2008/10/26 日曜日

収穫の主人であられる主

Filed under: 励ましの言葉 — admin @ 14:30:37

goodnews200810
きび畑が黄金色に色づき、穂が頭をもたげ、ころころとした栗の実が
熟れる秋の入口に立ちました。

新鮮な朝の風。上着の必要な冷たい夜の空気。
絶えず思索の中へといざなう内なる響き。

秋をしらせる友たちが、あちらで手を差し伸べています。

種を蒔かせ、その実の収穫を願われる神様。
秋の道に立ち、多くのことを思い巡らします。

収穫する実がないと、最初から締めてしまいそうなとき、
道端に落ちている一粒の豆、一個の栗、一掴みの落穂でも、
懸命にに拾い集める忠実さを与えてください。

いつくしみ深い神様。
秋は私たちのたましいを豊かにする、美しい季節です。

色とりどりの木々の紅葉にうっとりと見とれます。
これ以上願うもののない自然の神秘を前にして、ただ謙遜に感謝をささげるばかりです。
すべてのもののすべてであられる主よ。
遠くまでもみじ刈りには行けなくても、
すぐ目の前で出会える、黄色い銀杏の葉の変化に満足できる心をください。

私たちの倉を、目に見えるものだけで満たそうと必死になるのではなく、
御霊として近くにおられる主の御声、私の心の倉いっぱいに、
あふれるほどに満たすことできる、豊かな秋としてください。

バク・ギョンヒ

2007/8/28 火曜日

落ちてしまいそうな時に

Filed under: 霊想書・黙想, 励ましの言葉 — admin @ 12:40:24

わしがどのようにして翼を用いるようになるかをご存じでしょうか。ごらんなさい、はるかかなたに海面から100mもあろうかと思われる断崖がそびえています。高いところに岩棚があり、そこにわしの巣があって、親わしの宝物である2羽のひながおります。ごらんなさい、母わしが来ます。巣をゆすぶります。そのくちばしでひなたちを絶壁の所に押しやります。ああ、ひなたちは両翼をばたばたさせながら、まっ逆さまに落ちて行きます。ごらんなさい、母わしは「その子の上に舞かけり、その羽を広げて彼らを乗せ、そのつばさの上にこれを負う」のです(申命記32:11)。ひなたちが母わしの翼の上に乗りますと、母わしは彼らを安全な場所へと運びます。そして、また同じことを繰り返します。何度も絶壁から放り出し、翼に乗せて助けるのです。そのように「主はただひとりで彼を導かれ」ました。母わしのひなを訓練するこの本能は、神から与えられたものです。全能なる方が、その民がわしの翼をもって飛翔するようになるために訓練されるありさまが、わずかならがうかがわれます。神はあなたの巣を揺り動かされます。あなたの希望を失望に変えられます。あなたの確信を引き下ろされます。あなたを恐れさせ、震えさせられます。あなたの力は全身から抜けてゆきます。あなたは全く疲れ果て、望みを失います。そしてその間中、神の力ある翼はあなたの上に張り広げられて、あなたに安息を与えようと構えているのです。その永遠の創造者の御力は、あなたの内に働くために提供されています。彼が求めておられることはただ一つ、あなたがさらに低く下り、疲れ、弱って、神を待ち望むことです。そして、あなたがその全能の御翼に乗り、神がエホバとしての御力をもって、あなたを運んで下さるのにお任せすることです。

愛する神の子よ、どうか目を上げてあなたの神を見まつるように!「弱ることもなく、また疲れることもない」と言われる神のみことばを聞きなさい。神はあなたにもまた、弱ることも疲れることもないと約束しておられます。神の求められることはただ一つ、神を待ち望むことです。このような神、このように力あり、このように忠実で、このように心の優しい神がおられるのですから、次のような言葉をあなたの答えとしなさい。

わが魂よ、なんじただ神を待ち望め!

■出典:「神を待ち望め」アンドリュー・マーレー/小出忍訳、いのちのことば社、pp101−102

2007/7/20 金曜日

不安

Filed under: 励ましの言葉 — admin @ 12:13:55

あなたは主を避けどころとし/いと高き神を宿るところとした。
あなたには災難もふりかかることがなく/天幕には疫病も触れることがない。
主はあなたのために、御使いに命じて/あなたの道のどこにおいても守らせてくださる。
詩篇91:9-11

神様お信じない人には、不安に襲われても避ける所がありません。また真の安らぎもありません。しかし、神様を信じる人には、避け所が確保されています。それに何よりも、真の平安を得ることができます。神様が私たちの避け所だからです。私たちが神様のもとに走り寄っていくならば、安らぎが与えられるということを、神様は約束しておられます。

 神様を信じる人も信じない人も、同じように不安に襲われますが、真の安らぎを得ることができるのは、神様を信じる人たちだけです。神様は、ひとりで背負ってきた重荷から解放してくださいます。それだけではなく、私たち自身を含めてまるごと背負ってくださいます。
http://godarea.net

2007/5/15 火曜日

暗き時に

Filed under: 励ましの言葉 — admin @ 23:17:22

愛する魂よ、夜回りが暁を待つ以上に主を待ち望むことを学びなさい。あなたのうちにあるものはすべて暗黒であるかも知れません。そうであればあるほど、それは、あなたが神の光を待ち望む最善の理由ではありませんか。光の生活に入る第一歩は、暗黒を発見することです。あなたは労苦してへりくだり、罪の問題に直面しなくてはなりません。光が闇を追い払うと思いませんか。確かに追い払うのです。そのことを信じなさい。今すぐに首を垂れて、静まって神を待ち望み、神の光があなたを照らすのを待ちなさい。従い易い信仰の心をもって、「神は光であられます太陽よりも無限に輝かしく麗しい光であられます」と言いなさい。神は光であられます−すなわち御父です。永遠の、近づきがたい、理解を越えた光であられます−すなわち御子です。その光が凝集し、形をとって私たちに示され、私たちのうちに宿り、私たちを照らして下さいます−すなわち御霊です。神は光であられます。私の心を照らして下さいます。私は自分の思考や努力に忙しく、よろい戸をあげて神の光を入れることをしませんでした。不信仰が神の光を締め出していました。しかし、今は首をたれて信じます。神は光であられる。私の心の中に輝いておられると。

神は光であられます!神は輝かれます!私はこのために時を用いて、静まり、神の光の中に憩おうと思います。私の目は弱く、窓は曇っています。しかしそれでも主を待ち望もうと思います。光は輝きます。私のうちを照らします。私を光で満たします。そして私は、1日中神の光と神の賜る喜びの中を歩むことを学ぶでしょう。わが魂は、夜回りが暁を待つにまさって主を待ち望みます。

■出典:「神を待ち望め」アンドリュー・マーレー/小出忍訳、いのちのことば社、pp.80−81

2007/4/29 日曜日

神を慕う時に -神のふところに憩う-

Filed under: 霊想書・黙想, 励ましの言葉 — admin @ 13:50:04

私が常日頃とっている態度とは、単純に神に心を傾け、絶えず神を慕い、神を仰ぎ見ることです。それで私の心は、嬉々として母親の胸にすがる乳飲み子にも勝る幸福と喜びにしばしば溢れんばかりなのです。こういう表現をあえて用いるならば、私が味わい、経験している、ことばに尽くせない幸せについて、この状況を「神のふところ」と描写させてください。

時に、どうしても必要なときとか、弱さのゆえにか、脇道にそれることがありますが、たちどころに甘く魅力的な内なる声に迫られて呼び戻されます。その麗しさは到底言いようもありません。私の定めている祈りの時間も、やはり同じことの連続です。時々、私はちょうど自分が、彫像を作ろうとして仕事に取り掛かっている彫刻師の前に置かれた石のように感じます。私は神のみ前に自分を置いて、私の魂のうちに神の完全なイメージを刻んでください、そして私を神ご自身と完全に似るものとしてくださいと乞い願うのです。

他のときにも、心を集中すると、すぐに私の霊も魂も晴れ晴れとし、心遣いや努力もいらずそのまま続きます。さわやかに、動かされること無く神の内に憩い、神が私のうちにいてくださるのを覚えます。

このような状態を怠惰とか、自己欺瞞とか、自己愛と言う人もいるでしょう。たしかに聖なる怠惰祝された自己愛とでもいいましょうか、そういうものがあることは認めます。魂がその中にあるときには、今この時、神を交わることだけを考え、過去の行いなどに心を煩わすことはありません。そのようなものは、かえって神との交わりを妨げるだけです。しかし私は断じてそれを欺瞞とは呼びません。神を喜ぶ魂は、ただ神をのみ求めるからです。

神は私たちの最も必要としているものをよくご存知です。そして神がなさることはすべてにおいて益となるものです。もしも神がどんなにか私たちを愛しておられるかを知ることができたならば、私たちにとって楽しいことも、苦しいことも、等しく神の御手から受ける備えがいつもできているはずです。神の御手から来るものは最も苦痛なこと、最も困難なことでさえ、私たちにとって甘美で喜ばしいことです。最も烈しい苦しみにとうてい耐え切れないように思えるのは、私たちの考えなのです。神が御手によってその試練を与えておられるのだと信じ、また愛に富む天の父が私たちを低くし、悲しみも苦しみも与えておられるだと分かれば、すべての苦しい思いは取り除かれ、ただ喜びとなるのです。

私たちの務めはただ神を知ることです。神を深く知れば知るほど、ますます神を知りたいという飢え渇きを覚えるものです。そして、愛は知識によって測られるものですから、知識が広くなればなるほど、愛もまた大きくなっていくのです。このようにして神への愛が大きくなれば、苦しみの時にも喜びの時にも等しく神を愛するものとなります。

■ブラザー・ローレンス:『敬虔な生涯?普段の生活の中におられる神?』(CLC出版)、抜粋

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