のいない僕はどうしたかというと、これらのこと全て不足に思いませんでした。そもそも父親なんていてもいなくてもよかったってすら思っていたの かもしれません。しかし、今を振り返れば、僕は父親がいなかったのではなく、見えていなかっただけでした。なぜなら、僕の父はいつでもどこでも一緒にいて くれて、誰よりも愛情たっぷりで、誰よりも厳しくしてくれる、天の神です。

慈愛なる父

形なき神様が父親の代わりになれるって信じがたいという人はいるかもしれませんが。それがですね なれるんですよ!それも実の父親以上に!

まずは父親としての存在感です。父親としての温もりですね。もちろん神様が人間に化けて現れたんじゃないんですよ。神様は僕をよい教会に導いてくれ たんです。そこに自分をやさしくしてくれたおじさんたちがたくさんいました。たとえば、やさしい系のおじさんは僕の悩みを全て聞いてくれました。そして、 カメラを担いで母親の代わりに僕の運動会に来てくれました。また、運動系のおじさんはいつもキャッチボールをしてくれました。そして、家庭的なおじさんは 僕がカレーライスが好物のを知ったら必ず週二、三回カレーを作って鍋ごともって来てくれました。 このようにですね、僕は他の子供よりも父親の温もりを感 じることができました。

主は在留異国人を守り、みなしごとやもめをささえられる。(詩篇146)

僕にとってはまさにその通りです。父親のいない家庭はやはり生活がギリギリですね。母親は必死に働いてくれましたが、外国人で日本語があまりうまく 話せないこともあって給料は低かったです。母と狭い六畳のアパートで暮らしていました。母が失業して大変だったときは牧師先生の家で居候した覚えもありま す。日本のテレビ番組「一ヶ月一万円生活」って知ってますか?まぁ、芸能人にそのような生活をさせるだけの番組ですけど。僕と母はこの番組を見たら笑っ ちゃいました、うちがこの番組でたら間違いなく優勝だねって。しかし、このような生活でも神様は平安と喜びを与えてくれました。母は大の果物好きです。あ る日、超うれしそうに帰って、どうしたの?って聞いたら、友達にりんご一個もらったってはしゃいてました。僕はですね、中学校の体操服を買ってもらったと きが一番うれしかった気がします。普通の人が当たり前のことだっと思うことでも感謝と喜びがいっぱいでした。家族の中で一番大事なものと言うと神様からの 暖かい愛だと僕は思います。それがある限り平安と喜びの安らぎが絶えることはありません。いくら裕福な家庭であってもこの愛がなければ、幸せを感じること はありません。

神様は聖書を通して自分が優しいお父さんであるということを私たちに語りかけています。その愛の手紙をまとめてみました。

わが子よ、

私はあなたを探り、あなたを知っています。
私はあなたのすわるのも、立つのも知って、あなたの思いを遠くから読み取れます。
私はあなたの歩みとあたなの伏ふすのを見守り、
あなたの道をことごとく 知っています。(詩139:1-3)
あなたの頭の毛さえも、みな数えています。(マタイ10)
あなたは、私の中に生き、動き、また存在しているのです(使徒)
永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛いしています。(エレミヤ)
あなたは神の子ども、私の子供だからです。(ヨハネI)

お父さんより

厳格な父

わが子よ。主の懲らしめを軽かろんじてはならない。
主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、
むちを加えられるからである。(ヘブル12:5-6)

わたしは患難の炉の中にあなたを選んだ。(イザヤ48:10)

父親の愛情のもう一つの顔は厳格です。厳しい顔です。それは子供が自分勝手に行動しているときに、良い行動と悪い行動をきちんと教え込むことです。しつけのことです。

僕は日本行く前にとても悪い習慣がありました。偏食です、食べ物の好き嫌いが信じられないほど激しかったんです。母は僕にご飯を食べさせるの随分苦 労したみたいです。聖書の言葉を使って言うと僕ににんじんを食べさせることよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしいというほどでした。しかし、 神様は厳しく叱ってくれました。どうやって叱ったかというと、腹を空かせることでしたね。母は女一つで家庭を支えるために朝から晩まで働いていました。家 にいる僕は空腹の苦しみを覚えました。しかし、学校が始まるとなんと給食がありました。.僕は未だに人生初の給食のメニュー覚えています。カレーライスに コンソメスープ、りんご切れと牛乳でした。カレーライスは初めてでした。その色で食べる気なれませんでした、が、もうお腹空くいやだったので、無理やり食 べてみました。一口食べたら。。。!! うまい!! こんな食べ物がおいしく感じたのが始めてでした。にんじんとか牛肉とか嫌いなものがはいていたのにも かかわらず、ご飯粒残さず全部食べました!それ以来僕は給食の大ファンになりました。給食の出るもの全部食べました。しかもいつも大盛りで、友達の「これ 嫌いだからあげる」というものまで食べてました。僕がここまで大きく育ったのは給食が好きになったからといっても過言ではないですね。だから、神様は子供 のしつけはとてもうまいんですね。

天の父の厳格さはこれだけのものではありません。私たち人間はとても軟弱で惑わされやすい生き物です。神様は私たちが間違った道に進まないように常 に見守っています。間違った道に進めてしまったら、神様どうやって正してくれるかというと、聖書の書いた通り、困難を与えるんですね。私たちを懲らしめま す。しかし、それは私たちを愛するゆえになさったことです。人間は神様を見つめて歩まなければ、すぐに世界の誘惑に付いて小道に走り、迷子になってしまい ます。神様を見つめるために神様を一番目に愛する心が必要です。しかし、これがなかなか難しいもので、感覚で生きてる人間にとって見えない触れることので きない神様を一番愛するのはとっても難しいです。だから、神様はそれができるように私たちをわざと困難の中において厳しく鍛えます。日本語で「好きなもの には目がない」といいますね。なぜ目がないといいますと、調べたら、これが日本語のおもしろいところですが、三段階があります。目がない→目がないと見え ない→見えないと判断力が落ちる→判断力が落ちても好きである。心を奪われて思慮分別がつかないということですね。たとえば、恋人、お金、勉強、仕事とか しか目になければ、神様のことを見ようとしなくなるんです。「日曜に礼拝あるけど、彼女をピクニック連れて行くから教会サボる」、「彼氏と遅くまで遊んで 疲れたから、今日は聖書読むのやめよう」、「バイトがあるから教会行かない」など神様に喜ばれないことをするなど神様のことよりも世の中のものを最優先に してしまいます。そうなったら気をつけてください、神様は怒ります。その叱りはとっても痛いものです。どんな懲らしめ待ってると思います?私たちが一番大 事だと思っているものを奪い取ってしまいます。恋人と分かれさせます。リストラされます。大学に落ちます。会社が倒産します。神様は人間が苦しみのどん底 の中にしか自分を求めようとないってわかっているからです。僕の場合は恋人だったんですけれども、今を思えば、僕がもしも神様を見つめなおしていなければ 相変わらず寂しがり屋で、甘えんぼのまんまだったかもしれません。神様より大事なものはありません。神様を父親としてみるものは世界を得るものです。

天では、あなたのほかに、だれを待つことができましょう。地上では、あなたのほかに私はだれをも望みません。この身とこの心とは尽き果てましょう。しかし神はとこしえに私の心の岩、私の分の土地です。(詩篇73:25-26)

最後に僕がいつも困難で気持ちが凹んでいるときに思い出詩を皆さんにシェアしたいと思います。名前は「足跡」です。知ってる人多いと思いますが、英語で「footprints」アメリカのマーガレット・F・パワーズという女性が書いた詩です。

「足あと」

ある夜、わたしは 夢をみた。
わたしは、神さまと共に なぎさを歩いていた。
暗い夜空に、これまでの わたしの人生が 映し出された。
どの風景にも、砂の上に ふたりの 足あとが残されていた。
一つは わたしの 、もう一つは 神さまの であった。
これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、
わたしは、砂の上の 足あとに目を留めた。
そこには 一つの 足あとしかなかった。
わたしの人生で いちばんつらく、悲しい時だった。
このことが いつもわたしの心を乱していたので、
わたしは その悩みについて神さまにお尋ねした。
「神さま。わたしが あなたに従うと決心したとき、
あなたは、すべての道において、わたしとともに歩み、
わたしと語り合ってくださると約束されました。
それなのに、わたしの人生のいちばんつらい時、
ひとりの 足あとしかなかったのです。
いちばん あなたを必要としたときに、
あなたが、なぜ、わたしを捨てられたのか、
わたしには わかりません。」
神さまは、ささやかれた。
「わたしの愛する子どもよ。
わたしは けっして お前のそばを離れたことはない。
お前がもっとも 苦しんでいたとき、
砂の上に一組の足あとしかなかったのは、
わたしが お前を抱いていたからなんだよ。」

2010/3/26 金曜日

最美的祝福ー God Bless You !

Filed under: オウサン工房 — admin @ 23:23:55


モーセの誕生

愛する子 happy birthday

「神のなさることは、すべて時にかなって美しい…。」
新しい一年の始まる歩みが、神さまとともにありますように。
三年ぶり親子二人はロスでお誕生日を教会の皆でお祝いしてくださった幸せですね。
喜びも二倍です。

御代 栄天

God Bless You
神の御恵みが豊かに あなたの上に注がれますように
あなたの心と身体と すべでの営みが守られ支えられ
喜び溢れるように わたしは祈ります
God Bless You  God Bless You
God Bless You  God Bless You

God be with You
神の御守りがいつでも あなたの上に注がれますように
あなたがどこにいるとしても 何をするとしても
いつでも神様が共におられますように わたしは祈ります
God Bless You  God Bless You
God Bless You  God Bless You

2010/3/13 土曜日

春の芽生

Filed under: オウサン工房 — admin @ 5:07:04

2010.03.26TOPページの更新
初めに、神様が宇宙万物を造られ、私たちも造られました。
「ゆりを装い 鳥をそだて 天の下なる 生けるものに
日毎の糧を たまう主なり。いかで、われらを 忘れたまわん。」
讃美歌 ?編 57番3節

春を題材にした45枚。

2009/11/14 土曜日

秋の賛歌

Filed under: オウサン工房 — admin @ 19:08:46

2009.11.14 TOPページの更新
初めに、神様が宇宙万物を造られ、私たちも造られました。
天地を造られた創造者へ賛美ささげましょう!

秋を題材にした46枚。

2009/3/26 木曜日

コンピューターの映像チャット

Filed under: オウサン工房 — admin @ 23:23:55

彼らが呼びかけるより先に、わたしは答える イザヤ書65:24

私のPCのスピーカーから「ピーン」という大きな音がしました。待ちに待ったごくメッセージがPCの画面に現われたとき、私は涙を試いまばたきしました。息子とPCでつながったのです。息子は地球の反対側アメリカに留学生活しています。私は日本にいますが、。息子のPCと私のそれとはつながっています。お互いの顔を合わせて笑って会話し、遠く離れているにもかかわらず、お互いの仲間の話をして楽しみました、まるで時が止まってように思えました。何か分からないことがあっても、私が日本でキーボードを叩くと、たちまちロースにいるの息子が私の言葉を読むことが出来ます。二人が同時にオンラインで接続しているので、こんなことが出来るのです。

祈りをコンピューターの即時交信(チャット)になぞらえています。神はラインの方側におられ、私はもう一方の側にいます。時に交信に失敗することがあり、メッセージが流れなくなります。しかし神は常にオンラインでつながったまま、私からの返事を待っておられます。私には祈りがどのように働くかわかりませんが、それをしらなくてもいいのです。私に必要なのは接続を切らないことです。

祈祷:神様、あなたはいつも私たちのためにそこにいて下さることを感謝します。私たちがあなたの臨在を楽しみとするようお助け下さい。アーメン。

今日の黙想:神は私たちが祈りを通してつながることを待っておられます。

愛する子 happy birthday

お互いは仕事、授業、時差の原因で、二人がなかなか同時にオンラインできないです。今日は息子の誕生日です、どうしても22歳なる息子の笑顔を見たいので、お会いできるように祈りつづ…。

王永天

モーセの誕生

2008/11/24 月曜日

真実に生きる For Father

Filed under: オウサン工房 — admin @ 13:00:13
2008年10月31日に急いで北京に帰る途中、92歳の父親が天に召されました。父親は最後の顔が50歳ぐらい若くて、寝ているようで微笑みでした。神様の平和と愛とご臨在の中で葬儀でした。
葬儀終わったあと、姉は私に、父の形見たなにか欲しいものはないか、と訊きました。私は、できれば父のの古いメガネが欲しい、と言いました。その箱の匂いを嗅ぎ、感触を確かめながら、父もそうして触れていたと知って、父をとても身近に感じながら、親孝行ができず不孝の私は一人なると悲しく、悔しく気持ちが胸にいっぱいなっています。兄弟の中、私は父の一番愛する子でした。でも私は父に裏切りでばかりです。神様に離れた日々、どんなに父親に心配かけてしまったのか……父親は私のためいつも静かに黙々お祈りの姿が深い父の愛を感じていたが今は耐えない孤独なりました。この世にかえなれないの愛がなくなりました……。沈んでいるまま日本に戻って家に着いたからも私はメガネをしげしげと見つめていました。そして箱の中に、折りたたんだ一枚の紙を見つけました。その紙には父の手で、
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。
すべてのことについて、感謝しなさい。
(テサロニケ第一5:16〜18)
あなたがたは朽ちない種から、すなわち、神の変わることのない生きた言葉によって新たに生まれたのです。
人は皆、草のようで、その華やかさはすべて、草の花のようだ。
草は枯れ、花は散る。
しかし、主の言葉は永遠に変わることがない。
(ペトロの手紙一1;23,24、イザヤ書40:6)
と書かれていました。わたしの顔を涙が流れ落ちたとき、私のうちに神の声とはっきりわかる静かな声が聞こえました。「あなたの父は今も本当に生きているよ」これが私の心に囁かれた言葉です。神様のお赦しと慰めてくださるの言葉でした。私は一つの聖句を思い出しました。「はっきり言っておく。信じる者は永遠の命を得ている」。この時、私は父に再び会えるのだということをしりました。わたしたちがイエス・キリストによって永遠の命の約束を得ているとは、何と素晴らしいことでしょう。在天の父よ、すべての人に与えてくださった永遠の命の約束を感謝します。そして「神様の領域」通して神様の福音を多くの方々に伝えるように頑張っていきます。
王 永天
 

2008/5/11 日曜日

お母さんの財布  For Mother’s Day

Filed under: オウサン工房, 感想と証しの広場 — admin @ 17:16:32

chrit

3年前、中国人の姉妹と姉妹の兄と話があった。・・・

姉妹が、亡き母の形見の財布を見せる、と言い出した。兄はきょとんとした表情で、「そんなもの持ってるのか」と聞いた「うん」と答えて出したものは、5センチ四方の白色の布切れで作った手製の財布。これか?一瞬目を疑った。姉妹が尊敬する母の財布。この母の財布を手にすると、すべてを神様にささげた母の心が伝わってくるのだという。

この財布については随分前から聞かされていたが、頭に描いていたイメージとは随分違った。産婦人科医をし、お金には困らなかったという母、そんな母の財布であれば、大きな皮製、あるいは伝統手芸なりが施された立派なもので、ぼろぼろに使い古された財布かと思っていたのだが、見事に予想が外れた。中には、亡き当時そのままの紙幣が折りたたまれて、さらに、自分の病院の処方箋の裏紙に、すらすらと走り書きした母自作の詩が折りたたまれて入っていた。姉妹が兄に翻訳してとせがんだ。兄も始めた見た様子で、驚いた表情で、私のために翻訳して聞かせてくれた。

「神様、私に信じる心を与えてください。神様のために生き、世と世の思い、世の中の全てのものを捨て去る力を与えてください。私の足が滑らないようにお守りください。残り僅かの人生を生き抜くことができるように、どこでもいつでも神様が私を守ってくださいますように。94年8月15日」

同年11 月6日召天。(70歳)

読み進む内に兄の眼から涙があふれてきた。ちらっと見ると妹も同じだった。「お前どうしてお客さんの前でこんな、・・・すいません、なんだか変なところ見せてしまって」「だって、お見せするって約束したんだもん」「約束だなんて・・・もう駄目じゃないか」涙をぬぐう兄。そしてちゃっかりと、この財布は今日から僕のものだとポケットに忍び込ませた。「だめよ。それは私の大切な宝」「じゃ一日だけでいいから、一日だけ貸してくれ。一日だけ母と一緒にいたい」「だめだめ。F先生に見せるために持ってきた、F先生に見せてあげて」なんとか、妹は、母の財布の奪還に成功したようだった。

兄が言う。「母の葬式は大変なものでした。母は医者でしたから、母にお世話になり、キリスト教を信じた人は数知れません。葬儀の時には、四列で200メートルの行列が出来ました。納骨する時には、皆で静かに賛美歌を歌ったんです」キリスト教の宣教が閉ざされていた中国で、そんな出来事があったのか。母親の財布に感動、その母親の詩に感動、その詩に心を通じ合わせる兄妹の姿に感動、三重に心が満たされる思いがした。しかし、果たして自分の子供たちは、自分の死後、こんなに自分を思ってくれることなんてあるんだろうか。無理かも・・・。やはり子供たちが誇りとする生き方をしたいものだ。

「中国のクリスチャン人口は今や7000万人です。そして地方では村ごとに改宗するという出来事が起こっています。中国政府は、法倫功や統一教会など新興宗教には極めて厳しい取締りをしていますが、プロテスタントやカトリックなど既成の宗教には結構穏健なんです。」神の御業は全世界でなされている。やはり現場に出てみないとわからないことがたくさんある。私が聞いている中国の宣教事情とは少し違う印象の世界がある。いずれ中国に行ってみたい。世界宣教のフィールドの広がりと、その必要を感じる思いがした。

F

当時の中国では医療費が高く、病気になっても病院へいけない患者がおおぜいいました。祖母は退職後も、自分の退職金を使って薬や医療器具を買い、経済的に 恵まれない患者の家へ行き、ボランティアで往診治療しながら、神様の福音伝えました。沢山の患者さんは神様のことを信じました。

モーセ

2007/9/10 月曜日

福音伝道のために生きる姿

Filed under: オウサン工房 — admin @ 12:54:00

「同じように、主も、福音を宣べ伝える者が、福音の働きから生活のささえを得るように定めておられます。しかし、私はこれらの権利を一つも用いませんでし た。また、私は自分がそうされたくてこのように書いているのでもありません。私は自分の誇りをだれかに奪われるよりは、死んだほうがましだからです。とい うのは、私が福音を宣べ伝えても、それは私の誇りにはなりません。そのことは、私がどうしても、しなければならないことだからです。もし福音を宣べ伝えな かったなら、私はわざわいだ。もし私がこれを自発的にしているのなら、報いがありましょう。しかし、強いられたにしても、私には務めがゆだねられているの です。では、私にどんな報いがあるのでしょう。それは、福音を宣べ伝えるときに報酬を求めないで与え、福音の働きによって持つ自分の権利を十分に用いない ことなのです。私はだれに対しても自由ですが、より多くの人を獲得するために、すべての人の奴隷となりました。」  コリント9:14〜19

パ ウロは満2年の間、自費で福音伝道を行ないました。その地で天幕作りなどのアルバイトにも携わったのでしょう。彼はローマに巨大な宣教組織を持っていたわ けではありませんでしたが、すべてを捧げて主に仕えていました。これはパウロが主のためご自身の人生をささげ、財産をささげて生きる姿です。

2007/9/2 日曜日

与える幸い

Filed under: オウサン工房 — admin @ 13:45:41

「主イエスご自身が,「受けるよりも与えるほうが幸いである.」と言われたみことばを思い出すべきことを,私は,万事につけ,あなたがたに示して来たのです.」使徒20:35

「受けるよりも与えるほうが幸いでる」と語るクリスチャンは多くでも「私は、万事につけ、あなた方に示して来たのです」と言い切れる人はわずかです。世に、神の御言葉を実行出来ない信者ほど気の毒な存在はありません。宝の山に入っていながら、わずから持ち物に執着してそれを守ろうと必死なために、もっと大きな祝福のチャンスを失ってしまった富める青年と同じです。(マタイ19:16〜22)

「受けるよりも与えるほうが幸いである」とは、与える恵みの醍醐味を味わった人だけが到達できる幸いです。隣人のために失うことを恐れる人には断じて味わうことのできない幸いです。「苦労して弱い者を助けなければ」と聖書は言います。確かに助けることは犠牲なくしてできません。然し、その犠牲の結果はいつも不思議にマイナスでなく、プラスです。与えればそれだけ自分の分が少なくなるのはこの世の常識であり計算です。けれども信仰は、犠牲の種を蒔いて祝福の実を刈り取ります。ルカ6:38
http://godarea.net/

次のページ »

Copyright(C)2004.1.1 Wang.Mc Pure Service All Rights Reserved.