2011/10/21 金曜日

真實的基督徒 (屬靈前輩)

Filed under: オウサン工房, 感想と証しの広場, 神様の領域 — admin @ 22:22:58

chrit

有一天,兒子問我:’媽媽你最受影響和敬仰的人是誰呀?’我不加思索地說:’那當然是主耶穌了’,’那除了主耶穌以外呢?’。看似很簡單的問題,確讓我花了很長時間去思考。歷時歷代多少信心的偉人:亞伯納罕、摩西、大衛、褓羅等等,他們的裡程非常可歌可泣。但是在我生長的時代裡,確有三位已故的基督徒深深地影響著我的人生。

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一、雙目失明的裴叔叔 −最有神的眼睛

我的童年時代

裴叔叔不是生來就瞎眼的,聽說他年輕時,有一位典雅美貌的富家小姐,在聽他布道時,因為他智慧的眼神,拋棄家業而追求他的故事傳為美話佳談。我第一次見到他時,他已是從監獄裡釋放出來雙目失明的老人了,而他的妻子卻有一雙美麗的大眼睛。他的眼睛是怎樣瞎的,誰也不知道,因為他從來不提監獄裡的事,而是說這是神給他的冠冕和最珍貴的禮物。童年的我根本不能明白和理解這些。每周媽媽帶著我去探訪他,在他家裡敬拜神,偶爾他面向我時,那雙能看透我心靈深處的眼睛,連同他送給我的聖句,滋潤撫育我成長,得到從神那兒的智慧和力量。媽媽常說:’他的眼神透出耶穌基督的光芒’。那個時代,沒有盲人用的聖經,也沒有媒體的幫助,他能一句不錯地送給我聖句,是奇跡,也是他愛神話語的表現。

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二、雙肢癱瘓的鄭姑姑 −最美的女人

我的求學時代

我16歲,離開父母,進而去上海讀書。媽媽再三的囑咐:’去看鄭姑姑,她是很美的女人’。為了能看到最美麗的女人,我還記得自己穿上新潮的服裝,第一次去拜訪她的情景。見到她時卻讓我大吃一驚。一間樓梯下的小屋裡,僅只容一張單人床的空間,雙膝癱瘓,臉容浮腫,頭發斑白,她坐在邂澱罅8勤圈づ姑姑一生未嫁,褓持童身,沒兒沒女,沒有家。平反出獄後,一位周弟兄夫婦,以義子的名義接她到自己家裡居住。我看不出她的美麗,只看到她的不幸。隨著每次的看訪,我漸漸被她從內心發出的感謝贊美的歌聲中,以及忍不住流露出的喜I従霖罅ぐ貅)一次地被打動。那種與神同在的幸福,如同少女般泛著紅暈的臉頰裡漫溢出來,實在很美很美。

鄭姑姑雖然蒙受不白之冤,為了對主耶穌基督的信仰,吃了許多苦,但她對主忠心,對人有愛心,靠上帝的大能大力和恩典,站立住了,作出了美好的見證。無論在什麼情況下,她都能感謝贊美神,以聖經上神的話為自己的食糧,滿有喜樂。以愛心幫助人,幫助過許多基督徒大學生。也幫助和安慰一起落難的修女和信徒。從不怨天尤人,總是感謝神在修理自己,煉淨自己,能夠合乎主用。許多來看望她的人,原是為了安慰她;可反而得到她的勸勉和激勵。

我想 ”我是一只關在籠中的小鳥”這首蓋恩夫人的詩歌,可以把鄭姑姑的景況表現的一覽無余。

我是一只關在籠中小鳥
遠離青蔥花草佳美田郊
為禰被囚 我心何等高興
終日向禰歌唱 吐露柔情

禰愛捆綁我的浪漫翅膀
俯首細聽我的幽靜歌唱
甜美的愛 激勵何等深沉
甘作囚奴 不願高飛遠遁

誰能識透此中鐵窗風味
因神旨意竟變祝福恩惠
哦主 我愛禰所定的道路
願萬有向禰贊美到永古

chrit

三、雙手貧窮的親媽媽 −最窮的錢包

我的成年時代

我30歲那年,70歲的媽媽走完了她的一生,回了天家。媽媽的遺物中,有一個自己縫制的破舊錢包,其中裝有幾毛錢和幾個零幣,這是她一生的遺產。沒有人相信,40多年的婦科醫生,會這樣的貧窮。在她的葬禮上,從早到晚,三天三夜,四面八方湧來的弟兄姊妹絡繹不絕。追思禮拜一場接著一場。在他們的述說中,我才知道母親一生中,默默所作的事跡。她的雙手不僅養育了我們5兄妹,還醫治周濟不計其數貧困人,為的是領他們信主。正像她生前教導我們說:’你施舍的時候,不要叫左手知道右手作的。馬太6:3 ’施比受更有福。使徒20:35’我明白了穿著發白的還打著補丁的衣服來幼兒園接我的,讓我在小朋友面前含羞丟人的老土媽媽,沒有一樣金銀首飾也從來不化妝的媽媽;我明白了當我把她的破舊家具偷偷扔掉換成新家具時,對女兒悲傷失望的媽媽。

媽媽,對不起你!

媽媽你知道嗎?摩西將來要像你一樣,延續你醫療傳道的事業。這是他的理想。

chrit

四、美好的榜樣,屬靈產業,

以上三位長輩,他們渡過了滿載風暴的人生,面對過狂風駭浪,忍受過試煉的煎熬,嘗受過許多的憂傷;盡管如此,他們還能褓存純真的信仰,沒有自怨自艾,反而饒恕並祝福傷害過他們的人。他們對神執著忠誠的愛,活化在點點滴滴的生活中。他們活出了基督的樣式,活出了神的道,活出了神的愛。他們將基督的平安、喜樂、安慰和豐富,如同滿帶芳香、滋潤的花雨,澆灌在我干渴的心靈裡。

在我過去的歲月中,多是遠離神的日子,在迷失中,斐叔叔的眼睛總望著我,讓我回想起他送給我的一句一句神的話語,指明方向,引導我走回義路。

在我傷心痛苦中,鄭姑姑溫柔美麗的微笑,鼓勵我,激勵我,再爬起來背起自己的十字架繼續向前走,她熱切地期望我得到天國福分。

在功名利祿的誘惑中,媽媽的右手左手讓我知道一個基督徒的人生觀、價值觀的重要,因而不偏離神的規範。做出合乎神心意的抉擇。

他們雖已不在世上,但留下來價值非凡的屬靈遺產,卻支撐著我一生一世去追隨神,歸向神。

chrit

五、信仰的承續 , 福杯滿溢

19世紀末,一位英國傳教士把福音傳到了中國河南省安陽縣的一個小村莊。一位滿面愁容,9度流產的瘦弱婦人,因信耶穌基督蒙恩得救,順利產下一女嬰,那就是我的母親。由於祖父祖母是基督徒,沒有男尊女卑的思想,送女兒以至於到了外省就學。我的父母結婚較晚,生了5個孩子,我是家中最小的。記事以來,就常在爸媽的膝上聽聖經故事,小聲唱聖歌,偷偷去做家庭禮拜。

13歲那年受洗。從媽媽,斐叔叔,鄭姑姑長輩關愛為止,我基本沒有偏離神的道。但成人以後,漸漸變得冷淡,凡事自我作主,直到有一天,神狠狠地破碎了我所苦苦營建的一切。面對一堆破碎的夢,才發現這一切毫無價值。慈愛的天父重新塑造我心,他呼召我,並領我到新的天地,恢復了教會生活,工作和神學兩立。

2005年,父親來日本參加我神學院的畢業典禮,那無比喜樂的神情,讓我回想起,當我願意陪媽媽去教會禮拜時,她興奮地告訴別人,’這是我小閨女來聚會了’ 那無比喜樂的神情。那比我給他們說,得到名譽地位、物質利益、功成名就等等時的表情要美好燦爛的多。我一直為還沒有盡孝心,他們就離開我了而懊悔莫及,唯一讓我心裡好受一點的就是,父母親的這兩次喜E表情。父親說:’到摩西為止,我們4代基督徒的家庭,終於出了一個傳道人。’

2010年,我來美國,再度進修神學,很慚愧的說,我還沒有邁出傳道人這一步。 ’自己拙口笨舌,又是女人,孩子上學,經濟生活,無法接受獻金,甚至喜歡自己的專業’等等理由猶豫著,害怕著,但神的手不離開我,他把我能依靠的資本一點一點拿去,讓我無路可走跟著他,我知道這是神特別的愛。他看的起我,才揀選我,磨練我,他耐心等了我10多年,還沒有放棄我,用他的愛燃起我傳福音的熱誠,吸引我跟隨他而無怨無悔。

御代榮天
2011.10.21

2011/10/16 日曜日

真実なクリスチャン

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ある日、息子(モーセ)は私に質問して「お母さん、あなたが最も尊敬した人と影響を受けた人は誰ですか?」、 私は何も考えずに答えました「イエスさまよ」。「主イエス以外は?」。とても簡単な問題に思えましたが、確かに私は長時間考えさせられました。歴史上の偉大な人物であるアブラハム、モーセ、ダビデ、パウロなどは、彼らの信仰は非常に壮大で素晴らしいのですが、ただ私の成長時期に身近にいた三人のクリスチャンの先輩達が深く私の人生に影響を与えてくれました。

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一、両目が盲目の裴おじさん−最も生き生きした目
私の幼少時代
裴おじさんは生まれた時は盲人ではありませんでした。彼の若い頃、あるお金持ちの家の美しい娘さんが、彼の説教を聴いて、彼の知恵のまなざしに一目惚れしました。彼女は家の財産をすべて放棄して裴おじさんを追いかけました。 これは美しい物語りとしてみんなに語り告がれました。その後、彼は迫害され刑務所で20年間過ごしました。 私は始めて彼に会った時、彼は刑務所から釈放されたばかり、もう両目が失明していた老人でした。けれども、かえって彼の妻は美しい大きい目を持っていました。なぜ彼は失明したのか?誰も理由を知らないのです。彼は刑務所内の事を何も話してくれないのです。彼はこう言いました「これは神様から与えられた冠と最も貴重な贈り物です。」 幼少期の私に全然わからない、理解もできなかったです。 毎週、母は私を連れて、彼の家に礼拝すること続いていた。彼が私に向いた時、深みの目は私の心の奥までを見えるようで、聖書のことばを潤い語り、知恵と力を与えてくれました。私のいのちを育てて、成長しました。母親常に言った「 彼のまなざしはイエス・キリストの光ようです」。
あの時代は、盲人が使える聖書は無くメディアもなかったのです、でも、彼が私に教えた御言葉のひとつひとつが間違い無く、すばらしい奇跡で彼の心の中に神の御言葉を刻み込まれていました。

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二、両足が不自由の鄭おばさん−最も美しい女性
私の学生時代
16歳の時、親元を離れて上海の大学へ行きました。 母親からに再三言われた事は「鄭おばさんを会いに行って、彼女はとても美しい女性よ。」 美人に会いに行くと思って、私は綺麗な洋服を着て行きました。彼女を最初に訪問した場面今でもはっきり覚えています。予想外で驚きました。 地下の小さくて暗い部屋の中に、シングルベッドがただ一つありました。その上に両足が不自由で、顔が腫れた白髪の彼女がいました。 鄭おばさんは、一生未婚で、家族、家もありませんでした。裴おじさんと同じように刑務所に入れられていました。釈放されて以来、若いクリスチャンの夫婦は、養子の名義で彼女を継いで自分の家に迎えました。 私はとても彼女を美しい女性としてみる事ができませんでした、ただ彼女の不幸しか見えませんでした。けれども、週に一回彼女のもとに行くことになって。彼女の説教はやさしく、暖かくて、彼女の賛美の声は私の心の底まで届きました。彼女の敬虔、謙遜な姿勢は私の模範になりました。神様が共におられる幸福感が彼女の聖潔な顔に溢れて、ピカピカに輝く。確かに誰も比べなれないほどの美しさでした。
彼女はたとえ無実の罪を背負っても、イエスキリストの信仰のために、苦痛を受けて、ただ主に忠実に、人を愛する。神様の力と恵みよって、しっかり立って、美しい証しができました。どんな状況でも神に感謝と賛美をもって、神の御言葉を自分の食糧として、喜びに溢れる。彼女はキリストの愛によって多くのクリスチャンの大学生を助け、 同じように困難に遭う伝道師と信者をたすけ慰めました。鄭おばさんは嘆きの声一つ出さずに、苦難は神様に仕える器なるための訓練と思っていました。彼女を慰めるため来る人は、結局彼女に励まされました。
Jeanne Guyonジーン・ギュイヨン夫人が書いた詩「箱の若鳥」ように、鄭おばさんの生涯にぴったりだと思います。

A little bird I am

Shut from the fields of air;
Yet in my cage I sit and sing
To Him who placed me there;
Well pleased a prisoner to be,
Because, my God, it pleases Thee.
Nought have I else to do
I sing the whole day long;
And He whom most I love to please,
Doth listen to my song;
He caught and bound my wandering wing
But still He bends to hear me sing.
My cage confines me round;
Abroad I cannot fly;
But though my wing is closely bound,
My heart’s at liberty,
My prison walls cannot control
The flight, the freedom of the soul.
Ah! it is good to soar
These bolts and bar above,
To Him whose purpose I adore,
Whose Providence I love;
And in Thy mighty will to find
The joy, the freedom of the mind.”

十字架の恵みが溢れて?牢は神を閉め出さず

私を取り囲む壁は堅く、私は一日中閉じ込められている。
しかし、わたしを縛るこの壁は、私を神から閉め出さない。
この私の地下牢こそ、麗しい場所。
私の愛する神が、ここにおられるゆえ
私を圧迫する彼らは知っている。
一人でいることはつらいことだと。
しかし彼らは知らない。私を祝福するお方を。
錠や石を通って来られる方を。
神は私のこの暗い牢を明るいものとし、
私の心を喜びで満たしてくださる。
神よ、あたなの愛は、私のため息や涙を賛美に変えてくださる。
魂の深みからあなをあがめ、それは時間や場所を忘れさせます。
良いか悪いか私は求めません。ただあなたのきよいみこころとの一致以外は。
それこそは私の宝となり、わたしの益をもたらすものです。
悲しみを喜びに変え、痛みから喜びを刈り取るのです。
何が起ころうとも、それは十分です。
神こそすべてのすべてであることを知ることこそ。

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三、両手が貧しい母親−最も貧乏な財布
私の成年時代
私の30歳の時に、70歳の母親が天に召されました。 母親の形見の中で、5センチ四方の白色の布切れで作った手作りの財布があった。中に幾かの小銭があった。これは母親一生の財産でした。40年超えて働いた産婦人科医なのに、こんな惨めに貧しいとは、誰も思えなかった。母親の葬式追悼礼拝は朝から晩まで、三日間絶えることなく続いた。礼拝に参加するために四方から来る兄弟姉妹が絶えませんでした。彼らの証により、私はやっと母親の人生観と価値観を知った。黙々と人のために仕える母親の姿勢を理解できました。母親でその両手で私たち5人の子どもを育て、また、数え切れない経済的に恵まれない患者さんを助け、病気を治療し、生活の援助までしました。彼らに神様を信じさせるためだった。「マタイ福音書6:3 施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。」,「使徒20:35 受けるよりも与えるほうが幸いである。」母親は聖書の教え通り人生を生きました。
幼稚園に来て私を迎えてくれるお母さんは、いつも一着しか持っていない古い洋服を着ていて、化粧とアクセサリーもしなかった。私はいつも友達の前で母親のことを恥ずかしく思いました。まだ、私が無理やり母親の古い家具を捨て、新しい家具に換えるときに、私に向かって失望と悲しい母の目。それらのことを思い出すと、胸に悔いがいっぱいでした。
お母さん、ごめんなさい! お母さん、あなたの孫? モーセがあなたの足跡につき、医学を志すことに決意しました。将来、あなたような医者になって、体と心が病んでいる人に神様のこと伝えたいと願っています。

chrit

四、美しい模範、霊的な遺産
以上の3人の先輩は、暴風雨の満載する人生を過ごし、激しい風と波に直面し、試煉の苦しみを忍耐し、多くの憂え悲しみを経験しました。それでも、彼らは純粋な信仰を保ち、嘆きと恨むことなく、逆に、彼らを害した人々をゆるし、祝福しました。彼らの忠実、執着した神に対する愛は、彼らの生活に現れました。キリストのように生き、御言葉の通りに生き、神の愛を生きることができました。 彼らはキリストの平安、喜び、慰め、豊富を、溢れる芳香、潤いのある花雨ように、私の渇く心に流し込み、注ぎました。
過去の私は神から遠く離れたこともありました。見失うときに、斐のおじの目は私を見守った。彼が私を送り届けようと思い立つ一つ一つの御言葉が、方向を示し、私を義の道に帰ることを導きました。
苦しいときに、鄭おばさんのやさしい笑みは私を励ましました。再び起き立ち上り、自分の十字架を背負って前に歩むことができました。彼女は切に私が天国の幸せの得ることをねがいました。
お金、地位の誘惑に遭ったときに、母親の右手と左手が私にクリスチャンの人生観、価値観の重要性を教えました。キリストの道から離れることなく、 神様の御心に合う選択をしました。
彼らはもうこの世にいない。けれども、残ったかけがえのない霊的な遺産は、私が一生神に求め、ついて行くことを支えています。

chrit

五、信仰の継承、祝福が満溢れる
19世紀の末は、1人のイギリス宣教師は中国河南省安陽県の小さい村に福音を伝えました。1人の悲しい、弱々しい、9度も流産した婦人は神様を信じた後、御恵みによって女の子を産みました。この嬰は私の母親でした。 祖父祖母はクリスチャンで、男尊女卑の思想がなく、女の子の私の母親を大学まで送りました。 私の親の結婚は遅かった。5人の子供の中、私は末子でした。小さい頃、常に両親のひざの上で聖書の話を聴き、賛美をし、家庭教会で礼拝しました。
13歳で洗礼を授けられました。 母親、斐のおじさん、鄭おばさんの先輩から多大な影響を受けました。その間に、私は神様から離れませんでした。しかし、成人になった後、だんだん神様を中心とする生活からずれて、すべてを自分で決めるようになってしまいました。大学、仕事、家庭は全部自分で選択したものでした。至るまで或る日、神は私の心尽くして営んだものをすべて壊しました。欠片になったそれらを目の前にして、なんの価値もないことだと気がついた。憐れみ深い天の父様は再び私の心を造り、私を呼びかけ選び、新しい環境を与え、教会生活の復帰を導き、仕事と神学校の両立をさせました。
2005年、父親が来日し、私の神学の卒業式に出席しました。あの喜びとうれしい表情は、私の思い出の中にある母親との表情が重なりました。私が母親に付き添って教会へ行って礼拝するときに、母親は姉妹たちの前に、「ほら、うちのかわいい娘が教会に来たよ」とあの喜びとうれしい表情だった。 私はまったく親孝行をしてあげられことなく、両親が居なくなった。後悔ばかりの私は、少し慰められるのは両親のこの表情でした。父親はこう言った「モーセまで、4代のクリスチャンファミリは、やっと一人の伝道者を出すことができる」。
それから、2010年、私はアメリカに来て再度神学校に入り。しかし、神に対して申し訳ない気持ちがあっても、いまだに宣教の道を踏み出せない。「 私は口と舌の重い人、女性だし、息子は学生だし、経済生活はどうなるか、献金を受け取ることができないし、自分の専門を好きだし…」等々のような理由で言い訳ばかりでした。でも、神様は私の手を離さない、私が頼るものを少しずつ持って行かれて、自分の道がなくなった私が神に従順するようにと、これは神様の特別な愛であると知らされました。
神は私を愛するこそ、私を選んで、私を鍛練し、神は10年もの間に、私を忍耐し待ち続け、私をあきらめなかった。神の愛が私の情熱を燃やし、福音を伝える道を導いて行きます。
1人の田舎の婦人の信仰によって、4代家族は祝福され。無名の山村からアメリカのUCLAまで、この素晴らしい恩恵みは祖母が想像もできなかったでしょう。

御代荣天
2011.10.16

2009/8/13 木曜日

愛の眼

Filed under: 感想と証しの広場 — admin @ 16:50:06

主は憐み深く恵みに富み、忍耐強く、慈しみは大きい。(詩篇103:8)

私は楽天家です。その人の一番良いところだけを見るのです。物事を明るく捉えようとするあまり、バライの眼鏡をかけていると非難されるほどです。世の中を前向きに見ることは、真理ではありません。私はとても現実主義的なのです。私は悪魔の存在を知っています。けれども自分の視野は愛の眼によって得ようとしているのです。
この生き方は痛みや落胆を引き起こすことになるでしょうか?時にはそうなります。しかし、神は私をバラ色の眼鏡を通して見ておられると信じています。神は疑うということの恵みを私に与え続けておられます。神は私の意地悪い考え方や妬む性癖、怠けくせをご存知です。神は、私が息子を大声で叱り、職場での同僚への忍耐をなくし、夫に鋭くかみつき、貧しい人々に対して無関心であることを見ておられます。そしてこのような良くない行動にもかかわらず、神は私を愛の眼で見ておられるのです。神は私たちの罪に眼をつぶっておられるではありません。そうではなく私たちが願うときそれを赦して下さるのです。この世とそこにある素晴らしい偉大な可能性について深く思いを巡らせるならば、私たちはもっと大きな憐みの心で世界を見ることが出来るでしょう。神の模範に従ううちに、傷つくことがあっても、それを赦すことは容易であると分かってきます。

祈祷:愛する神様、あなたが私たちを愛と憐みを持って見ていて下さり、私たちの罪を赦して下さることを感謝します。今日、私たちが赦されているように人々を同じような愛を持って見るようお助け下さい。アーメン。

今日の黙想:愛の眼で世の中を見ましょう。人を最善のものと見て、確信するために。

ライザ・ボガート

2009/1/17 土曜日

ゴミを捨てる

Filed under: 感想と証しの広場 — admin @ 11:47:17

神よ、わたしの内に清い心を創造し、新しく確かな霊を授けてください。 詩篇51:12

台所に入ったとき、持ち出すばかりになっているゴミの袋が置いてありました。ゴミを出しに行きながら、私は人生は何と多くのゴミで埋まっていることか、と思いました。利己的な欲望、憤り、制御出来ない怒り、良くない態度、下品な行動、心に隠れた罪、など、私たちや人々を深く悩まし傷つけるゴミです。そのとき、私たちの内にあるゴミは捨てる必要があるのです。

私たちの人生に溜まった霊的なゴミを捨てるためには、適切な時や正しい方法があります。何百年も昔、詩篇の作者は自分の人生と心の中に溜まったゴミについて書いています。作者は、その存在とそれを取り除く必要を理解しました。そして心の奥深くからこう叫びました。「神よ、わたしの内に清い心を創造し、新しく確かな霊を授けてください」と。その祈りは今も私たちのために働いています。

心の中にゴミが溜まると、神は私たちにそれを捨てるよう方法を示して下さいます。そうすればそれが重大な成り行きにはつながらないでしょう。

祈祷:愛の神様、私たちの人生からゴミを取り除き、私たちの心を清めて下さい。私たちの主イエス・キリストによって。アーメン。

黙想:神は、毎日私たちの心をきれいな新しいものにして下さいます。

ハワード・クープ

2008/12/30 火曜日

祈りのクリスマス・カード

Filed under: 感想と証しの広場 — admin @ 10:04:50

互いに重荷を担いなさい。そのようにしてこそ、キリストの律法を全うすることになるのです。 ガラテヤ6:2

毎年、クリスマスに沢山のクリスマス・カードを受け取ります。カードを1枚1枚読むのは楽しいのですが、私はそれぞれのカードにさらに喜びを見出す機会をもつことにしています。新年が明けると、私は毎晩1枚のクリスマス・カードを選びます。私がカードの送り主と何年も一緒にしてきた多くの活動を思い出します。神がその人たちの必要に備えて下さり、またその人たちの祈りを祝して下さるよう私は願います。もしカードを送り主が健康問題や家族の揉めごとに触れている時は、その人たちの癒しと痛みの内に働く神の力を求めて祈ります。

祈りは教会の奉仕と、日々の生活に不可欠です。私たちは自分自身と家族の必要が満たされるよう、また、まだ会ったことのない神の子供たちのためにも祈ります。使徒パウロは、「互いに重荷を担う」ことを忘れないようにと言っています。それが、キリストの律法を全うする一つの道だからです。

祈祷:愛の神様、私たちの祈りを聞いて下さい。そして私たちがあなたに従うことを学ぶとき忠実であり続けますように。アーメン。

黙想:神の人々の祈りは力があります。(ヤコブ5:16)

マイケル

2008/10/19 日曜日

優先順位

Filed under: 感想と証しの広場 — admin @ 23:41:48

何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。  マタイ福音書6:33

多くの人にとって最大のジレンマの一つは、この現代を生きていく上で自分の役割と責任をどうこなしていくか、ということだと思います。さまざまな役割は互いにぶつかりあい、時間の取り合いになります。どれを選ぶか常に判断を迫られ、肉代的、感情的、霊的なエネルギーを消耗します。そしていつもと違う方向へ進んでも、成果のどれにも満足を感じられず、人生は思い通りにはならないと思うのです。

神に立ち返ることで、私たちはこの混沌の最中にも平安を与えられます。年月を経るうちに私たちは、自分の人生の最も重要な優先事項は神との個人的な、親しい関係を強めることであると気づくようになります。神が私に求めておられることだけを行おうと専念するならば、選択肢はもっと明確になります。そうすることで、私のその他の責任と役割も、神の知恵によって祝福されるものになるのです。

祈祷:神様、私たちはあなたと個人的な関係を持つことを願っています。私たちがあなたを最優先に置くようお助け下さい。イエスが教えられたように祈ります。
主の祈り(文語)

天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、
地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、
我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みに会わせず、
悪より救いいだしたまえ。
国と力と栄えとは、
限りなく汝のものなればなり。

マナ・マリア・ウィアダー

2008/10/13 月曜日

リーダーシップ

Filed under: 感想と証しの広場 — admin @ 13:18:20

私たちは、与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っています。ローマ書12:6

リーダーシープについて考えるとき、何を思い浮かべるでしょう?過去の偉大なリーダーたちのことを思いますか?それとも、良いリーダーが持つべき幾つかの特質を考えますか?それは、例えばビジョン、自信、コミュニケージョンの技術、決断力といった資質でしょうか?クリスチャンの場合、私たちの多くはリーダーになることを乞われたときためらいます。恐らく、良いリーダーとして必要な資質を持っているとは思っていないからでしょう。

イエスのリーダーシップとは、事業をするような感覚で導くのではなく、神がイエスに行うよう命じられたことを行うことなのです。同様に、私たちはそれぞれ神から与えられた独特の能力や賜物を持っており、そうした賜物をキリストの体に奉仕し、キリストの体を造り上げるために用いるよう命じられているのです(エフェソ4:12参照)。時々私たちは、神が私たちに使えるよう呼びかけておられる声が聞こえないふりをします。或いはとても忙しいと理屈を並べることもあります。私たちには能力がないと、自分で納得しようとすることがあります。しかし、神は資質を持った人を求めているのではないのです。神は呼びかけた人に資質を与えられるのです。

聖書の主人公たちは、誰にでもある人間的な弱点と弱さを持った普通の人です。この人たちは、神の国に仕えることになる時も、私たちが素晴らしい者である必要はない、ただ応えられることが必要なのだということを示しています。霊的なリーダーとは、ごく普通の人が神に呼ばれ、神によって出来るようにされた人のことなのです。

祈祷:神様、私たちの周りの世界に、私たちが忠実な弟子として仕える勇気を与えて下さい。イエスの御名によって祈ります。アーメン。

今日の黙想:生きるということは、神が目的のために私たち一人一人を用いていただくようにすることです。

ジョン・ボウン

2008/10/11 土曜日

私は神に召されている?

Filed under: 感想と証しの広場 — admin @ 13:55:46

いかに美しいことか、山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。彼は平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え、救いを告げ、あなたの神は王となられた、とシオンに向かって呼ばわる。 イザや書52:7

私の妹は離れたところに住んでおり、この何年も会ったことがありません。妹は主を知りません。だから私は妹が救われるよう祈り続けています。私は妹のところに行って一緒に暮らすことは出来ないので、私は妹の生涯に福音をもたらしてくれるクリスチャンを誰か送って下さい、と神に願っています。私は、この名前も知らない信者が神の召しを聞き、妹に伝道をしてくれるよういつも祈っています。

ある日、遠方にいる誰かもきっと、その愛する人に証してくれるよう、この地域のクリスチャンを覚えて祈っていると思いが浮かびました。畏敬の念と確信が強まるにつれ、私はまだこれまで会ったこともないクリスチャンが、その愛する人に「救いを告げ」てくれるようにと、私を覚えて祈っているはずだと気づきました。私は自分の妹に誰かにも福音を知らせるようにという神の召しに耳を傾けなければならないことを知りました。

祈祷:恵みの神様、あなたを知らない人に福音を伝えるために私たちを遣わして下さる下さることを感謝します。私たちの周りのあなたを必要としている人々に気づき、愛を持って手を差し伸べる備えをするようお助け下さい。アーメン。

今日の黙想:私は誰かの祈りの答えなのかもしれません。

ナンシー・メープス

2008/10/4 土曜日

思いやりは伝染する

Filed under: 感想と証しの広場 — admin @ 14:27:07

わたくしたちは、あたえられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っています。  ローマ書12:6

マーカスは職場で毎日、出会う人誰にも笑顔で挨拶をしていました。ドアを開けてもらいながら私が「やぁ、元気ですか?」と聞くたびに「有難うございます。今日も素晴らしい日ですよ、今日一日神様があなたを祝福してくださいますように」と生き生きした顔で挨拶を返してきます。私はマーカスに一日に何度も会いますが、いつでも笑顔と励ましの言葉を絶やすことはありませんでした。

マーカスは、私たちが働いていり会社の守衛として働いていました。マーカスの満面の笑顔、輝いた眼、心からの喜び、活力溢れる姿はいつも私の心を勇気づけてくれました。この人の思いやりと励ましは多くの人々に伝わっていきました。マーカスは神の愛を映し出し、そうしたいと常に願っている私の思いを揺り動かしました。

ローマ書12:6〜8を読む時、私はいつもマーカスとその特別な賜物と励ましのことを思います。この世的な見方ではマーカスは裕福でも有能な人でもありませんが、神の賜物を積極的に用いるこの人の行為は私を変えました。神が私たちすべてを特別な賜物であることが、マーカスを見ているとはっきり分かります。私たちが人々を励まし、勇気づけるとき、神は喜んで下さる、と私は信じています。人々に笑顔と思いやりの輪を通して喜びを広める機会を求めましょう。

祈祷:愛の神様、あなたが私たちに与えて下さった賜物を感謝します。その賜物を、人々があなたの無条件の愛を見たり体験するために用いさせて下さい。アーメン。
今日の黙想:人々を励ますために、私は何をしようとしているでしょうか?

ジョン・A・フォード

2008/9/28 日曜日

祝福の滝

Filed under: 感想と証しの広場 — admin @ 18:41:50

あなたは知らないのか、聞いたことはないのか。主は、とこしえにいます神、地の果てに及ぶすべてのものの造り主。倦むことなく、疲れることなく、その英知は究めがたい。 イザヤ書40:28

ある朝、祈りの時に、世界中の多く人々がしているように、私もいつでも、どこでも神と話が出来ることを感謝しました。人には決してできないことですが、神がどのようにしてすべての祈りを聞き、すべての人を心に留めて下さるのか、どのように私たちすべての人をそれぞれ知っておられるのかは分かりません。しかし、神によって不可能なことは何もないことを私は知っています。

数日経ったある夜、私は天国から地上に流れ落ちる滝の夢を見ました。水はすべての人に注がれる神の恵み、あふれ出る愛と真理、平和、喜びでした。その夢は、神がどこにでもおられること、また、神の力は聖霊によって決して終わらないことを示していました。神が私たちに祝福を注いで下さるように、私たちも思いやりと愛の行いによって、その祝福を人々に伝える通りよい管になれるよう努めます。

祈祷:力と愛の神様、あなたの限りない愛と、日々、私たちに与えて下さる祝福を感謝します。あなたの愛を伝える管になれるようお助け下さい。

今日の黙想:私たちが祝福を受けるのは、それを人に手渡すためです。

ブライアン・ガント

2008/9/21 日曜日

決してあきらめない

Filed under: 感想と証しの広場 — admin @ 18:46:12

たゆまず善を行いましょう。飽きずに励んでいれば、時が来て、実を刈り取ることになります。  ガラテヤ書6:9

私は花が大好きです。色鮮やかで様々な種類の花々は幸せな景色を創りだします。私は園芸の達人ではありませんが、それでも花を植えては咲くのを見て楽しんでいます。植物を買う時、私は必ず植える時期や場所、水のやり方が記されているラベルの説明を読みます。ラベルにはその植物が成長してどれくらいの大きさになるか、またいつ花が咲くかということも書かれています。

しかし、きちんと指示に従っても、時期どおりに花が咲かないことがあります。それでも、私はその植物の手入れを続けますが、咲かせる望みをあきらめることもよくあります。そしてある日、全く期待していない時に、花が咲いているのを発見するのです。本来花は咲く時期に咲かなくても、問題はありません。いつで会っても花が咲けば喜びを与えてくれるからです。

そのような意味で、人々は花のようなものです。同じ速度で花を咲かせ、成長するわけではないからです。しかし、神は私たちに対して見切りをつけるべきではないでしょう。ふさわしい心配りといのりによって、私たちは皆、神の定めた時に花を咲かせることが出来るのです。

祈祷:創り主である神様、私たちの周囲にあるあなたの創造物の美しさを感謝します。あなたの言葉と愛によって私たちが成長し、あなたの恵みのうちに成長できるようお助けて下さい。アーメン。

今日の黙想:種まきをし、収穫のために神を信頼しましょう。

マリン・リトル

2008/9/14 日曜日

神の保証

Filed under: 感想と証しの広場 — admin @ 18:47:10

今日こそ主の御業の日。今日を喜び祝い。喜び躍ろう。詩篇118:24

春になると私はよく鳥のさえずりで目を覚まします。ブラインドの隙間から外をのぞくと、日が昇る前の暗闇を照らす一条の光が見えます。
鳥のさえずりは、私には新しい一日の始まりを告げる希望の賛歌のように聞こえます。小鳥たちは、それぞれ独自の方法で、生涯の旅路の新たな一日を表します。日が完全に昇るにつれ、陰が消えていくことを小鳥たちは確信しているようです。
普通、私たちは朝起きると、まずその日に果たすべき責任や問題を考えます。しかし、クリスチャンである私たちは、嵐のあ後に静けさが訪れるように、夜の後には日があると確信しているあの小鳥たちのように、一日を始めることも出来るのです。私たちの前に明けていく新しい一日ごとに、その日に何が待ち受けていようとも、眠っている間も見守っていて下さっている神が私たちのそばにおられるという確信にたつことが出来るのです。

祈祷:愛する主よ、新しい一日の始まりを喜ぶことができるように、あなたの光の中心に私たちを集めて下さい。アーメン。

今日の黙想:日が沈む時でも、神は私たちの光の源となっていて下さいます。

ルイス・アルベルト・ホネス

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